終末の禽 -天造魔王- 下
「来い、ヴェルベット!」
その手を掴むと正気を取り戻したかのようにヴェルベットは涙を溢れさせる。
「こ、これは何なのだ……こんなのが現実だっていうのか……私は、皆を助けたくて……なのにみんな倒れて……それに父上は、病気じゃ無くて……あいつに殺された……!?」
「いいから来い! 考えるのは後だ!」
「いやだ! 皆を置いてはいけない! シャーリーだって!」
「シャーリーがどうしてあそこに居るか考えろ! お前を逃がす為に戦っているんだぞ!」
無理矢理にヴェルベットを抱きかかえて走る。
「嫌だ! 離せ!」
ぽかぽかと背中を叩かれるが今は無視する。視界の端でシャーリーを捉えると俺を襲った個体と合わせて二体のジズの攻撃の合間を縫いながら、その腕をもぎ取り地面に引き倒し、殴打している。まさに化物みたいな強さだ。
「別に逃げても構いませんよ。勿論逃げられるかどうかは別問題ですがねえ」
余裕たっぷりにそう呟いたマスティマは直後にぱちんと指を鳴らす。
マスティマの周囲に出現したのは――更なるジズの群れだった。
様々な形状をしているがいずれも白を基調とした恐ろしい見た目をしている。
シャーリーが相手をしている二体を含めて合計十体。勝ち目など考え得ることを放棄せざるを得ない。そしてこれがマスティマの自信の根拠。
「――まぁ、量産型のおもちゃではあの女の相手は少々厳しいのも確かな様です。これ以上壊されてしまうのも後々面倒なのでお遊びはこれまでとしましょうか。ふふふひひ!」
――量産型の、おもちゃ?
「なん、だって……?」
その言葉は、一体何を指している。
死神に心臓を直接握られるかのような明確な絶望感が場を支配した。
「――さぁ出番だ、バル=ヨハニ! 奴らの抱く勝てるかもしれないなどという幻想を、希望を木っ端微塵に噛み砕け! まずはあの黒い女からだ。それが終わったら――この場に居る全ての命を残さず余さず喰らって糧としろ! はあははあはははあは!」
マスティマが嗤いながら叫ぶと、ゆっくりとマスティマの側の空間がひずみ、周囲のジズが伏せるような動作を見せる。
そうしてその中心部に白い竜が姿を現した。
その姿を目にして脊椎につららをぶち込まれたかのように一気に体温を奪われる。
ジズ達とは違い、羽毛でその身を覆われた純白の竜。
だが尾だけは漆黒の、さながらむき出しの骨のような外骨格で覆われていた。
四本足で大地を掴み、その背から巨大な三対の副腕が何かを求めるように蠢いている。
ヤモリのような感情の無い瞳は焦点が何処にあっているかも解らない。
喉元まで裂けた口の周囲には巨大な乱杭歯が生えそろい、いくつもの拘束具でその口を強制的に閉じられ、その獰猛な本性を抑え付けられているように見える。
ジズ達の中においてそれほど巨大では無いが、羽毛に覆われたその身体がどれほどの規模か正確には判断出来ない。
けれど、それでも一目見ただけで解った。
こいつは、別格だと。
バル=ヨハニと呼ばれた個体はジズ達と同じ系譜でありながらも全くの別種にも見える。蟲のような竜。神々しくも邪悪な白い異形。
マスティマに頭部の拘束具が外されるとそいつは静かに、動き出した。ぺたぺたと軽やかな動きでシャーリーの元へ。
こいつには、勝てない。
へなへなと腰が砕けそうになるのを根性で支え、危機を伝える。
「シャーリー! 逃げろ! そいつは何かおかしい――!」
二匹のジズの返り血を浴びながらその臓物を引き抜き破壊していたシャーリーは十分な距離を取ってバル=ヨハニへ視線を向けた。
けれど遅かった。声をかけるのが?
