山田、化物をぶん殴る
荒野の中、ひたすらに狼煙の根元を目指して駆けていた。
漸く小さな村らしきものが遠くに見えてきた。
だが狼煙が上がっている以外には何も変化を感じない。
火の手が上がっているわけでも無く、騒がしさも感じないし、声だって聞こえない。
そのまま首位を注意深く観察しながら村までたどり着いた。
周囲を良く見やりながら安全そうな場所を選んで俺が先にスレイポニーから降りる。村の周囲をぐるりと囲ってある低めの柵にスレイポニーを繋いでからヴェルベットを抱えて下ろす。
「何だ、何もなさそうじゃが……いや、違う。何もなさ過ぎる?」
ヴェルベットが呟いたとおり、確かに人の居る気配すら感じないし生活音もしない。立ち並ぶ家々は壊れているわけでも無く綺麗だし、手入れもされており荒廃した廃村という感じも受けない。
まるである日突然住人だけが居なくなったかのような違和感。ヴェルベットと顔を見合わせて門へと急ぐ。
「おーい! 誰かいるか!」
大声で叫ぶも返事は無い。
「うぐ……」
声がしたと思ったがそれは隣のヴェルベットからだった。苦しそうに呼吸を荒げ、俺の手を掴んでいる。
「おい、どうした!?」
「大丈夫、じゃ。ちょっと魔力の流れが、荒らされてる」
俺は全くと言って良い程何の影響も受けていないがヴェルベットは立っていられないとばかりにその場にしゃがみ込んだ。
「……お前は外で待ってろ。俺が見てくる」
「いや、大丈夫。おぶってくれないか」
「それは構わねえが……いいか、やばくなったら絶対言えよ。それが約束出来るなら連れてってやる」
苦しそうだが頷くヴェルベット。すぐにしゃがんで、背中を差し出すとゆっくりとヴェルベットがおぶさった。
そのまま立ち上がり道なりに進んでいく。魔王城の城下町に多かった樹脂製のドームハウスとは異なり、土で作られたかまくらのような家が並んでいた。
家々の間を早足に進んでいくも人影は一切見えない。何か不気味な物を感じながら最初の角を曲がると目の前の地面にマゴットが倒れていた。
「――っ! おい、無事か」
粘液に覆われた埴輪状の民、マゴット。
呼吸器官が粘液でふさがってやしないかと心配したが、どうやらその点に関しては問題無いらしく息もしっかりしている。
だが苦しそうに顔をゆがめ、村の中心地であろう一方を指で指し示し、がくりとその力を失った。
「大丈夫、死んではいない」
介抱しようと思ったが、マゴットが指さした先には同じような状況のマゴットが何人も倒れている。まずは原因を突き止める方が先だ。
「く……そ、なんだこれは……どんどん強くなってる。力が漏れていくみたいな感覚だ」
「村の中央に進むほどってことか? お前はやっぱり置いていった方が――」
「私は何が起こっているかこの目で確認しなくてはならないのだ」
「ガッツ在るじゃねえか、見直したぜ」
マゴットとヴェルベットにのみ作用する何らかのネガティブ要素。俺には一切影響が無い事から魔力を持つ物に働きかけるタイプの物だろう。
ヴェルベットを背負って多くの倒れたマゴットの間を通り抜けていくと原因を探すまでも無く、村の中央に位置している井戸のような設備のすぐ近くに白い異形が蠢いていた。
「……ヴェルベット、これも魔界の馬とか犬とかそんなのか?」
そんなわけが無い事は百も承知だった。魔界と人間界においてそれほど大きな差異というものは見かけない。
動物だって多少の違いはあれどそれなりに似通った物ばかりだった。だが、この異形は全くの別種であり、見たことも無い化物だった。
巨大な樽のような、謎の形状。艶のある真っ白な身体には細かい鱗のような物が確認出来た。大きさは二メートル強程で、胴体の下部からは甲殻類のような脚が大量に生えている。
上部にはヒトデのような五本の短めの触手がうねり、その周囲は更に細く長い触手が生えそろっていた。
まるで触手で出来た植物のような印象だ。そして樽形の胴体には黒髭危機一髪のように規則的なスリットが並んでいる。
これに似た生き物の名前を上げろと言われても何も浮かばない。
頭部や四肢が存在しない為、どこがどこに相当しているのかも不明で、構造からして全くの未知数だった。
強いて言うなら爬虫類とサボテンをミキサーにぶち込んで、そのどろどろでイソギンチャクをかたどった物とでも表現すべきか。
頭部から生えた太い触手の先端には黒い球体がついており、ふらふらと揺らしている。何を感じ取っているのかは解らないがこちらを何らかの方法で認識しているのは確かだった。
「……こんなの、初めて見る。でも魔力を乱している原因はこいつで間違いない。周囲の生命体の魔力をを強制的に喰ってる……? すまない、ヤマダ。もし近寄っても平気なら物理的な打撃であいつをなんとかできないか。私は生憎役に立てそうに無い」
