魔界喰らい -Inferno vorax-
「くそ……何が起こってんだ……!」
俺とヴェルベットはリベルシア達と別れスレイポニーを走らせながら魔王城へ急いでいた。
※
あの後、リベルシア達は別動部隊と連絡が取れなくなった。
不審に思いマゴットの伝令が着弾地点に最も近い村に急行すると既に村は第二救援部隊ごと干からび、死に絶えていた。
命を根こそぎ吸い尽くされたマゴット達の変わり果てた姿だけが乱雑に転がっていたのだ。
その場には俺達が目の前で見たような脱皮痕、そしてそれとは異なるもう一つの脱皮痕が発見されている。
それはあの異形が更なる成長を遂げたと言う事を意味していた。
第二の脱皮痕から出現したと思われる存在が残した痕跡はまっすぐに魔王城へと向かっていることが確認された。
「お前達は何とか先にこの事を皆に伝えて貰えないか。魔王城のメイド長シャーリーにこいつを見せれば伝わるはずだ。私たちはこのままこの痕跡を追う」
ヴェルベットは紙切れに本人証明となる魔力の残滓を残したサインと共に指示を書き、リベルシア達にそれを託した。
「解りました。命に代えても必ず間に合わせてみせます」
仲間を失ったリベルシアは大きく憔悴しながらも、これ以上被害を広げない為に協力してくれる事となった。
長い期間迫害されていたマゴット達だ、中にはその決定に反対する者も居ただろう。
それでも皆がリベルシアに協力してくれたのは先日のダイモンとの騒動がマゴットの中で伝わっていたからだとも言う。
「頼む。俺達もすぐに向かう。俺は魔素で動いている訳じゃ無いからあいつの毒素は効かない。俺にしか出来ない事もあるかもしれん。あっちで落ち合おう」
「ええ!」
※
「何とか追いついたか……! 随分大きくなりやがって」
疾走するスレイポニーの背から魔王城手前の荒野に白い異形が目に入った。
先ほどの村で見た樽形プラハのように白い身体をしてはいるが形状は全く異なり地を這うトカゲのような外観をしていた。
その身体からは虫のような副腕や有機的な管のような物があちこちから生えており、見たことも無い異形という意味では樽形プラハと同じでもあった。
何よりも驚かされたのはそのサイズだった。先の個体とは全く異なっており、体高こそ二メートル弱程だが、体長は五メートルをゆうに越える程にまで達している。
恐らくは先の壊滅した村の人達から得た魔力で成長したのだろう。
「なんじゃあの化物は……! くそ、あんなのを町に入らせるわけには行かんぞ……しかもまたしてもこの毒か……!」
ヴェルベットはそう言って苦しそうに息を荒げる。
「まだ毒の影響残ってるのかよ」
「私はさっきの中和が効いてるんだろう。息苦しいだけでさほど影響は無い。だがこの距離でこれだけ影響があるのだ。こっちは風上なのに――! 風下の濃度は段違いかもしれん。もしそうなら対策されてない町の中は大変なことになっているはずじゃ」
スレイポニーも徐々に走るのを止めて、とぼとぼと苦しそうに歩き出した。
「そうか、こいつも魔界の生き物だったな。降りようヴェルベット。ここからは走るぞ。――お疲れさん、よく頑張った」
首筋を撫でて降りるとスレイポニーはぶるると首を振った。
苦しそうなヴェルベットの手を引いて異形プラハの元へと駆けていく。
リベルシア達マゴットの精鋭部隊が張り付きながら牽制しているが人数が圧倒的に足りず、プラハの敏捷な動きに多くの者はついて行けていない。
近寄るとその大きさに更なる脅威を感じた。
背中から生えたいくつかの管からは黒い煙のような物が散布されている。恐らくはこれが毒素なのだろう。
「遅くなった!」
黒い槍を手に攻めあぐねているリベルシアに声をかけ、一旦距離を取る。
「魔王様、お待ちしておりました!」
「何とかなりそうか? 解ったことがあれば教えてくれ」
「正直、状況は悪いです。動きはともかく毒素の排出量が先の個体とは比べものになりません。我々の解毒班を街に向かわせましたが……この街の規模となるとじり貧です。大気に散布された毒が回る方が早い……。急いで本体をどうにかしないと恐らくは町の人が持ちません」
プラハは静と動の緩急の付け方がかなり激しく、近づけば即座に鋭い尾によって打撃を与えてくる。
クルルルと奇妙な鳴き声をあげながら尾を振り回し周囲に近づく存在を威嚇しつつ、常にその背中から毒素をまき散らし続けている。
城下町の入り口には大量の悪魔が倒れているのが見える。
恐らく異変に気付いた街の悪魔達が外に出てきて迎撃しようとしてくれたのだろう。
今戦えるのは毒に耐性のあるリベルシア達約十人程のマゴットと俺、そしてヴェルベットのみ。
「リベルシア、やはり炎は効かないか」
「ええ、恐らくは先の村で我々の先遣隊を壊滅させた段階で炎に対しての耐性を獲得しているようです。ただ物理的な干渉に対してはそれ程強くも無いようです。それでも表皮は硬く生半可攻撃はほぼ通りません。槍ですら突き刺さりませんから矢もはじきますし普通の手段では切り裂く事も難しいかと」
一体目はドレインに特化しており、物理攻撃によって安易に撃破出来た。だがすぐさま物理攻撃に対して強力な姿へと脱皮し、成長した。
二体目は先の村で炎に対して何らかの耐性を得ているのだろう。
こいつを倒す為には魔法か物理かの強力な攻撃を用いて一撃で葬り去らなければならない。
そうしなければ耐性を付けてどんどん強化されていく可能性が高い。毒素によって周囲の住民から吸い出された魔力も吸い上げ続けているし持久戦に持ち込めばこちらがやられる。
「成る程な、厄介な相手だ。ヤマダ、どうする。炎が無理なら電撃とか結構得意だぞ」
言いながらヴェルベットは右腕にばちばちと青白い火花を散らせる。
「そう、だな。やるなら中途半端じゃ駄目みたいだ。周囲に被害の及ばない最大出力で局所的に集中して一撃でぶち抜ければ最高なんだが、いけるか?」
「お安いご用だ、任せとけ。だが少々時間は貰うぞ」
「解った。その時間は俺らで稼ぐ。――ってことであとひと頑張り頼めるか?」
「フフ、勿論です! 行くぞ、皆! 怪我をした者は下がって解毒班に合流しろ! 我らであいつの動きを押さえる! あ、魔王様、私のスペアです、こちらをお使い下さい!」
リベルシアは俺に自分が持っている者と同じ黒い槍を手渡してくれた。それは非常に軽く、正直言って頼り無い程だった。
「すげー軽いな、大丈夫かこれ」
「ああ、重さですか? 一度軽く突いてみて下さい」
言われたとおり小さく空を突く。
「おお、成る程ね」
持っている時は羽のように軽いが、いざ突きを繰り出すとそのベクトルに向かってのみ重くなる。不思議な感覚だが俺でも扱いやすそうだった。
「すげーなこれ、トンカチとかに応用したら馬鹿ほど売れそう」
「おそろい……魔王様とおそろい……フフフ!」
だがリベルシアは自分の世界に入っていた!
