本物の魔王になる為に
その後すぐに魔王城ネコブルク、その巨大な庭園でスピーチを行う事が決定された。
リベルシア達結界観測班の情報からキューの結界の限界はすぐそこまで迫って居ることが判明したからだ。
その為時間的な猶予はほとんど無く、ろくな準備は何も出来なかった。
「一人で行けるか?」
登壇の間際、緊張しているヴェルベットへ声をかけた。
「馬鹿にするな、私は……天才魔王ヴェルベット・チャーチ様だぞ。そこでお前の主のかっこいいところでも見ていろ」
「いや、俺別にお前が主だなんて思ったこと無いけどな」
「な、なんじゃと!」
「そりゃそうだろ、お前言ってただろ。俺は人間界の魔王だーってな。ま、かっこいいとこ見せてくれるってなら期待してんぞ、相棒」
「むむむ……! だが、今はそれがありがたい。行って来る。見ていてくれ」
そうして俺とヴェルベットはかるく拳をぶつけ合い、頷きあった。
魔王城大庭園には多くの悪魔達が暗い感情を隠そうともせずにひしめき合っていた。
今回の騒動によって魔王がヴェルベットのような幼く頼りない存在であったこと、そしてマスティマによって知らされた事実――ヴェルベットが初代魔王の力を引き継ぎ、魔界の民の命を消費する事で放つ禁呪の存在を知った民は恐怖した。
そしてその事実を今の今まで知らされていなかったがゆえ、怒りに染め上げられている。
その秘密はヴェルベット自身が知らなかったことでもあるが、行き場の無い怒りはそれを吐き出す為の対象を求めるのだ。
それを承知の上でヴェルベットは魔王としての責務を果たす為、一人で演説台に上がった。同時に集まった民の声が静まり静寂が訪れる。
「集まってくれて、礼を言う。――そして長らく姿を隠していたことを謝罪する。
昨今魔界で魔王と呼ばれた存在がいるが、あれは私が召喚した人間界の魔王であり私の影だ。
皆を欺くようなことになってしまって申し訳ないと思っている。
……私こそが本物の今代の魔王ヴェルベット・チャーチだ」
「今更どの面下げて出てきやがった! 引っ込め!」
「俺らを殺して魔界は平和になりましたってか! 冗談じゃねえ!」
「俺達はただの生け贄だったってのかよ! てめーだけ安全な場所から高みの見物か!」
「今更何を喋るってんだ! 時と場合を考えろ! てめえが本物か偽物かなんて興味ねえ! 魔王ならとっととあいつを倒してきやがれ!」
静寂で満たされた庭園で喧噪が飽和した。
登壇したヴェルベットに向けてそこかしこから口汚い野次が飛び交っている。
シャーリーは隣で耐えるように歯を食いしばり、自らが責められているかのようにただ耐えていた。
そして、恐らくは俺自身も。
だがそれでもヴェルベットはそれらの野次に顔色一つ変えず、大きく息を吸い込んだ。
「いいから――聞けぇぇぇ!!」
ヴェルベットの叫び声は決して魔王らしくは無かった。
悪魔としてはあまりにも透明で、良く通る声。
けれど芯の通った強さは、声質に関係無く周囲を圧倒し、野次はぴたりと止んだ。
「……今、私たちがこうしている時間は、我々の仲間が命をかけて作ってくれた時間なんだ。たとえ少しであっても無駄には出来ない。まずは私の話を聞いて欲しい。その後であればいくらでも誹りを受けよう」
キューが最後に結界を張ってくれなければ、シャーリーは殺され、皆もバル=ヨハニに食い殺されていたのは間違いない。
この時間はあいつが命を賭して作ってくれた凪なのだ。
多少のざわつきの後、静寂が訪れ、ヴェルベットは静かに語り始める。
「皆も知っての通り、今この魔界は存続の危機に瀕している。
それを引き起こしているのはマスティマという名の一人の天使。
そしてその理由は皆も知って居るであろう創世神話にまで遡ることになる。
