山田、尻をしばかれる
ずるずると後を付いてこようとしたギャラリーを一喝しようやく解散させ、暫くが経過していた。
ようやく市場の出口までたどり着く。
「じゃあな、気をつけて帰れよ。もう危ないことはするな」
「何から何まで有り難う御座いました。これで王も――父も良くなってくれると良いのですが」
「そうだな、元気になると良いな。――これは言うべきか悩ましいのだが……ヘルデウスの遺志を継ぐ本物の魔王ヴェルベット・チャーチもお前らを救いたいと願っている。それがいつになるかは解らん。だがそれだけは忘れるな」
マゴットの少年は俺の言葉をどう理解すれば良いのか解らなかったらしく、目を丸くして言葉を失っていた。
「……騙したみたいになってすまなかったな。俺は……ヴェルベット・チャーチじゃあないんだ。けど、あれは本物の魔王ヴェルベット・チャーチの意志でもあることは間違いない。それを忘れないでくれ。俺はまだお前らがどういう境遇だったのか全然知らないし勝手なことをしたとも思ってる。だが迫害されるマゴットがお前のような奴ばかりであれば、きっとこの世界で皆が仲良く出来るんじゃないのかと俺は思う」
「……魔王様が、一体何を言っているのかは解りません。けれど僕にとっての本物の魔王様は貴方様です。この御恩は絶対に忘れません。たとえ命に代えてでも、必ず返します」
「だからいちいち大げさだって。俺はただの偽魔王なんだぞ。ま、それでも俺に何か返してくれるってんなら一刻も早く帰れ。そうして親父さんが元気になって時間が出来た時で良い、いつか本物の魔王ヴェルベット・チャーチが困った時にでも助けてやってくれ」
「必ず!」
マゴットの少年に手を振って見送った。
少年は見えなくなるまで、何度もこちらを振り返り奇妙な動きを取っていた。
恐らくそれがマゴット達のお辞儀のような物なのだろう。
漸く少年が見えなくなって本当にえらいことをしてしまった気がしていた。
人種問題みたいなヘヴィな問題によくわからない外野が手を出してしまったのだ。
それは本来許されるべき事では無い。
「……えーと、なんていうか……ほんとに、すみませんでした……」
何も無い空間に俺はそうわびた。ヴェルベットに怒られることは覚悟の上だった。
すると手にぬくもりを感じた直後、すっとヴェルベットが姿を現した。
「うおっ、びっくりした。――あーたしかにこりゃ転移っぽく見えるわ」
「……私は、情けない魔王だな」
「な、なんだよいきなり」
怒鳴られると思っていただけに殊勝なヴェルベットの姿に驚きを隠し得ない。
「父上は確かに言っていたのにな。魔王とは、全ての民を愛する存在だと。マゴット迫害の歴史には何かきなくさいものがあると。あの少年は何も悪いことをしていなかった。それなのに私は事情を聞こうともせずマゴットだというだけであの少年を見捨てようとしたんだ。……私は魔王失格だな。お笑いぐさだ、安易な気持ちで代理を呼んでみればそちらの方が魔王に相応しい人格をしていたのだからな」
ふふ、と自嘲気味に笑うヴェルベット。俺はその身体の両脇に手を差し入れて抱きかかえる。
「え?」
更に膝をたてて、そこにヴェルベットの腹を乗せるようにうつぶせにさせ――。
「おっらあああああ!!」
思い切り尻を叩いた。
ぺええん、と良い音が響いた。
「ぴいいいいい!!!」
ヴェルベットは飛び跳ねて俺から一瞬で距離を取り、尻を押さえている。
「なんで!? 今の流れ的にどう考えてもおかしいだろ! なんで今落ち込んでる私の尻をたたいたのだ! なんでだ!?」
「お前がアホだからだ」
「なんか私には辛辣だなお前は!」
ヴェルベットは涙目で尻をさすりながらそう答える。
「あのな、結果的には丸く収まったけど、あんなもんインチキ話術に近い。それに最後はヴェルベットが手伝ってくれなければ成功しなかったんだぞ。あのままだったら絶対うさん臭がる奴が出ていたはずだからな。そいつらを黙らせることが出来たのはお前があの時手伝ってくれたからだ。それに俺がやったことを嘘にするのか、本当にするのかはお前が選べば良い。……だろ?」
「でも……」
「ぴーでぃーしーえーさいくる!」
叫んでみた。
「な、なんだその呪文は」
「俺らの世界にはそういう言葉がある。失敗しても良いんだ。失敗したら次はどうしたら良いのか考えて、次こそ上手くやる。そうすれば諦めない限り、絶対に前に進んでいく。それを繰り返して皆成長していくんだ。お前なんかまだ魔王なりたてなんだから失敗くらいするさ。これからもどんどん失敗してどんどん成長していけばいいんだよ。失敗にびびって何も出来ないのが一番駄目だ。お前はどっちになりたい?」
にやと笑うとヴェルベットは唖然とした顔をくしゃりとゆがめて笑った。
「お前は……ふふ、そうかもしれないな。そうだ、くよくよしていても仕方ない。私はいつか父上を越えなくちゃならないんだ。父上の成し遂げられなかった魔界の民を皆幸せにするという願いを叶える為にもこの魔界をもっと繁栄させて平和で幸せな世界にしなくちゃならない」
「ああ、応援しているぜ」
言いながらヴェルベットの頭をわしわしと撫でた。
「うん! じゃあつぎはヤマダの番だな!」
ヴェルベットは満面の笑顔で言った。
「は? 何の?」
「尻を出せ」
ヴェルベットは笑顔で袖をまくる。同時にギュイイイイ……と不穏な音を立てながらその腕に黒い光が収束していく。え、これやばくね?
「な、なんで俺が」
「お前は! 私の尻を叩いただろう! ――だからお前も尻をだせ。それであいこにしてやる」
そう言って黒い光を宿す腕を素振りするとジュゴオオオ! とやばい音がした。
死ぬ。俺の尻が破壊され死んでしまう。
「……冗談だよな?」
どう思う? とにこやかに笑顔を返してくるヴェルベット。目が笑っていない。
「ああ、一応言っておくがこの私から逃げられると思うなよ。私が本気を出せばお前の尻を完膚なきまでに破壊することくらい造作も無いのだ! はーはははは!」
「ああああああああ!」
誰も居ない荒野で、黒い月に見守られながら俺はヴェルベットに尻をしばかれたのであった。
次回から二章になります。