≪血液操作≫
夕闇が部屋全体を覆っている。
流れる雲のせいで、すでに暗さが迫ってきていた。
ろうそくのおかげで、机の周りからは暖かい光が差している。
僕はイライザと二人で、机に向かっていた。
ここはイライザの部屋だ。
もちろん二人きりではない、シーラも一緒である。
ろうそくや油は、アラムデッドでは使い放題だ。
なにせこれから、ヴァンパイアの夜が始まるのだ。
普段なら僕も王宮に行き、ヴァンパイアの貴族と交流を深めるところだった。
もちろん、今はそんな気分ではない。
婚約破棄直後に比べれば、ましにはなっている。
窓から飛び降りようという気はない。
少し前にまたアルマが訪ねてきて、盗賊の件について謝罪を受けた。
背後関係についても、しっかりと調査するらしい。
館の警備も、明日から倍にすると請け負ってくれた。
イライザによる、シーラの身体検査も良好だった。
そばに置いても問題ない、と言ってもらえたのだ。
意外なことにイライザは、シーラを自分の部屋に置きたいと申し出た。
よほど魔術の素質があるらしく、色々と見てみたいらしい。
そのあたりは、ありがたい申し出だ。
二つ返事で、こちらから逆にお願いさせてもらった。
館の晩餐までには、まだ時間がある。
《血液操作》についても、イライザは調べものを終えていた。
机の上に並べてあるのは、イライザが用意した2枚の皿だった。
1枚目の皿には、紅茶が注がれていた。
そこには僕の血が一滴だけ、混じっているのだ。
指先を冷えた紅茶の皿に入れ、僕は念じる。
動け、動け。形を作れ。
弓のようになれ。
でも、全く動く気配がない。
盗賊と戦ったときとは、まるで違った。
イライザが本を開きながら、解説する。
「操作系は、微妙な認識が結果を左右します。このように紅茶に血を入れても、まず動かせません」
「……なるほど」
つまり、見た目も匂いも血ではないからか。
血の割合が少ないと、反応が悪くなるということだ。
「血が入っていれば、操作できるとは限らないのです。どのくらいで操作できるかは、ジル様次第ですが……」
次にイライザは、自分の指をナイフの先ででちょんと傷つけた。
空の皿に、イライザが一滴を足らす。
手を差し出したイライザに応じて、僕はその血に爪の先で触れる。
生暖かい、イライザの血だった。
他人の血でも操作できるかどうか、ということだろうか。
《血液操作》は他人でも獣でも、血なら干渉できるはずだ。
僕はまた、集中をする。
今度は小さな剣にしてみよう。
剣、刃、鋭く硬く……。
しかし、またも血に反応はない。
あれ、確かに触ってるはずだ。
イライザがふぅ、と息をする。あまり不思議そうではない。
イライザにとっては、予測内だったようだ。
「この血には、私が魔力をこめています……。《金属操作》を持つ友人が、ミスリルは動かしづらいと言ったのは嘘ではなかったようですね」
「……魔力がスキルに抵抗してるってこと?」
「どうやら、一部のスキルはそのようですね。私も確信はありませんでした」
スキル目録では、そこまで詳しい話は載っていなかった。
他の操作系スキルでも、魔力を持たない対象なら気がつきもしない。
治療魔術も、魔力抵抗があるから効果を及ぼすのが難しいと聞いたことがある。
自然の抵抗を超えて干渉しないといけないのだ。
《血液操作》も同じことのようだ。
他人の血には、その人自身の魔力がある。
う~ん、なんという落とし穴だ。
イライザは宮廷魔術師であり、魔力は強い。
イライザの血が動かせないのはいいとして、初対面の敵の血をどうこうするのは無理だろう。
少なくても、あてにはできない。
僕は、ちょっとだけため息をついた。
目録で外れ扱いのDランクなだけはある。
「やはり今のところは、血を武器にするのが一番かと思います」
イライザも治療魔術は使えない。
シーラが近寄り、イライザの血がにじむ指をそっと握る。
少しの切り傷だ、あっという間に治るはずだ。
今のところは、血を武器にするが一番のようだ。
矢を血でまかなえば、かなりの本数を撃てるだろう。
問題は僕自身の《血液操作》の使いこなしだ。
剣や弓といった、手に馴染むものはすぐに形作れた。
しかし本に載っていた実際に見たこともない獣や花の形は、どうもうまく作れなかったのだ。
「……練習が必要だね」
僕は確かめるように呟いた。
もともと、死にたい気分から生まれただろう力だ。
振られた僕への、神からの慰めなだった。
多くを期待するのは、罰が当たる。
スキルの確認は終わりかなと思った時、イライザが小さな紙を渡してきた。
見やすい字で、端的に書いてある。
『近いうちに、ディーン王国へと戻りましょう』
イライザを見ると、真剣な表情で見返してきた。
外に漏れるのを心配しての筆談だ。
スキルはもう、アルマには知られている。
味を変えた程度だが、そもそも味を変えるスキル自体が多くない。
《血液操作》と判断されるのも、時間の問題だろう。
だから、あえてスキルの話は普通に会話していたのだ。
帰国の考えは、もっともだった。
盗賊をけしかけられ、シーラも渡されたのだ。
明らかに、常軌を逸した流れだ。
ディーン王国がどう動くにしても、僕がアラムデッドにいては強行策はとれないだろう。
だけどもし今帰国すればエリスとは、二度と会えない可能性がある。
女々しい考えなのは、百も承知だ。
僕は、顔を伏せた。
イライザに、ちらとでも悟られたくなかった。
一言でもいい、エリスと言葉を交わしたい。
それだけで、悔いはなくなる。
僕はそう、思っていた。




