王都
アエリアは、すぐにイライザと気がついたようだ。
イライザは特に変装もしていないので、当然だった。
「イライザ様、お早いお出かけですね」
「ええ……昨日のこともあるし、ちょっと時間をずらそうかと」
「なるほど、だからなんですね~」
アエリアが一同を見渡した。
昨日の僕が盗賊と出くわしたのに比べれば、かなり地味な格好だ。
「それでは、私は先に館に行っていますねっ」
アエリアは一人で頷きながら、そのまま王宮へ向かおうとする。
僕の目の前を通るアエリアが、鼻をすんすんと働かせた。
そのままアエリアは、はっと見上げる。
兜ごしに目が合う。
野性的な瞳が、ぱちくりとまばたきをする。
ほんの一瞬だが、しまったという顔をアエリアがした。
僕は瞬時に、アエリアが僕に気づいたと悟った。
動いたのは、シーラだった。
馬から飛び降り、アエリアに抱きついたのだ。
「わわっ……」
ヴァンパイアとはいえ、シーラを振りほどくのは到底無理だろう。
アエリアも、抵抗はしないようだ。
僕も、馬を降りる。
あまり急すぎると、周りの注意を引く。
自然に、知人と話しこむようにだ。
僕は無言で、シーラに通りの壁際を指差した。
シーラがアエリアの手を繋ぎながら、邪魔にならない様に壁へと向かう。
イライザと護衛も、同じように移動する。
イライザの暗示があるので、アエリアの口止めはできる。
逃げないのなら、手荒なことをする必要はない。
アエリアは、僕とイライザの顔を交互に見る。
「ええっと……これって、私ピンチですよねぇ」
「……いえ、そんなことはありませんけれども」
イライザも、馬から降りてアエリアの正面に立った。
催眠薬の利点は、魔力を使わない点だ。
周りに気づかれることもない。
アエリアは首をすくめて、周りを見渡した。
「王都から、どう出るつもりです?」
低く小さな声で、勘の鋭いアエリアがたずねてくる。
「ははぁ……エルフ領を通るつもりですね。やめた方がいいと思いますけど」
僕たちの見た目から、素早くアエリアは判断したようだ。
イライザが、アエリアに手をかざす。
だけれどやめた方がいい、とはどういう意味だろう。
僕はイライザの前に腕を出して、制した。
「何かわけがあるの?」
「わあ、声が違ってますね。ヴァンパイアじゃないと気がつかないですよ」
ちょっとアエリアが驚く。
しかし本題ではないと思ったのか、すぐ咳払いした。
「王都とエルフ領の間には、警報塔が立っています。知らずに近づくと、あっという間に王宮に位置がばれますよ」
「……そうなの?」
「聞いたことがありませんです」
「アルマ様が、王都とエルフ領の間に警戒網を作ってないと思うんです? エルフに気づかれないよう、設置してあるんですよ」
「反乱察知のため、か」
王都は平地にある上に、城壁で囲われてはいない。
聖宝球沿いの都市よりも王都の方が、防備は薄いぐらいだ。
「エルフを刺激しないよう、人員は最小限で設備も最低限です。でも抜け道を知らずに通るのは無謀ですよ」
「アエリアの家は、公爵家に連なる……それも交易担当でしたね」
イライザが、記憶を辿りながらつぶやく。
だからこそ顔も広く、あえて館に出入りさせていたのだ。
「私は親族の関係で、エルフ領にも詳しいんです……で、相談なんですけどもっ」
アエリアが勢いよく言葉を切り、胸に手を当てた。
「私を連れていきませんかっ!?」
「……どうしてでしょう?」
「いやぁ、恩を売りたいんですよ」
アエリアは、あっさりと本音らしきものを口にする。
この辺りは、取り繕うつもりもないらしい。
「色んなことがあって、一度戻られるんでしょう? 私の家とディーン王国と、繋がりを強くするいい機会かなと」
にわかには、信じがたい。
だが、疑い出せばきりがない。
ブラム王国、アルマ派、どこが狙っているのかわからない。
アエリアの話を信じて、道案内を頼むか。
それとも暗示をかけて家に帰すか。
だが、アエリアを頼みにする理由はひとつある。
「わかった……案内を頼むよ」
