変装
太陽が、尖塔の後ろから昇ってきた。
爽やかな光がよどんだ王宮を、清めていく。
ヴァンパイアの宴は終わっていた。
帰還の準備も大詰めだ。
一緒に行くのはイライザとシーラ、護衛の中でも腕利きの人間5人だ。
他は厳しいようだが置いていく。
ディーン王国から連れてきた人間は護衛、メイドや料理人を含めて50人を超える。
とても全員を同行させることは出来ない。
状況としては、いきなり婚約破棄された僕と補佐のイライザが緊急帰国するだけだ。
残ったディーン王国の人間を、粗末にすることは考えがたい。
一応、僕とイライザの部屋には書置きを残しておく。
内容は『婚約破棄に激怒した、一時帰国する』だ。
読めば、アルマは悟るだろう。
引きとめ工作が完全に失敗した、と。
作戦は単純なものだ。
イライザが王都の大貴族に会いに行くという名目で、王宮を出る。
その護衛に僕が紛れて帯同するのだ。
今はイライザと僕の二人で、イライザの部屋の荷物をまとめていた。
「荷物は少なくしていきます。食料等を抱えこんでいては、不審に思われるでしょう」
「王都で調達するんだね」
イライザが、鞄に書類をつめこむ手を止めず同意する。
「朝はアラムデッド王国では、夕方のようなものです。人通りも品揃えも多く、旅支度は十分にできます」
買い出しをイライザがやるのは目立ちすぎる。
銀貨や銅貨で、僕たち護衛役が素早くやるしかないだろう。
「疑われそうになったら、すぐにその店からは引き上げるんだね。エルフの村々まで持てばいいし」
上質の馬に、イライザとシーラが魔術をかけながら進むのだ。
エルフの村まで、三日か四日のはずだった。
「シーラの話では、お金があればエルフからも食料が買えることでした。調達に問題はないでしょう」
鞄にいろいろつめこみ終わったイライザが、僕に近寄る。
両手には様々な色の瓶を持っていた。
「では、よろしいですね……ジル様」
「うん……お願い」
イライザは瓶の中の液体を、右の手のひらに出した。
緑色のねっとりとした中身が出てくる。
匂いがないのが、救いだった。
「行きますよー……!」
そのままイライザが、べちゃりと僕の顔に液体をこすりつけてくる。
頬が一気に冷たくなる。
これは魔術薬の、それも秘伝の一種だ。
顔にかけ魔術を施すと、皮膚の形が変わるのだ。
僕の顔に、指先からごしごしと力をいれてくる。
イライザから流れこむ魔力とあわせて、くすぐったいような妙な感覚だった。
僕からはどういう変装になるのか、わからないのだ。
耳やあごにも液体をつけて、揉みこんでいく。
他人にあまり触られる箇所ではないし、ちょっとくすぐったい。
イライザの繊細な指が、まんべんなく僕の顔に触れる。
表情は真剣そのもの、集中した顔だ。
「次は……口を開けてくださいませ」
そういうと、イライザはハンカチで、手から緑の液体をぬぐった。
次に別の瓶から、青い液体を出す。
さらさらとして、ほんのり甘い匂いがする。
口を開けると、ぐいっとイライザの人差し指が押しこまれる。
「もう少し、開けてください……あと舌も出してください」
言われるがまま、僕は口をさらに開ける。
イライザの指が僕の舌を撫でる。
丁寧に、触っていく。
何も液体の味はしない。
ただ、他人の指という普段ない感触が広がるだけだ。
イライザが、舌を親指でつまむようにする。
力は全くかかっていない。
そのまま、指で舌全体に触れていく。
イライザの目線は、僕の舌に向けられている。
それが、指とともにぱっと離れた。
どうやら変装の用意は、終わったみたいだ。
こうすることで、声も少し変わるらしい。
薬との併用の変装なら、魔力の反応もごく少ない。
短時間しか持たないらしいが、ディーン王国でも宮廷魔術師にしか許されない秘技なのだ。
「触っても、これなら全く気がつきませんからね」
イライザや護衛も調べられるが、危険な魔力の有無と名簿との付け合わせくらいだ。
ここまでやれば、まず門は突破できる。
「さて、これでジル様の準備はいいですね……あとは私の方です」
館の回りには、当然アラムデッドの見張りがいる。
少しの間、彼らにはおとなしくしてもらわなけれなならないのだ。
そのまま門に向かうという選択もあるが、なるべく監視されない方がいい。
「お任せください……私の魔術の力で、少し時間を稼ぎますから」
イライザはかなりの自信を持って、そう言ったのだった。
◇
「うまくいったね……」
イライザが暗示の魔術と薬を使うと、すんなりと城門を突破できた。
このあたりは、さすがディーン王国の宮廷魔術師だった。
変装のおかげで、僕にも全く気づかない。
王宮と王都は隣接している。
門を出れば、明るくなりつつある街に出る。
街に移動しても、兵がまばらに警備していた。
明らかに、昨日よりも警戒度が上がっている。
買い物は早目に切り上げるべきだろう。
最初に無理をして追いつかれては、元も子もない。
「おや!? そちらの方はっ!」
僕たちの前に、荷物を両手に持った女性がいる。
黒い髪にヴァンパイアらしい紫の服装だ。
女性は意外、という顔をしていた。
しまった、間が悪すぎる。
僕たちは王宮に向かう、アエリアと出くわしたのだった。