――創造神ヤルダバオトはかつてこの世界を作った。
だが、世界が失敗作で在ると判断し、自らの代わりとして神の代行者を置き、自身は既にこの世界から去っている――
この世界は『神の居ない世界』。
誰もがおとぎ話だと思っていたこの話はどうやら真実だったらしい。
何がきっかけかは解らないが偶然にも観測者の存在を知ったマスティマは、観測者を排除する事でこの世界の神に成り代わろうとしている。
観測者は勿論その企みも知っているだろう。
自らを滅ぼそうとするマスティマの行動すらも。
けれど、それでも観測者はそれを拒もうとはしない。
それどころかむしろそれを、自らの終わりを望んですら居るのかも知れない。
支える者の居ない孤独な心の脆さ、それは特別な立場であろうと例外では無い。
私もその孤独は少なからず理解しているつもりだ」
父ヘルデウスが居なくなり、けれど魔王としての重責に押しつぶされそうなまま生きてきたヴェルベット。
彼女にはその心に寄り添う誰かが必要だった。
けれど、彼女は魔王であるがゆえにそれを求めることが出来ず、ただ強がることで今まで耐えてきた。
「マスティマは代行神である観測者を穿つ方策を練った。
それは皮肉にもこの魔界の初代魔王ルシファーが作り上げた力、命を喰らい力に変えるインフェルノヴォラクスと呼ばれる禁呪。
その力をマスティマが模倣する為に作り上げた神殺しの獣ジズ。
化物じみた力を持つソイツをマスティマはあろう事か量産型と呼んだ。
そして恐らくはそのオリジナルである天造ルシファー、バル=ヨハニは……文字通り桁違いの強さだった。
我々に残された時間の中で、あいつを倒す唯一の可能性は……相手と同じルシファーの力。
皆も知っているとおり……私に宿された力だ」
静かに、冷静にヴェルベットは語り続ける。
「マスティマの計画においてはジズの毒を媒介としたエナジードレインが肝だったのだろう。
それ故にマスティマは我々を煽動し、偽の歴史を植え付け、毒の中和をなし得るマゴット達を不当に貶めてきた。
そして、あろうことか……マゴットとの和平を結ぼうとした父ヘルデウスをも手にかけた。
つまり、それほどの大昔からマスティマはこの計画を周到に準備していたと言う事だ。
恐らく、あいつはこの『神殺し』に対して絶大な自信を持っているはず。
だがそれだけは何としても絶対に阻止しなくてはならない。
この魔界の、世界の未来をここで失うわけには行かない。
この魔界は、まだまだ良くなる。もっともっと住みやすくなる。
世界には皆がまだ知らない楽しい物で溢れている。
楽しい歌や、甘い食べ物だってあるんだ。
きっとみんな気に入ってくれると思う。私はそれを皆に伝えたい。
この魔界を守り抜いて後生に残したい。
たとえそれが、皆の命を糧にするしかないのだとしても私は……。
私は、皆の命を喰らってでも、この魔界を守る。
それが私の王としての決断だ。
勿論その行いがどれだけ非道な事であるかも理解している。
この魔界を守る為に、皆に……死ねと言っているようなものなのだから。
これは大事な事なんだ。
この世界の未来を守る為に皆が一人一人、自分で考えて答えを出して欲しい。
その決断を誰にも委ねないで欲しい。
事態をきちんと理解して、その上で自分で選択して欲しい。
魔界を守るための魔王が、お前達を喰らう。
恐らく私は史上最悪の魔王として名を残すことになるだろう。
けれど、たとえそうだとしても私はその汚名を甘んじて受ける、何を引き換えにしても大事な物を守り抜く為に。……これが、私が自分で考えた決断だ」
ヴェルベットは一旦目を瞑り、下を向く。
「もし。もしも、賛同してくれる者は、私に命を預けてくれ……この世界を守る為に、皆の命が必要なんだ……!」
