出立⑦
「ジル様、ごめんなさい」
沈黙を破ったのは、イライザの震える声だった。
「もっと早く言うべきでした。本当なら、ジル様に……イヴァルトに行く前に言うべきだったのに」
悔恨の声を止めるようと、僕はそっとイライザの頬に手を当てた。
驚いたように彼女が、僕と目を合わせる。
なんと言うべきだろうか?
決まっている。
驚きはしたけれど、僕の気持ちは少しも変わっていない。
泣きそうな彼女を慰めたい。
彼女の生まれが、彼女の責任になるわけがない。
「……気にしないで」
そっと口にした言葉が、宙に舞う。
偽らざる本心だ。
「でも……! 私は、言わなかった……言えなかったんです!」
「……どうして?」
「それは…………怖かったんです。距離を取られるかも知れないって……」
そんな風に思われてたなんて、僕は思ってもいなかった。
悩むイライザを放って置けるほど、僕は白状じゃない。
それでもイライザを責める気には、到底なれない。
貴族を貴族たらしめているのは、血筋。
その事実からは逃れられない。
僕にできるのは、気持ちを伝えることだけだ。
「取るわけないよ、イライザ」
そのままぐっとイライザを抱きしめる。
柔らかい彼女の身体が、僕の腕の中にくる。
「~~っ!」
「イライザは僕をいつも助けてくれた。支えてくれた。それなのに、生まれを理由にして避けないよ」
「でも…………他の人は…………」
ああ、そうか。
イライザは周囲の反応も気にしているのか。
前に言ったプロポーズを受けてもらえない理由がわかった。
ターナ公爵の娘かもしれない、いつかターナ公爵が認めるかもしれない。
地位もあるかもしれないけれど、それを心配しているから、ナハト大公派の僕とは結婚できない……のか。
違う派閥同士で結婚するのは、確かに困難だろう。
周囲からとやかく言われるのは避けられない――今の僕が、すでにターナ派にあれこれ言われている通り。
口で否定しても、王宮で生きてきた彼女を納得させるのは難しい。
でも、僕にとってイライザは大切な人なんだ。
諦めたくなんてないし、泣かせたままでもいたくない。
どうしたら……?
その時、ふっと閃いた。
周りを気にするからいけないんだ。
「…………イライザ、全部終わったら……二人きりで隠居する? 王宮から離れてさ」
「ジル様……!?」
「王宮暮らしは、僕にはそんなに合わないし……僕は、イライザと一緒にいたい」
家はフィオナが継いでもいい。
名目的には妹にも爵位が認められている。
おかしくはない。
戦争が終わればレプリカを《血液操作》で使うこともなくなる。
僕の役割も、それまでだ。
これまでと同じように重用されるかどうか、わからない。
まぁ、うまけいけば死ぬまでお金に困ることはないだろうし。
それよりも、イライザを愛している。
気兼ねなしに彼女といられる方が、ずっといい。
「……それじゃ、駄目かな」
「………………」
「イライザ?」
「そんなことを言われたら…………甘えたくなります…………」
「いいんだよ、甘えてよ」
「…………うううっ」
もぞもぞと僕の胸の中で、イライザが悶えていた。
かわいい。
ぽんぽんと頭を撫でる。
「…………でも、ジル様」
「でも禁止」
「…………しかし…………」
「……それも禁止」
僕は青い髪を撫でながら、呟いた。
「イライザの気持ちだけを、聞かせてよ。周りがどうのじゃなくて」
「…………私は……私も…………」
「続けて?」
「ジル様と一緒にいたい、です」
よかった。
同じだったんだ。
僕はイライザの肩を起こして、真っ直ぐに目を合わせた。
真っ赤な頬に、泣きそうな瞳。
愛しい人の、顔。
「僕もだ」
ゆっくりと顔を近付けて、僕は彼女にキスをする。
イライザは、逃げなかった。
やっと通じ合えた気がする。
唇の感触が、それを確かにしてくれる。
少しして唇を離すと、イライザが泣いていた。
僕の瞳も、潤んできた。
いつの間にか、抱き合って二人して泣いていた。
でも、悪い涙じゃない。
僕達はそれをもう確信している。
手を繋げ、愛し合えることの涙なのだ。




