動き出すブラム王国
「大公閣下……!!」
飛び込んできた騎士は執務室を見回すと、開きかけた口をつぐんだ。
年齢は40歳くらいか、面識はないが鎧と輝く勲章が高位の騎士であることを示していた。
言葉を飲み込んだのは、僕とライラが同席しているからだろう。
かなりの重要案件ということだ。
「ブラム王国のことかの?」
尋ねたナハト大公に、騎士は汗を拭いながら頷いた。
「構わぬ、話すがよい」
ナハト大公が告げると騎士は危機感をにじませて報告をする。
「ブラム王国が軍を発しました……! 進路は城塞都市ヘフラン、総数は1万5千余りです!!」
「……先手を打ってきたようじゃな」
ナハト大公は驚かない風だが、僕は目を見開いてしまった。
城塞都市ヘフランはディーン王国の北にある要の都市だ。過去、幾度となくディーン王国とブラム王国との戦争の舞台になってきた。
肥沃な穀倉地帯にも近いが守りも固いヘフランは、一つの指標にさえなっていた。
いわく、ヘフランを攻める時のブラム王国はこれ以上ないほど真剣であるーーと。
そして、連合軍結成の今に攻めてきた理由を僕は必死になって考えていた。
「ブラム王国は自暴自棄になったのでしょうか。連合軍の前に、身を晒すなど……戦力を考えても無謀です」
ライラの発言に、僕はナハト大公の顔を見つめてしまった。
確かに、それはそうなのだが。
連合軍全体で20万には達するだろうというなかで、ブラム王国はいいとこ8万前後だろう。
1万5千の兵はブラム王国にとっても、捨て駒にできる数ではない。
「ジル男爵よ、ブラム王国が動いた理由は推測できるかの」
「……はい」
「聞かせてみよ、そなたの戦略眼を知りたい」
う、あからさまにナハト大公は僕を試していた。
思い付く限りの理由を僕はとうとうと述べたる。
「一つ、連合軍結成の知らせは大陸全土を駆け巡ったとはいえ、まだ具体的に兵は結集できていません……何せ急な話、まだ二週間では形になりようもありません。ブラム王国は連合軍が本格始動する前に、ディーンを叩くつもりでしょう」
ディーン王国とブラム王国は同格、動員兵力も軍の質も同等だ。
ディーン王国、ブラム王国、フィラー帝国の大陸三大国家が互いに牽制しあっているのが今の大陸情勢なのだ。
それがブラム王国は死霊術師と手を結んで、禁じられた力を得た。
しかし代償は大きい、聖教会を敵に回しての大戦争になるのだから。
だが、それも連合軍が結集しないとディーン王国は優位に立てない。一対一では互角なのだ。
「二つ、再誕教団の戦力が相当に充実したから。《神の瞳》をどう使うかはわかりませんが……均衡を崩すほどの力をブラム王国が手にしたから動いた、とも考えられます」
想像したくはないが、クラーケンのような強大なモンスターを使役する可能性もある。
その目処がついたから、先に仕掛けてきたとも考えられるのだ。
「……うむ、よい答えじゃ。わしもそう思っておった。ブラム王国はどうやらおとなしく謝罪するつもりはなし、徹底抗戦のようじゃな」
ライラが厳しい顔で首を振る。
「信じられません、数の上では勝負にならないのに」
「それはそうじゃが……しかし、やってみなくてはわからぬということもある。もちろん数で勝っても、負ける時は負けるものよな」
ナハト大公はあっけらかんと、恐ろしいことを口にする。
僕には到底出来ない言い方だった。
ライラもその物言いに絶句したようだ。
「ともあれわしが落ち着いておるのも理由がある。ブラム王国が先に攻撃を仕掛けてきた場合の対処を、すでに指示してあるからのう」
「ヘフランに、ですね」
「うむ……可能性は低いと思ったが無駄にはならなかったようじゃな」
そのあたり、抜け目ない政治力だ。
「さて、となると……そなたたちにも働いてもらわねばならぬ。ブラム王国がディーン王国に攻め寄せるなら、気掛かりが出てくる」
「ディーン王国以外の連合軍参加国ですね……ブラム王国がそのまま見過ごすはずがありません」
「左様、ブラム王国はまとまる前に各個撃破を狙うじゃろうな……。先のアルマ殿との話を覚えておるかの?」
アラムデッド王都に持ち込まれた、スケルトン兵のことだ。
継続的に入り込んだルートを調べるということだった。
忘れるはずはない、僕はしっかりと頷いた。
「教団と繋がっている大元がわかった……ということですか?」
「その通り……これはライラ殿にご足労願ったこととも関係がある。グラウン大河にある水の都市イヴァルト……そこが恐らく、教団と繋がっておる」
僕がこの前、イライザを誘った大河だ。
イヴァルトは貿易、商業の中心地でありーーそしてディーン王国とブラム王国の間にあって自主独立の都市国家でもある。
ライラの目が、わずかに細められた。
グラウン大河には幾つもの都市国家があるが共通点がある。
それはおしなべて聖教会への信仰心に乏しいという点だ。
それには理由があるーー死の神エステルのクラーケン、そして冥界のほとりの川と血塗れの世界。
そう、エステルは水を象徴する神であり……船乗りは陸に住む者よりも遥かにエステルを畏れているのだ。