「……よろしいのですか?」
「道中、ヴァンパイアとの接触はありえる。アエリアがいれば、うまく誤魔化せる」
それに罠にはめるなら、警戒網のことは秘密にするだけでいい。
誘い出す可能性もあるが、脱出は今日決めたことだ。
いくらなんでも、手回しが良すぎる。
前々からあるというアルマの警戒網の方が、よほど真実味がある。
アエリアは得意そうに、目を輝かせる。
声は小さく、ひそめながらだが。
「任せてください、ちゃんと送り届けますからっ」
さらに、僕の兜に口を寄せてアエリアは期待をこめて言ったのだった。
「日課、忘れないでくださいね……!」
僕は一歩後ろに下がり、まじまじとアエリアの嬉しそうな顔を、見るのだった。
◇
旅は順調に進んだ。
荒野を背にし、馬に乗りながら僕はエリスからの贈られた黒い筒を思い出していた。
書類は当たり障りのない救援の要請だ。
宛先はなかったが、敵はブラム王国と名指ししていた。
筒の中には書類の他に、ずしりと重いルビーが入っていた。
金の首飾りになっているけれど、明らかに価値があるのはルビーだ。
真円に近く、まるで太陽と血を混ぜたかのように色鮮やかな宝石だった。
王都から出る前にイライザに見せたが、特に魔術的な反応はないらしい。
僕にとっては、アラムデッドにおける名誉の代わりだった。
今は目立たないよう、首にかけている。
家の再興のためにも、これは持ち帰らなければならなかった。
もう一つは、クロム伯爵のことだった。
本当に殺されたのなら、死体はすぐに引き渡されるだろう。
前々から計画したものならクロム伯爵は捨て駒で、殺したのを隠しても無意味のはずだ。
クロム伯爵がいくら物知らずでも、婚約破棄を知れば周囲が止めるだろう。
名門の伯爵を使い潰すほどの計画が、あるのだろうか?
ディーンの王宮はまだ、婚約破棄も知らないはずだった。
◇
王都、とある荘厳な教会にてクロム伯爵の遺体の引き渡しが行われていた。
ブラム王国は、婚約破棄の直後からクロム伯爵との面会を求めていた。
クロム伯爵が即日死亡したのは、衝撃的な出来事だった。
ある程度予想されていたとはいえ、教会内には物々しい雰囲気が漂う。
アラムデッド王国の立会人には、重臣級は参加していない。
建前としては、クロム伯爵は婚約者になるための儀式に挑み、失敗したのだ。
もちろん、ブラム王国の受取人もそれが嘘でしかないと知っている。
とはいえ、遺体の受け取り場で暴れだすほどの愚か者はいない。
ブラム王国の使者の一団は、魔術師風の者ばかりだ。
一団の中、一人の妙齢の美女がクロム伯爵が納められた棺に歩み寄る。
黒い服、黒い長髪、黒い杖で背の高い魔術師だった。
つやのある髪は膝まで伸びており、うれいを帯びた表情は魅惑的でさえある。
アラムデッドの役人が棺を開けて、横たわるクロム伯爵をあらわにする。
抜かれた血は、戻されたのだろう。
眠るような穏やかな表情で、手を組みきれいに棺に納められていた。
黒い女性が、クロム伯爵の髪に躊躇なく触れる。
ゆっくりとあやしつけるように、手つきは優しい。
「はぁ……確かに、クロム伯爵でありますね……」
ため息混じり、気だるげに女性は呟いた。
そのまま撫でるように、女性は手を髪から顔へと滑らせる。
そこには、遺体に対する嫌悪はない。
意味のわからない行動を見て、アラムデッド王国側に緊張が走る。
「……血を一度抜かれたにしては……きれいに整えて…………」
誰ともなく、黒い女性は言葉を続ける。
得たいの知れない言葉に、場が呑まれていた。
「愛と苦痛……その揺れ幅が大きいほど、また死も尊いものに、なる…………」
愛撫するかのような声は、死体を撫でながらにしてはあまりに不釣り合いだった。
女性は黒い手袋をした指を、クロム伯爵の組んだ手に乗せた。
アラムデッドの役人へ、黒い女性は向き直る。
まるで、夢心地のような声音だ。
「……しかと、受け取りました……」
そう言うと、黒の女性は軽く会釈をしたのだった。




