甘い血とメイド
夢の後味は悪かった。
結局かなりの時間を眠っていたようだ。
僕は規則正しい生活を心がけている。
しかし当然、昨夜のことがあったので、朝に目が覚めることはなかった。
日が高くなった昼に、僕は起きたのだ。
ゆっくり亀のようにベッドから立ち上がる。
ヴァンパイアの国でも、日差しは変わらない。
肌をじんわりと光が照らす。
枕に、涙の跡がある。
どうやら、夢の中で泣いていたらしい。
本当に情けない僕だった。
しかし、気分はかなり良くなっていた。
きっとイライザの薬のおかげだろう。
もぞもぞと服を着替え、ぼんやりと考える。
エリスとの破談は、もう仕方ない。
胸の奥がぐちゃりと気持ち悪いが、打ち負かされるわけにはいかない。
今後のことを、考えていかなければならない。
僕のスキル、≪血液増大≫は本当により多くの血が流せるだけだ。
だけれどヴァンパイア族にとっては、無限の快楽と食料を意味する。
ヴァンパイア族も、普段は人間と変わらない食事をする。
イライザは顔を赤らめながら、吸血は性交と飲酒が混じったものだと教えてくれた。
僕には両方わからなかったし、イライザも実体験ではないようだけど。
着替え終わり、タンスから小さなナイフと銀の皿を取り出す。
ナイフは今日もよく研がれており、命を奪う輝きを放っていた。
僕は指先を銀の皿に近づけると、ナイフですっと切れ込みを入れる。
赤い滴が、ぽたりと銀の皿に落ちていく。
そのまましばらく、僕は動かずにいた。
これは、日課だ。
ああ、僕の血がエリスを繋ぎ止めるほどだったら良かったのに。
甘く、お菓子のように……虜にできたら、どんなに良かっただろう。
実際には一度も吸われることなく、僕たちの関係は終わったのだ。
皿の底に少し血が貯まったところで、僕は指先を離した。
物思いに耽っていると、タイミング良く部屋の扉が軽やかにノックされた。
「失礼しまーす!」
入ってきたのは、黒髪のメイドだ。
彼女の名前はアエリア、年は確か17歳。
ヴァンパイア族の公爵に連なる名家の出だ。
美形だらけのヴァンパイア族でも、他とは一線を画する美しさがある。
なにせヴァンパイア族にありがちな青白い病的、神経質な雰囲気がないのだ。
健康的で、肉感的だ。メイド服もかなり薄くて、目のやり場に困ることも多い。
日光にも強く、アエリアは僕のお世話係であった。
「……待ってたの?」
「はい! 絞りたてが一番ですからね!」
ヴァンパイア族の五感は鋭い。
僕が日課を終えたのを察知して、入室してきたのだ。
そんなに僕の血がいいものなのかぁ……?
苦笑して、銀の皿をアエリアに手渡す。
アエリアはご機嫌にポケットから銀のスプーンを取り出すと、皿の血に少しつけたのだ。
血のついたスプーンを、鼻先に近づけてくんくんと匂いをかぐ。
毎日見ても、若干気味が悪い。
でもこれはチップ代わりなのだ。彼女とその友人たちへの賄賂でもある。
最初はわけがわからなかったが、人間の貴族の血は大層な高級品らしい。
アエリアにせがまれて、習慣的に渡すことになったのだ。
イライザも、ヴァンパイア族の歓心を得るためということで賛同していた。
昨夜のことを考えれば取り止めたかったが、アエリアには関係ないらしい。
アエリアは、ぺろりとスプーンを舐める。僕の血ごとだ。
「……甘いですね」
「僕には、味はわからないんだけど」
「確実に、普段より甘いですよ……」
うっとりとした表情で、アエリアは言葉を吐く。
体をくねらせて顔を赤らめてるので、すごく色っぽい。
「甘くする何か、多分スキルを使いましたよね……?」
「僕がそんな魔術使えないの、知ってるでしょ?」
「うーん、妙ですねぇ……」
アエリアは首を傾げながら、呟いた。
スプーンの血を舐めて、確信をこめて言う。
「だって私のスキルによると、この血にはスキルが使われてますよ」
「……え?」
「本当に、誰も何もしていないんですか……?」
「まさに指から垂らしたてだよ、何もする間もなかったくらい」
「むむっ、なんと…………」
眉を寄せて、アエリアは唸り始めた。
彼女の気のせいだと思う。心当たりがないのだ。
でも、スキルによればと言われると無下にはできない。
自分のスキルは普通、他人には教えたりしないものだ。
実際、僕も確かにスキルを知っているのは親や妹だけだ。
……昨夜の大騒動を除けば、だけど。
僕みたいに大々的に知られている方が、例外だった。
「もしかして、新しいスキルに目覚めました?」
はっとして、彼女は言った。
目が輝いている。
「伝説の騎士や魔術師じゃあるまいし、そんなわけないでしょ」
あり得ない、スキルは一人一つが大原則だ。
15歳の時に神官から授けられるスキルで、終わりのはずだ。
あるいは、死にかけた英雄が冥界の淵でスキルを貰えるとか。
何にせよ不確かな伝承や噂でしかない。
「ジル様、昨日……大変でしたよね?」
公爵家の娘だ、情報収集に抜かりはなかった。
「流石に、知ってるよね……」
「ええ、まぁ………もしかしてなんですけど!」
アエリアが手をぶんぶん振りながら、声を出す。
なにやら興奮しているようだ。
豊かな胸が、きわどく揺れる。
「ショックで、新しいスキルが発現したのでは!?」