ヴェルベットは壇上で震えながらも泣くのを我慢し、そこまで言い切った。
ヴェルベットは皆の命を喰らい切らずにすむかもしれないという淡い希望をスピーチに混ぜなかった。
自らの命、ヘルデウスの心臓、黒い月で皆の命をサポートすると言ってしまえばいくらかヴェルベットへの風当たりは弱くなったはずだ。
だが、それが上手く行く保証はない。
だからこそあえてその事を告げていないのだ。
年端もいかぬ子供が魔王である重責に堪え、その上で愛する魔界の民にその命を差し出せと願う、これほどに残酷なことがあるだろうか。
民も本当は協力したいはずだ。けれどその為に差し出すのは命。
生半可なことではそんなことは決断出来るわけが無い、それは臆病だとかそういうことでは無く、生命体であるならば当然のことだった。
この場で魔力を持たぬ人間である俺はエナジードレインの影響を受けない。
そしてそれはエナジードレインを行うヴェルベット自身も。
この場で安全を保障された俺達二人だけが、お互いの苦しみを理解していた。
何を言っても綺麗事と言われればそれまでだからだ。
最初から解っていた。このスピーチには最初から勝ち目など存在しない事を。
――けれど。
「馬鹿にしてんじゃねえぞ!」
大きな怒声が広場に響いた。
皆の視線が集中した先に居たのは見知った顔、ダイモンだった。
腕を組み、肩をいからせその姿を誇示するかのように立っている。
ヴェルベットは一瞬悲しそうな顔をして、それでも強い光を目に宿し、ダイモンの言葉に応える。
「良い、私の話は終わった。言いたいことがあれば言ってくれ。どのような話でも全て聞こう」
「じゃあ言わせて貰いますがね、魔王様、あんたいくらなんでも俺達を馬鹿にしすぎですよ」
「馬鹿になど――!」
「してんだろうがよ! ……俺達が魔王様の――ああ、これじゃ俺の言葉じゃねえな」
ダイモンはへっと嗤って慣れない丁寧語を使うのを止めた。
「かつてあんたは……いやあんたの影、もう一人の魔王、か?
とにかくそいつは俺の暴力を諫めた。
俺にとっちゃあ、そん時ゃマゴット野郎どもは過去に魔王を毒殺したとんだ卑怯なクソ野郎共だったからな、何も悪いと思っちゃ居なかった。
だが、俺達がそう思っている事、それすらもあの金ぴかハゲの作戦だったって事を今知った。
俺達は情けねぇ事にあのハゲにいいように扱われていたんだ。
勿論あのハゲだけのせいにするつもりはねえ。
マゴットを蔑み暴力を振るっていたのは、結局の所俺らが自分でなーんも考えなかったからだ。
誰かが言っていたことを、受け入れて、それを当然だと思ってたからだ。
だから良いように使われていた」
ダイモンは傍に居た息子を自分の前に立たせた。
「あのジズってバケモンが街の近くに現れた時、身体の弱ェ、俺の息子は毒にやられそうになった。
何も出来ずに泣いて叫ぶしか出来なかった俺の前に現れたのは……かつて俺が暴力を振るい迫害していたマゴットだった。
マゴット達は必死に俺の息子、それだけじゃない。
そこに居た多くの人たちを救ってくれた。
俺は、その時自分がいかに馬鹿だったか、漸く理解した。
自分できちんと考えて、もう二度と誰かの嘘に踊らされたりしねえと思った。
だから今回もずっと考えてた。これから俺達に残された選択肢をな」
そこで一旦言葉を切り、思い切り息を吸ってダイモンは声を張り上げた。
「俺らがよお! あんたの気持ちを考えないとでも思ってんのか!
ヘルデウス様が亡くなって、まだガキなのに魔王なんて大役を務める事になって、魔王として今まで過ごしてきた!
そんな中、父上であるヘルデウス様が病死じゃなく陰謀で殺されたことを知った!
それだけじゃねえ! 更にその身に宿す力で魔界を喰って守れだ!?
