山田、シャーリーから本を借りる
「はっ!」
気がつくとそこは城に入ってすぐの台座の上だった。
台座に適度なクッションがあった事、そして何より疲れていたのもあり、あのままぐっすり寝ていたのだろう。
だが、尻は丸出しだった!
「せめて終わったら尻くらい仕舞って行けや!」
不親切にも程が有るのでは無かろうか!
流石にあの状況で尻を丸出しのままどこかに行くなど通常では考えられない。
酷いメイドだ。駄目メイドめ。
だが恐る恐る尻に触れてみると薬は効いたらしく随分痛みは引いている。
これなら普通に歩ける程度までは回復しているかもしれない。
「よっと」
立ち上がりズボンを上げ、ベルトを巻き直しているとタイミング良く長い廊下の先からぺたぺたとヴェルベットが歩いてきた。
寝間着らしく、グレーのパッチワークの大きなパーカがまるでミニワンピのようになっている。
「おはようさん」
と声をかけるとヴェルベットはびくりと身をはねさせる。
「あ、ああ……ヤマダだ。そっか、私お前を召喚したんだった」
「そこからかぁ……」
まぁ色々あったので仕方ない。
筋肉が凝り固まっているのでぐっと伸びをして軽くストレッチする。
「何それ」
「ストレッチだ。やるか? 結構気持ち良いぞ」
「やるやる、教えて」
とりあえず覚えている限りでラジオ体操のメニューをこなす。
丁度良い具合に身体が温まった頃にシャーリーが広間に顔を覗かせた。
「おはようございます、姫様。食事の準備が整っております」
「ありがとう、すぐに行く」
「あれ、食事取るんだな。別に魔法使わなきゃいらんのじゃ?」
「生きていくだけならそりゃ要らないけどなー、色々あるんだ! 魔王には!」
まぁ貧相なのでもっと栄養は取った方が良いのだろう。俺も後を着いていく。
「……なぁ、シャーリー。俺のは?」
食卓についたが俺の目の前には何も運ばれてこない。ヴェルベットの前にだけカラフルなフルーツのようなものがちまちまと並べられていく。
「逆にお聞きしますが、どうしてヤマダ様は自分の分があると思われたのでしょう?」
滅茶苦茶冷たい眼でそう告げられる。昨日は俺の尻をなで回して泣いていたくせに。
「ください。シャーリーさんご飯をください」
「でしたら庭に行けばよろしいかと」
「なんだ、バナナでも生えてるのか」
「バッタが居ます」
「食えるかばーか! ばかばかばーかばかメイド!」
「なんだシャーリー、ヤマダをいじめて遊んでいるのか、駄目だぞ。仲良くしないと。ヤマダはこう見えて――あ、これ美味し……」
ヴェルベットは途中で果物に意識を持って行かれてしまった!
「はっ、冗談で御座います。きちんとヤマダ様のお食事も用意しております」
「あ、今の嘘。シャーリー大好き」
「私は大嫌いで御座いますけれど。はい、こちらです」
冗談もクソも無い!
大きな銀色の蓋がかぶせられている皿が目の前に出され、蓋を開けられる。バッタだった。
「もういいよバッタは! 何のこだわりがあるんだよバッタに!」
「違います。こちらは客人に目でも楽しんで頂けるように飾り切りを施した姫様と同じフルーツの盛り合わせで御座います。自分で言うのもなんですがなかなかの再現度かと思われます」
「無駄な技術! 一体何の意味があるんだよ!」
「理由ですか? 嫌いだからです」
「どっちが! 俺か!? バッタ!?」
シャーリーはその問いに答えずにこりと笑顔を向けてくる。言わんでも解る、俺だ……!
「はぁ、いいや。見た目だけなら別に。貰えただけで十分だ。頂きます」
目を瞑って口に入れる。
「……うわっ」
小さく声を出すシャーリー。
やめろ、地味にそういうのが一番ダメージでかいんだから。
けれど心配を余所に確かに味はフルーツその物で美味しかった。
「ほんとに見た目だけでちゃんとフルーツなんだな。美味い」
「ちっ」
「舌打ち! なァヴェルベットお前のメイド俺のこと嫌いすぎだぞ!」
「あま~い」
こっちはこっちでトリップして使い物にならない!
