シーラと僕と自由な彼女
表情の読めないシーラとはいえ、このやり取りでは誤解の余地もない。
「……実を言うとイヴァルトへ行く前に、何人もの貴族から求婚……されましたです」
小首を傾げながら、シーラが言う。
「そ、そうなのっ?」
ま、まぁ……シーラは人目を引く可憐な美しさがある。エルフの血を引くディーンの貴族はそう珍しくもないだろうけど、ほぼ純血のエルフは王宮にもほとんどいない。
大抵は他国からの使者で、服装ですぐにわかる――ディーンの魔術師服を着こなすシーラはすごく目立つ。
「なんだかよくわからない言い方なので、多分です……」
シーラはディーンの生まれではない。頭はいいけれど、さっきの僕みたいに意図を読み間違えることはあるだろう。
「何かあったら、イライザ様には相談してますです。問題はないと思うのですが」
「ああ、それなら――大丈夫だね」
シーラはかなり微妙な立ち位置にいる。
奴隷から解放された時点で、彼女は自由に生きられる。ディーンに居続けなくちゃいけないわけではない。
ただ、傑出した才能とアラムデッドでの功績があるので、イライザを後見人としてディーンの宮廷魔術師の見習いになっているのだ。
しかし、宮廷魔術師団は王家直属の実務機関で、特定の貴族がお抱えにすることは本来なら許されない。
イライザが僕の補佐についている関係上――ということだ。
シーラへのこの措置は、なんでも100年に1回あるかないかのレベルらしい。
シーラは普段、何を感じて考えているかわかりづらい。ディーンの貴族からの求婚を断っているみたいだけど、彼女はそれでいいのだろうか。
王宮に出入りするのは、まず平民と結婚することはないような貴族だ。伴侶の選択肢としては、魅力的であると思う。
「……気になるような人はいたの?」
「いなかったです。ジル様……私は、今誰かと結婚するつもりは全くないです。やりたいことが、たくさんありますから」
それは、シーラにしては珍しい表情だった。たんぽぽが可憐に咲くような笑顔――まぶしい少女の微笑みだ。
「わかった……邪魔したね」
席を立ち、僕たちは工房を後にする。
青白い魔力灯が差す回廊を歩き、僕は自室へと戻りはじめた。
◇
「……これで良かったんだよなぁ……」
誰ともなく、腕を組んで呟く。
答えがあるとは思っていなかったけれど、ティルスは落ち着いた口調で、
「ジル様は、だいぶ優しすぎますね」
「それは、誉めてくれてるの?」
「ええ、女性としては――とても、嬉しいことです」
ティルスは軽いため息をした。
「……親から婚約者候補を色々と紹介されていますが、正直なところ気乗りはしません。家に閉じ込められるのは、ごめんです」
「そんなもんかな……」
その後もぽつぽつと、王宮周りのことを話ながら歩いた。
夜の闇は深まり、静けさが増している。
午前は鍛練、午後は勉学――と身体を使っている。横になったらすぐに眠れそうだった。
僕の部屋の近くまで来たとき、回廊の向こうから見覚えのある人影が近づいてきた。
茶色の狐耳と尾、それに法衣が灯りに照らされている。ライラだ。
「こんばんわ、ジル様……遅くまで出歩かれているのですね」
「こんばんわ、ライラ……君こそ、こんな時間にどうしたの?」
聖教会からの客分であるライラも、僕に近い部屋に滞在している。
彼女は私的に、貴族と交わることはほとんどない。お酒以外には禁欲的で、儀式や礼典のためにディーンの大聖堂に宿泊することもままある。
横を見るとティルスも、ぱちくりと目をまたたかさせていた。
ライラの夜分の外出は、あまりないことらしい。
「サイネス・ターナ様に呼ばれて、向かうところです」
こともなげに、ライラが言い放った。
「は……えっ?」
「いけ好かないぼんぼんに呼び出されて、行くところです……やれやれ」
ひどい言い直しだ。
そして相変わらず、怖いもの知らずだった 。
「……なんで呼び出されたの?」
「知りません。なんででしょうね?」
意味深に微笑みながら、ライラが答えた。
背筋がちょっと凍る。ティルスでさえ、曖昧に頷いていた。
「無視しても良かったのですが、ターナ公爵は聖教会へ多額の寄付もしているようですし……1回は会います」
言いながら、ライラはまた歩き始めた。
「ご心配には及びません――馬鹿なことを言われたら、へし折るつもりですから」
何を? 腕?
いや、首?
「……ま、まぁ……頑張ってね」
「はい、では――お休みなさいませ」
回廊の先に消えていくライラを見送りつつ、僕はまた歩き始めた。
心なしか、ティルスがきらきらした目でライラが去った闇の中を見ている。
「……自由にさせてもらうのが、本当に一番です」
「彼女は……特別だよ」
「ええ、でも――あれくらい思い切りよくよく生きられたら、人生楽しいでしょうね」
その意見には、僕も同意する。
「ライラくらい思い通りに生きている人を、僕も知らないよ……」