違う。
マスティマがこの場にあいつを、バル=ヨハニを連れてきた時点で全てが遅かったのだ。
ゆっくりと歩いていたはずのバル=ヨハニは、世界に溶け込むように一瞬で姿を消す。
筋肉の動きによる動作予測は羽毛によって覆い隠され、踏み込む様子等は一切見えず、正にノーモーションと言うしか無い。
「ぎっ――!」
次に俺達が相手の姿を認識した時、全てが終わっていた。
バル=ヨハニは全身を覆う羽毛を逆立てその身体に隠された邪悪な斑模様を誇るかのように晒す。
その時点で既に黒い装甲ごとシャーリーの左腕は食いちぎられ、奪われていた。
バル=ヨハニはシャーリーの腕を乱雑に咀嚼し、飲み込んでいく。
「があああああああ!!」
シャーリーの叫び声がむなしく響く。
文字通り、規格外の化物。
「はははははは! 神を穿つ為に作り上げられた終末の禽(バル=ヨハニ)に、お前達ごとき虫けらが敵うと僅かでも期待したか!?」
マスティマの哄笑が響き渡り、辺り一帯からは動けない民達の悲鳴が飽和していた。
気付かぬ間に昏倒し、動けない魔界の民達もジズに襲われていたのだった。
「やめろ……! やめてくれ!!」
ヴェルベットが叫ぶが俺には何も出来ない。ここでヴェルベットを失う事だけは絶対に避けなくてはならない。心を鬼にして、涙を拭いながら走る。
絶望が包み込む魔界。
バル=ヨハニは喰らったシャーリーの力を自らに取り込むかのようにその場で自らの身体を再構築し肥大化させ、無慈悲に前足を上げシャーリーへと振り下ろす。
だがその瞬間、唐突に光が周囲を満たしジズ達の動きがびたりと止まった。
「ぐっ!? なんだ!? どうしてこのゴミ溜めでこの力が――!? まさか――!」
マスティマのくぐもった怒声が響いた。
「そうか……! ここに居たか! エイリアス=ナイン! 今更お前ごときがこの世界で何が出来るというのだ! 今までのように指をくわえて――」
瞬時にマスティマの顔面に光の鎖が巻き付きマスティマの動きを封じた。
マスティマ、ジズ、バル=ヨハニへ光鎖が大量に突き刺さり、がんじがらめにして動きを封じていく。
そしてマスティマ達の前に立ちふさがっている存在。それは……黒猫キューだった。
「構築が間に合わニャい……! ここ、から、離れて! 早く!」
訳がわからないことばかりだった。だが、今自分が何をすべきかだけは解る。
「ヴェルベット、ちょっとだけ待ってろ!」
震えるヴェルベットをその場に下ろしてシャーリーの元に駆けていく。
左腕が食いちぎられ大量に出血しており、バル=ヨハニの巨腕で今にも潰されそうになっている所だった。
キューの封印が後少しでも遅ければシャーリーは頭部を破壊されていただろう。
俺はシャーリーの身体を引っ張り出して背負い、結界の外に向かい走って行く。
現場に残っていた民達も黒い月の光を受け徐々に動き出し逃げ出し始め、まだ動けない民も集まってきたマゴット達によって結界の外に運び出されて行った。
「お前も早く!」
結界の中にいるキューへ手を伸ばす。だが、キューは悲しそうに首を横に振った。
「ふふ、優しいね、人間。でも私は、内側に残らなきゃ。私はきっとこの為に壊れていたんだから。今から残った力で可能な限りマスティマとジズを封じてみる。けど、それはきっと長い時間じゃ無い。――だからその間に、なんとかあいつらを倒す方法を見つけ出して。無茶を言っているのは解ってる。けどそれが出来なければ、マスティマが神に成り代わり、魔界だけじゃ無い、天界も、人間界も、この世界全ての未来が閉ざされてしまう。こんな、事に……巻き込んでしまって、本当に、ごめん。けれど、お願い、急いで。――レッド、ドラゴンを、本物のルシファーの力を――!」
「一体、何を言って――!」
直後、光の壁は密度を増していく。鮮血を吐きながら光を放つキュー、その首元の見慣れたチョーカーに付いている小さな鈴が、ちりんと響いた。
「――――!」
光の壁は不快な金属音のような高音と共に光を失い、鈍色の直方体へと変貌していた。
マスティマがこの結界を破るまでに、なんとかしてくれ?
レッドドラゴン? 本物のルシファー?
そしてマスティマを封印出来た黒猫キューとは一体何者だったのだ。
全て訳がわからない。だがとにかく今は皆を救うために身体を動かさなくてはならない。
腰に巻いていたベルトを外し、シャーリーの腕を思い切り締め付けて止血した。
「とにかく生きている者は全て魔王城の中へ! リベルシア、マゴットも皆、中に誘導してくれるか!」
「解りました! 急いで皆に伝えます!」
「頼む! あと、シャーリーの手当を……!」
「任せて下さい! マゴットの……いえ、ベルゼビュートの名にかけてこれ以上は誰一人、絶対に死なせはしません!」
血みどろの現場で多くの動けない者達を城の中に運んでいく。
ヴェルベットは一言も発さず、発せず、惚けたようにただ涙だけを流していた。
一部補足。
・量産型天造魔王ジズ
主に毒素の散布によりエナジードレインを行う。
ルシファーを基として天界で生み出された量産型魔王。
・終末の禽バル=ヨハニ
神を殺す為に生み出されたルシファーの力を再現する為、マスティマによって作られた天造魔王完全体。
捕食によってエナジードレインを行い際限なく成長する。
当初の計画では魔界の民を毒素散布によるエナジードレインで喰らったジズ達を
バル=ヨハニが捕食することで間接的に魔界喰らいを行おうとしていた。