仕方なくそのまま黙々とバッタ型フルーツを完食した。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま~」
「食器を下げさせて頂きます」
シャーリーはそう言って食器を下げていく。だが最後に俺の目の前に小瓶を置く。
「ヤマダ様はこちらもどうぞ。虫下しでございます」
「えっ」
えっ。ええっ。何で?
慌てふためく俺を尻目にぷすっと笑うとシャーリーは猛スピードでワゴンを押しながら廊下の彼方へクールに消えていった。
「ははは」
ヴェルベットは笑っているが俺自身は全く笑えない。
「大丈夫、ヤマダ。シャーリーは冗談が好きなだけだよ。本当に嫌いな奴は半殺しにしちゃうと言っていたし」
――あ、それ昨晩されかけました。
俺はいつか必ずやあの鬼メイドを泣かしてやるのだと誓った。
「さて、今日も一日がんばるぞっと」
「……頑張るってお前何すんだ」
昨日は魔王などニートで良いとか言ってたのにちゃんと働いているのだろうか。
「まぁ、魔王だし一応な。嘆願書とか来るし。そんなわけで暫く忙しいからヤマダはキューの相手でもしておいて。あ、そうそう、昨日言ってた教科書とか見たかったらシャーリーに聞けば場所を教えてくれるはず」
「キュー? ああ、お前の飼い猫か。解った。何か手伝える事があったら呼んでくれ」
「うむ! 多分無い!」
「知ってたけどなんか断言されたら切ないな!」
そういえば教科書という言葉があるのであれば学校もあるのだろう。
ヴェルベットはそこに通わなくても良いのだろうかと考えながら庭に続く廊下を歩いていた。
城の内装は何処に行っても真っ黒で床には赤いカーペット。
何処に行っても中二カラーなのはやや眼がしんどい。
目頭を揉み込んで窓からなるべく緑を見るようにして歩いていると丁度シャーリーの姿が目に入る。
「おーい、シャーリー」
手を振ると洗濯物を抱えたシャーリーと目が合った。……だが無視された!
「おい、無視すんな! バッタイーター!」
走って追いかけるとすこぶる嫌そうな顔をされる。
「……なんだ。あとバッタイーターはお前だ」
「お前のせいでな!! ってもうバッタは良い、教科書とか歴史書みたいな本が置いてある場所を教えてくれ。ヴェルベットが忙しいらしいからそれでも読んで時間潰そうと思って。俺も魔界の事とか知りたいし」
「スパイ行為……?」
「単純な知的好奇心だよ!」
ただでさえよく解らない世界に突然連れてこられたのだ。
皆牧歌的なので問題は無いだろうが少しでも知識で身の回りを固めておかないと色々不安がある。
するとシャーリーはしぶしぶという顔で「少し待て」と言うと洗濯物を持ったままどこかに行ってしまった。だが思ったよりもすぐに戻ってきてくれて、二冊の書籍を手渡してくれた。
「その本は私物だからな、汚すなよ」
「ああ、さんきゅ」
ぱらぱらと捲ってみるとそれなりに読み応えがありそうだった。その様子をまたしてもシャーリーがじっと見ている。
「ん? 何かあるか?」
「いや、なんでも」
そう返してシャーリーはそそくさと仕事に戻っていった。
どこか落ち着ける場所を探して城の中を散策していると裏庭に読書をするのに丁度良さそうなテーブルと二脚の椅子が置かれていた。
シンプルな木製のテーブルで、恐らくはヴェルベットの趣味では無く先代が用意したものなのだろう。
「ここでいいか」
テーブルに本を置いて早速腰掛けてみると静かではあるが風の音と虫の音、仄かな緑の匂いがとても気持ちが良い。
空に浮かぶ黒の月も名前とは裏腹にぽかぽかと心地よい陽気をもたらしてくれていた。
一冊目の本を中程まで読み終えた頃、突然膝に痛みが走った。
