黒の羽より
僕の右腕から舞い上がった血が、霧雨となっていく。
どうやら、うまくいってはいるようだ。
普通なら操作系スキルで、質量は変えられない。
これも《血液増大》《血液操作》を併用するからこそ出来る芸当だった。
「……器用なことをするね。君の考えは悪くないけど、大事なことを忘れてる。魔力あるほど操作しづらくなるでしょ? この霧は、そう簡単に君のものにならないよ」
実際に霧を目にしながらの操作だ、僕の血が霧になる速度は徐々に早くなる。
宙に浮かんだ紅い霧が、拡大していく。
「そうだね、その通りだ。魔力があるとーー僕の血は弾かれてしまう」
《血液操作》では例え血でも魔力が薄い箇所は影響を与えることができて、濃い箇所は出来ないということだ。
つまり、魔力の濃淡はわかるはずだ。
それだけで十分だ。
林全体の霧をカバーするなんてどだい不可能、そこまでの必要はない。
もちろん魔力の濃淡がわかっても、僕一人ではどうしようもない。
そこから先をどうにかする力はない。
「ネルヴァ……君に敵意がなくて、良かったよ」
本当にそう思ってしまう。
例えば瞬間移動での攻撃、霧に毒を混ぜたりされたら、お手上げだったろう。
僕の紅い霧が、林の上空を覆っていく。
ちくり、とこめかみが痛くなる。
ここまで大量に速く血を噴出したのは、初めてだ。
細かい霧雨とはいえ、血の総量はすでに致死量を超えている。
見上げると、真っ赤な帳が林に蓋をしているようだ。
朝の陽光と血が交差して、ちかちかと光っている。
その一角に、ぽっかりと白く見えない部分があった。
僕の力が、及ばないのだ。
「あそこですっ!」
シーラが大声で、指差す。
その先には、黒く痩せたカラスがいた。
木の間を、蛇行しながら器用に飛んでいる。
僕には、紅い霧を避けているように見えた。
僕の考えが正しいかどうかは、わからない。
それでもあのカラスが鍵の気がしてならなかった。
一度場所をとらえれば、後は追い込んでいくだけだ。
カラスの近くでは、僕の霧がとたんに動かなくなる。
「場所がわかれば、いけますです……!」
最も身軽なシーラが一足飛びに木を駆け登っていく。
カラスも身をくねるが、僕の霧に触ることはできない。
もし触れれば、その部分を固めることができるのだ。
うねる紅い霧が段々とカラスに接近し、シーラが先回りするように枝に掴まる。
「なんで……俺を狙わなかった?」
ネルヴァは、観念しているようだった。
「もしこの霧の結界が完全無欠なら、君が出てくる必要なんてないーーそうだろ? ミザリーさんのしたことは、全部無駄だった訳じゃない。多分、林を手当たり次第に壊すのを続ければ良かったんだ」
ネルヴァが挑発すれば、無視できなくなる。
壊した部分が元通りになるのを見れば、諦める。
要は、そういう風に意識を持っていかせる結界なのだ。
心理の隙をつく、あるいは焦る気持ちを利用するというか。
とはいえーー僕もグランツォと会っていなければ気が付かなかったろう。
時間をとことん浪費したはずだ。
シーラは着実に枝を踏み台にして、カラスに肉薄していく。
霧の中で見えづらい枝や幹の位置をちゃんと把握していって、加速しているようだ。
「俺は直接は言えないんだけどーー後悔するかもよ」
ネルヴァが、心配そうに呟く。
「……どういう意味?」
「霧がある限りは、俺の好きなようにやっていいんだ。でも、霧が終わるということは……俺の役割もなくなってしまう」
紅い霧はいまや、カラスが飛ふのと同じくらい素早く動いていた。
広げる必要はもうない、追いかけるだけだ。
あと一歩……!
シーラが一撃を入れる構えの寸前、カラスが急降下する。
そのまま地面に激突しそうな勢いで、僕の目の前に着地する。
カラスの身体が空気を包んだ布のように膨らみ、弾けとんだ。
不吉な漆黒の羽が、辺り一面にばらまかれる。
その中に人間が屈んでいるのがわかった。
羽は魔力と呼応して、竜巻のように巻き上がる。
全身黒づくめで、紙だけがさらっとした銀髪だ。
肩幅が広く、僕は男だと直感する。
立ち上がると、かなりの背の高さだ。
しかし、頬骨が浮き出ており異常に痩せていた。
年は20歳の半ばくらいか?
僕は、彼の顔にひっかかりを覚えた。
直接の面識はないはずだがーー。
「ネルヴァ……失敗だな。役に立たない少年だ。ここからは、僕がやるしかないか……」
じっとりと絡みつくように、首を傾ける。
声を聞いて、僕は思い出した。
面識はないが、知っている。
夢の中で、見たのだ。
彼の名前はーーレナール!
エリスの兄が、そこにいた。