「……おう、まかせとけ」
周囲を見渡すと異形の鎮座している井戸の周囲は広場のようになっており、そこから放射状に道が伸びている。
見晴らしは良い為、一番近くにあった民家の軒下にヴェルベットを下ろした。周囲を見渡して、側にあった農具のような物を手に取った。頑丈そうな木の棒の先端に金属製の鉤がついている。
恐らくは小柄なマゴット用の物なので一メートル弱とやや短く心許ないが手ぶらよりはマシだろう。
異形の様子を見ながらゆっくり近づいていくと、長く伸ばしていた触手を引っ込め、本体の下部から無数に生える大量の脚に力を込め、その身体を地面から浮かしのろのろと俺から逃げるように動き出した。
「おらああああ!」
威嚇のつもりで農具を振り回していると上部から生えた触手の先端に当たった。ぷちっと軽い手応えと共に先端の球状の部位は青色の体液を飛び散らせながら破裂した。
「ギィユイイイイイイイ!」
どこから声を出しているのか急に叫びだし、触手をぐねぐねと奇妙に蠢かせる。アモンとは違った生理的な気持ち悪さがあった。
だがこいつが村に住むマゴット達から魔力を吸い出しているのであれば放置は出来ない。今度は逃げ出せないように脚を狙って農具を振り下ろすと乾いた音を立てて折れていく。大量に生えてはいるが、一本一本は細いので脆く感じる。
「なんか弱い物いじめみたいで心痛ぇな……だがまぁ、恨むなよバケモン!」
胴体めがけて思い切りフルスイングを行おうと振りかぶった瞬間、樽状の身体に規則的に並んでいたスリットは突然全てが開き、いくつもの目玉のような器官を露出させた。
頭頂部の触手の合間からせり出すように一際巨大な巨大な腕のような器官がずるりと生えてきて俺の持つ農具を即座に掴む。馬鹿みたいに力が強くぴくりとも動かない。
「離せこの野郎!」
叫びながら奪い取ろうとするが、びくともせず今度はぴきぴきと音を立てて農具を圧壊させた。
握りつぶされた部分から農具をねじり切って相手の身体を蹴り距離を取る。
樽形の異形は大量に生えていた脚を全て引っ込めるとぶるぶると震え、体表の目玉は全て閉じられ横倒しにゆっくりと倒れた。訳がわからない。
チャンスとばかりに先端を失い短くなった農具を握り直して打撃を与えようとしたが、その胴体は突然アケビのようにばつんと縦に裂けた。
「なんだ? 自爆?」
終わったと思ったが直後思い違いであることを理解する。
胴体の裂け目からはぞわぞわとした動きで奇妙な生き物が這い出してくる。
一回り小さくなったそれは先程とは全く異なり、ぶよぶよとした灰色の表皮で覆われ、肥大化した胎児のような異常な形態を取っている。
先ほど農具を掴んでいた腕はこいつの背中から生えた尻尾のような器官らしい。
四肢は未発達だが背中から生えた巨大な腕だけは俊敏な動きと異常な握力を備えている為、むやみに近づくわけにはいかない。
「おいおい、なんなんだよおめえはよ!」
巨大な胎児型の異形は側にあった脱皮痕からだらしなく伸びていた触手を引き抜いてそれを鞭のように振り回す。
先程とは違い、そこそこの運動性能は持ち合わせているらしい。
飛び退いて地面にあった石を拾い、思い切り投げる。コントロールに自信はなかったが、見事胴体に命中した。
だが石は灰色の異形の体表を覆う粘液によって衝撃を殺されそのまま地面へと落ちていった。
全くダメージを受けているようには見えない。だがかといって接近するにはリスクが大きすぎる。一旦下がって立て直そうと思った直後、
「言葉がわかるなら伏せろ!」
声の直後、その場に伏せると俺の頭上を大量の矢が通過していく。
様々な種類の矢が放たれ、中には火矢まで確認出来た。
上空を見上げると逆光でよく見えなかったが、複数の悪魔が飛んでいるらしい。
「誰だか解らんが助かった!」
声をかけると号令をかけていた悪魔が驚き、動揺しているように感じた。
目の前の異形に意識を戻すとどうやら体表の粘液によって打撃は衝撃を分散させられ無効化されてしまうようだが矢のような突き刺しに関してはそれなりのダメージが通るらしい。
それ以上に火の効果が大きいらしく他の物とは明らかに違った反応を見せ、苦しそうにもがいていた。
長い腕を振り回しころげまわりながら消火していく。
効果は覿面だと言っても火矢程度の小さな火だと致命傷にはなり得ないのかもしれない。
「おい、誰か知らんが他にでかい火ないのか! 一気に全部火矢で射かけるとか出来たら最高なんだが!」
「……油と火なら多少残っていますが……!」
その口ぶりからそれほど余裕は無いのだろう。だがそこでヴェルベットの事を思い出す。
「おい、ヴェルベット! なんかでかい火だせねえか、火!」