俺達は散開し、異形を取り囲み断続的に攻撃を仕掛けながらその進行を止める。
身体をくねらせながら街に近づこうとする異形プラハ。こいつが街に入ったら詰みだ。
巨大なワニほどのサイズを持ち、ミズオオトカゲほどの機動力を持つと考えれば驚異的な存在だった。近づいてみるとその異常さがよくわかる。
鞭のようにしなる長大な尻尾は丸太のような太さだが先端は細く刃物のようになっている。振るわれた尻尾の先端は既に目で追えるスピードではなく、完全に視界から消える為軌道を予測して躱す必要がある。
恐らく尻尾の攻撃を食らえば良くて複雑骨折、当たり所が悪ければそのまま切断されるだろう。
怪我をして戦線離脱したマゴット達は皆この尻尾にやられている。そしてワニと違って恐ろしいのはその首の長さ。
背中に乗って相手の動きを押さえることが出来ない。更にその胴体から生えた人の腕のような器官。不規則にいくつも生えているその腕は近くにある物を掴んでは投げる。
ただそれだけの動きを繰り返すだけだが土や石を断続的に投げつけられながら尻尾での攻撃を警戒するのはなかなか難しい。更に近づきすぎればその腕に掴まれそのまま餌食とされてしまうのだろう。
まだ犠牲者こそ出ていないがこちらの得物自体はいくつも奪われているようだ。正直弱点らしい弱点が見つからない。
こんな化物、相対するだけでちびりそうだ。
現状身体から生えた腕だけは柔らかくそこに対しての攻撃を嫌がる事から痛覚自体は存在しているらしい。もしもこいつが我を忘れて突進してくるようなことになれば質量から考えても押しとどめるのは不可能だろう。
「おいヴェルベット! まだか!」
「せかすな! あと少し……! よし、いいぞ! みんな離れてくれ!」
「散開しろ!」
ヴェルベットとリベルシアの声を合図に皆が異形プラハの周囲から飛び退く。
大きな被害も無くなんとか上手くいきそうだと油断した瞬間、突然異形プラハは何かに反応し、方向を変えて突進し出す。その先に居たのは小さな黒い生き物。ヴェルベットの飼い猫、キューだった。
「――なんで城にいるはずのお前がこんな所にいるんだ!?」
恐らく気付いているのは俺だけ。既に詠唱に入っているヴェルベット。そしてキューに襲いかかろうとする異形。やはり俺しか、間に合わない。
「くそったれ! 後味が悪ィのは勘弁しろってんだ!」
身体を低くして地面を蹴りキューの元へと駆けていく、音が無くなる感覚。地面が程よく湿っていたことが幸いしてグリップは悪くない。
これなら、間に合う。間に合え。間に合わせる!
異形の頭部に向けて思い切り黒い槍を投げつける。
即座に尻尾ではたき落とされたが、僅かな隙が出来た。
もうヴェルベットの方向を向く余裕は無い。思い切り地面を蹴ってキューの元へと飛び込み、その小さな身体を抱き胸に引き寄せ肩から着地する。
鈍い痛みが走った。直後地面が裂かれトラックのようなプラハの巨体が轟音と共に走り抜けていく。同時に肩にボウリングの玉でぶん殴られたような衝撃と共に走り赤い血が派手に散る。
プラハと接触し、肩の肉を切り裂かれたことを理解する。痛みは無く、ただ熱い。キューを庇いながら転がって走りすぎていった異形プラハの後ろ姿を視界に捉えた。
上手く行ったと、そう思った。
ヴェルベットを見る。だが俺を見るその顔には恐怖が刻み込まれていた。そして。
「――――!!!」
ヴェルベットの悲鳴と共にその腕へと黒い虹がまとわりついていく。
まるでその腕だけが別の生き物に変異したかのように不気味な輝きを宿しながら。
周囲の悪魔達はばたばたと倒れていき、それは毒の影響を受けないはずのリベルシア達ですら例外では無かった。俺だけが何も影響を受けていない。
だから、それを見ていられたのかも知れない。
気がつくと、泣き叫ぶヴェルベットが前に伸ばした腕から放たれた黒い虹色の光が異形を飲み込んでいった。