そんなくそみてーな選択を押し付けられたあんたを……アンタを一体誰が責められるってんだ!
今この魔界で一番苦しんでいるのは間違いなくアンタだろうが!
そんなもん俺ら皆が解ってんだ! 本当なら俺達大人が背負わなきゃならない責任だって事もよ!
俺達がそれを解ってないとでも、本当に思ってんのか!
もしそうなら、アンタは歴代一の大馬鹿だ!」
ダイモンは舌を回しながらも必死に叫んでいた。
言葉遣いは汚くとも、その根底には真摯な優しさが溢れていることはだれもが理解していた。
「いいですか、魔界の為に命を捧げて欲しいなんて、今更言わなくたって皆解ってんだ。
それしか方法が無い事も解ってんだ。
確かに目の前で化物に家族を殺されて、失って、行き場の無い怒りを魔王様にぶつけた者もいるかもしれねえ。
でもそれは本意じゃないと俺は思う。
俺達がその怒りをぶつけるべきは――
あの金色ハゲでしかねえんだからなァ!
ヘルデウス様は、市場を盛り上げる為に特区を作ってくれた。
そうして皆が支えあって生きていくことを意識し出した。
大人になる前に死んじまう子供たちがまだまだたくさん居る事を知って、医療機関も作ってくれた。
ただなんとなく生きるだけの退屈なこの世界で、俺達に未来に、子供達の成長に夢を馳せる楽しみを与えてくれた!
誰でも良い! この魔界の悪魔に聞いてみりゃ良い!
ヘルデウス様に感謝してねえ奴なんざどこにもいやしねえ!
あの優しかったヘルデウス様が、あんな野郎に殺されたと知って、ハラワタが煮えくり返ってんのは俺だけじゃねえはずだ……!
本当なら今すぐ、俺があのハゲをぶん殴ってやりてえ。
でもそれが出来るのはルシファーの力を宿し、ヘルデウス様に次代の魔王と認められたヴェルベット様、アンタだけだ。
勘違いしないでくれ。
アンタが俺達に頼むんじゃ無い。
俺達がアンタに頼むんだ!
この魔界の為に、あいつをぶっ飛ばして下さいと!
その為に必要なのであれば俺の命なんざ全部使ってくれ!
こう見えても俺はそこらの奴より頑丈な自負がある! 結構使いではあると思うぜ!
……俺達の為に、俺達を傷つけるしか無い。
アンタみたいな子供に、そんな決断を強いる自分が情けねぇと思ってる!
だがそれでも、どうか息子に、この魔界の子供達に明日を見せてやってくれ!」
鼻水と涙を垂れ流しながらダイモンはそこまで一気に叫び終わると、腕を組んだままその場にすとんと座った。
一瞬の静寂の後、広場は爆発したかのような咆哮と熱狂で包まれた。
「オラァ! ダイモンてめー独りでいいかっこしてんじゃねえぞ!」
「そうだ、どのみちあいつを放っておく訳にはいかねえ! 子供達を守る選択肢がそれしかねえならうじうじ言ってる暇はねえ!」
「俺の命だって使って貰えるなら持って行け! ダイモンなんぞより俺のがよっぽど役に立つぜ!」
本当は皆が理解していたのだ。
一番苦しんでいるのが誰かを。
けれどそれでも受け入れられなかった。
誰かのせいにしたかった。
そんな中でもダイモンは自分の過ちを認め、今度こそ自分で考えて、自分の答えを導き出した。
王とは独りでなれるような物では無い。
多くの民に認められ望まれる事で初めて存在する事が出来る。
ゆえにヴェルベットが王になる事は俺やヴェルベットだけでは絶対に出来ない事だった。
俺はあの屈強なおっさんに敬意を向けて頭を下げた。
「でもまさかあいつに一番美味しい所持って行かれるとは思ってなかったな」
口に出すと、俺までもが顔面を涙と鼻水で汚して酷い涙声になっていた事に漸く気がついた。