倒れたヴェルベットに向かって手を振るがぐったりしたまま『動けん』と視線を送ってきた。
「ヴェルベット……? 魔王様、今なんと?」
空に居た悪魔達は地面に降り立ち、異形から距離を取って包囲した。
それぞれの個体が薄い羽を携えており、昆虫のような出で立ちをしているこの面々もある意味では異形だったが少なくとも会話は通じるし、味方だと思っても良いのだろうか。
「うん? 何がだ?」
「ここに、ヴェルベット様がおられるのですか」
リーダーと思わしき銀髪の少女が俺にそう問う。もしかして、不味い事を口走ったのか。
「えっと……」
「答えて!」
鬼気迫る表情だった。確かに今はそんな細かい事を気にしている場合では無い。まずは背後で体勢を整えつつあるあの異形をぶっ飛ばさない事には話が進まない。
「――ああ、居る。あそこで伸びてるちっこいのがそうだ」
ヘタれたヴェルベットを顎で指し示した。
「僥倖です……! だったらなんとかなるかもしれません。――あいつを倒す為に協力して頂けますか、魔王様」
「俺に出来る事なら何でもいいぞ。あ、でも俺は魔王じゃないし俺に魔力は――」
「構いません」
そう笑った少女は俺の首に手を回し、口づけた。
意味が解らなかったのでそのままフリーズしてたっぷり数秒そのままの状態で停止していた。
「――あちらの少女がヴェルベット様ですね」
俺から離れた少女は上気させた表情でそう言うと俺の返事を待たずして、ぐったりしたヴェルベットの元へと飛んで行く。
え、今のキスなに? 説明無し?
混乱している俺の目の前でヴェルベットも少女にキスされている。なんだこれ。
「な、なんじゃお前は! ぺっぺっ! いきなり何を――あれ? 何か楽になった」
「疑問は後からいくらでも。まずは炎であいつをふきとばしてください。貴女なら出来るんでしょう、ヴェルベット・チャーチ!」
「くっそ、なんじゃお前! 全然訳がわからん! だがまぁいいだろう! 今の私はすこぶる機嫌が悪いからな! 八つ当たりさせて貰うぞへんてこ生物! ――燃え尽きろ!」
ヴェルベットが顔を真っ赤にして怒り、掌を向けてそう叫ぶと異形を白炎が包み込んだ。
「ギイイヨイイイイイイ!!」
叫び声を上げながら転げ回っていたが、徐々に動きは鈍くなりついにはそのままぶすぶすと燃え尽き、炭化していった。
時間差で不愉快な生臭さが辺りに充満していく。
「な、なんだったんじゃあれ」
呆然としながら鼻をつまんで俺の居る広場まで歩いてくるヴェルベット。その様子はまるっきりいつも通りで先ほどまで苦しんでいたのが嘘のようだ。
「おい、大丈夫なのか? そんな動いていいのかよ?」
「へ? ああ、なんともない。なんだったんだ、さっきまで動けなかったのは」
「毒です」
気がつくと先ほどの謎の少女が側に跪いており、答えた。先ほどは気がつかなかったがなんとも不思議な見た目をしている。奇妙な模様の眼帯をつけ右目を覆い、浅黒い肌をした銀髪の少女。深い蒼黒のぴったりと身体に張り付くような衣装に昆虫のような外骨格と薄い羽を携えた姿は魔界の城下町でもあまり見ないタイプだった。
「毒? ……そうか、確かに毒を媒介に魔力を強制的に体外に放出させてエナジードレインを行っていたのであれば納得も出来る。で、お前は誰なんじゃ。何故あれが毒だと知っていた」
「ボク達は……ベルゼビュートの名を持つマゴットは、毒についての知識ならたとえ魔王様にも劣りません」
そういって顔を上げる。
「ご無礼を致しました、魔王ヴェルベット・チャーチ。そして――」
次は俺に向き直ると立ち上がり、嬉しそうな表情で俺の手を取る。
「そして、またしても助けて頂いた。やはり貴方こそがボクの魔王様なのです」
「ん?」
俺魔界に親戚とかいたっけ? ぼけーっと考えていた。マゴット? 魔王様?
「どこかで会ったっけ?」
そう告げるも返事は無く小首をかしげつつにこにこと笑っている少女。そうだ、目の前のこいつが少女だから訳がわからないのであって――。
「え!? お前あんときの少年か!? あんときゃ男だったじゃねえか!?」
「ええ、あの時はまだ幼生でしたから。ですが魔王様のおかげでボクも立派な大人になることが出来ました」
妖精!? にこりと笑われるが全く意味が解らない!
そしてなんでキスされたのかも未だに説明が無い!
「訳がわからん……ただ、つまり口移しで何かの毒素を分解したって事か」
「ヴェルベット様に対してはそうですね」
「じゃ俺は」
「初めては好きな殿方が良いかと思いまして」
といって身体をしならせる。
「なんじゃそりゃあ!」
「何浮かれとんじゃ!」
ヴェルベットにべし! と尻にボレーキックを入れられる。
俺何も悪いことしてない!