貴族の当然
口の中が乾きつつある。
嘘や誤魔化しが通じる相手じゃない。
繋いだ手は離されてはいない。
手のひらに汗をかけば、悟られる。
「パラディンの務めが最優先……です。次にディーン王国……」
ライラは茶色の耳を立てて、聞きに徹している。
僕は感じるままにえいや、と続ける。
どうせ何時かはわかることだ。
それにイライザにプロポーズまでしたのだ。
人間ならば、彼女が一番に決まってる。
後は同じくらいに妹もだ。
唯一の家族なのだから。
「……イライザとフィオナがその次、です」
「ふむ……やはりそうですか」
ライラは繋いだ手に力を込める。
痛みが走りそうな寸前まで力が入っている。
わずかに肉がきしむ。
獣人は身体能力に優れる。
その代わり寿命が人間よりもやや短いーー魔力も少ないとされている。
もしライラが本気を出せば、僕の手は握り潰されていてもおかしくない。
さすがにそこまではしないとしても。
「……守護騎士の地位で宮廷魔術師と結婚するのは至難でしょうね」
手の力を緩めたライラが、僕を見つめながらつぶやく。
手に痛みはないれど、心がずきりと沈む。
まさしくイライザに指摘されたことだ。
「僕は……」
「口添えしてあげましょうか」
「えっ……!? ど、どうして…………」
突然の言葉に僕は色めき立った。
聖教会からの仲介があれば、格段に進むのは間違いないだろう。
しかしライラには何のメリット、理由も見当たらない。
「ふふふっ…………」
意味深にライラが笑う。
獲物を前にする肉食動物の目付きだ。
エステルが僕を見下ろした時のようだ。
僕にはわかった。
彼女は僕を狙っている。
「私、ちょっと生まれが特殊でしてね――先代教王の隠し子なんです」
「なっ……!?」
聖教会は教王を頂点に枢機卿、大司教、司教、司祭、そして大多数の信者で構成されている。
ちなみに高等審問官は大司教格であり、貴族社会では侯爵級に礼遇されるのが習わしだ。
審問官だけでもライラの地位は恐ろしいものだが――まさか信じがたい。
聖教会も清廉潔白というわけではない。
千年を超える歴史があり、巨大な利権の元にある。
内実は普通の貴族と大きな違いがあるわけではない。
確かに先代教王は豪奢な生活に溺れた、あまり良くない人物とは聞いている。
それでも頷きかねる内容だった。
「酒と女で身体を壊して、ぽっくり死んだ愚かな父でしたが……私には道を残してくれました。高等審問官、という生き甲斐を」
今、僕はすごく危険な話を聞いていた。
先代教王には普通に妻子がいたはすだ。
教王の地位は世襲ではなく選挙で決められるが、それでも教王の血筋には絶大な力がある。
もちろん教王の血を引いているのが嘘ならば、死罪は免れない。
それに昨日今日会った人物に話す内容なんかじゃない。
ライラが何を考えているのか、僕にはわからなかった。
「抱き合わせですよ、ジル……わかります?」
「……いえ……」
「イライザさんと結婚できたら、次は私と結婚してくれませんか?」
何気なくライラは言い放った。
まるで明日散歩に出かけます、くらいの軽い口調だ。
ライラは少し天井を見上げ、
「……私はもっと上に行きたいのです。それには功績と箔がいります。ここにいるのは命令されたからではありませんよーー志願したのです」
それに一番なのは死霊術師との戦い、それにパラディンたる僕との結婚か。
なんとも凄まじい上昇思考だった。
僕にはとてもそこまでの意識はない。
せいぜい妹や家、それに近しい人のことだけだった。
「僕との結婚は……その一つと……?」
つっかえながら僕は口にする。
ライラとの付き合いは短い。
本気か嘘かわからないことは結構ある。
しかしなんとはなしに、ライラのパーソナリティを把握できた気がした。
教王の隠し子で高等審問官、多分子どもの頃から生臭い権力闘争を見てきたはずだ。
でもライラは打ちのめされはしなかった。
むしろ聖職者の階段を、登り詰めようとしていた。
全てを踏み台にして。
ライラは僕もイライザも利用しようとしていた。
いや、一方的な搾取でない。
この鍛練もそうだ――ライラは取引に長けている。
一つ一つ、見抜いて提示する。
損がないような、あるいは拒絶できないような提案をする。
「すぐに答えを出せ、とは言いませんが……他の人にさっと奪われても困ります」
「…………」
貴族である以上、恋愛結婚は簡単ではない。
僕は当主だから融通がきくだけだ。
普通は当主が他の家族の結婚を差配する。
あるいはより上位の貴族から圧力があり結婚せざるを得なくなるものだ。
例えばエリスのように。
彼女は掟とアルマによって僕との婚約を余儀なくされた。
クロム伯爵もそうだ、当主からの指示でもあった。
それが当たり前なのだ。
家や利益のために、犠牲にせざるを得ないものがある。
僕はその貴族社会の当然を、ライラの言葉から思い出していた。