「いってえ!」
驚いて視線をやるとヴェルベットの飼い猫、黒猫キューだった。
俺の膝の上で落ち着ける場所を探すようにくるくると回るとそのまま丸くなって眠り出す。
一方人間界から俺と一緒に連れてこられた猫のトトはテーブルの上に飛び乗ると香箱座りをして俺の顔をじーっと見ていた。
その姿はまるでふわふわの羊羹みたいな重厚感がある。音を立てないように手を伸ばし、順番に頭を撫でてやると二匹とも目を細めてごろごろと音を立てている。
だが、キューの爪は後から切っておかないとな、と思った。俺はともかくヴェルベットやシャーリーが怪我をしたらちょっと可哀想だからだ。
二匹の猫が落ち着いたところで本の続きを一気に読み切ってしまう。
内容自体はそれほど複雑でも無く、教科書と言っても童話のような物語仕立てになっておりとても読みやすかった。大方は先日ヴェルベットが語っていたとおり、この世界には創造神が存在していた、というお話がベースだ。
自らの作り出した天使ルシフェルの反逆の後、創造神はこの世界を失敗作であると見限り、新しい世界を作る為に去って行ったという。その際、この世界の均衡を保つ為に神の代行者として観測者が残された。そうして観測者は神の居ないこの世界を今も外側から見守っている――。
物語としてはヤマもオチも無く淡々としていて面白いとは言えなかったが、神話という物は得てしてこういう物でもある。成る程、知的好奇心は満たしてくれた。
「失敗作の世界、ねぇ。えらく狭量なカミサマだったんだな。失敗した世界にこんな可愛い生き物が居るかっての」
誰が居るわけでも無いが一人でそう毒づいてキューをこちょこちょと撫でると耳を伏せて気持ちよさそうにしている。
その様子を見ていたトトは自分も撫でろとばかりに額をこすりつけてきたので両手で片方ずつ撫でてやった。昔から猫にはもてるのだ、猫には。
「そういやキューって雄? 雌?」
なんとなく気になったのでキューの尻尾を持ち上げ玉の有無を確認しようとするとキューは飛び起きて俺の太ももをがぶりと噛んだ。
「あだー!」
そのまま俺の声に驚いたトトと一緒に走って逃げていった。まぁ雄猫であるトトと仲が良いと言う事は雌猫なのかもしれない。
シャーリーが貸してくれたもう一冊の本は魔界の風俗や流行など雑多な事が網羅されており魔界の成り立ち以外にも様々なことに言及されていた。
中でも気になったのはマゴットについての記事だ。
かつて魔王を毒殺したことで僻地へと追いやられた呪いの一族、という事になっているらしい。
確かにそういった事はあったのかもしれないがそこから幾度も世代が変わっているのであれば、今の世代にその罪を問うのはいかがな物かとも思う。
産まれた時から罪を背負った存在がその罪を責められてしまうというのは何とも納得がいかない。
少なくとも彼らにはそれを本当の意味で償う方法が無いからだ。
市場で出会ったあの少年だって自分が何かをしたわけでは無いのに種族ごと差別されてしまっていた。
正直このままでは絶対にいつかほころびが生まれるだろう。
その他には魔界で今流行っているファッションや農業など雑多な内容の記事をぱらぱらと目を通していった。
人間界のひな形である天界。そして天界と近しい魔界。
全く異なるはずのこの三つの世界がイメージしていたより近しい存在で在る事は何より興味深かった。
「ふーん、結構面白かったな。またシャーリーに借りよう。時間なら在るし。あー、ギターがあれば一番良いんだけどな」
立ち上がると城からは良い匂いが漂っていた。そろそろご飯の時間なのかも知れない。昼飯は無かったので腹も空いていたし、丁度良いと思って城へ帰る事にした。