工房のシーラと僕①
ふぅ、とティルスが軽く嘆息した。僕自信も花の騎士にそんな意味があるとは知らなかった。
「やはりご存知なかったのですね……」
「うん、それって中央の慣習だよね? 僕の住んでいた所じゃ、特にそんな意味合いはなかったと思う」
「そこまではわかりませんが……」
とりあえず死角から出て、歩き始めた。しかし、足取りは少し重く感じる。
アエリアは僕を嫌ってはいないーーとは思っていたけれど、そこまでの気持ちとは知らなかった。
「……どうした方がいいと思う?」
ティルスは口も固いし、ディーン人としてちゃんとした考えもある。
元々、王宮警護の騎士家の出身だ。宮廷事情は、僕よりよほどわかっている。
「ジル様はどうなさりたいのですか? 夫人に迎えたいのか、側室か愛人か友人か。決まっているのですか?」
ティルスは足を止めて、ぴしゃりと言い切った。目は険しく、僕を咎める色がある。
「花の騎士について、知らなかったのはジル様の手落ちです。あの場でわからなかったのは、ジル様だけでしょう。アエリア様は公爵家の御令嬢、仮面の社交場と言えどそれなりの覚悟があってのことだと思います」
「……返す言葉もない」
ティルスは目を細め、周りをうかがう――幸い、というか人の気配は全くない。
「国を出てジル様に従うアエリア様には、相応の報いがあるべきだと私は愚考します。手ぶらでアラムデッドに帰しては、いくらなんでも可哀想です」
「そうだね……うん」
「……すみません、護衛の分をわきまえぬ差し出がましいことをいたしました」
「いや、ありがとう……君の言うことは間違っていないよ」
そうだ、短い時間でディーンの王宮にちゃんと馴染んでいたのはアエリアの方だ。
「僕としては――良き友人でいたいんだけどな」
「なら、下手に気を持たせたり謝ったりしてはいけません……アエリア様は、おそらくわかっておいでです」
「……わかった」
アエリアにもプライドがある。これ以上傷つけるな、ということだろう。頷くしかない。
僕はやはり、アエリアの気持ちには応えられない。今、愛しているのはイライザで――同時にふたりを愛するなんて器用な真似はできそうにない。
そして、できない以上は断るしかないと思うのだ。
ともあれ、目的通りのアエリアには、とりあえず話はできた。
一旦、切り替えなければいけない。
あとはシーラとライラだ。
「シーラはこの時間は、工房にいるんだっけ……?」
午前中の訓練で、そんなことを彼女は言っていた。
王宮に併設されている工房で、副業をしているらしい。作った品物を売って、仕送りをしているのだという。
「たしかそのはずです……このまま向かいますか?」
時刻は多分、9時を過ぎようとしていた。
なるべくなら、1日で全部話しておきたい。
そうでないと自己嫌悪で死にたくなりそうだった。
「うん……会いに行こう」
そのまま王宮の外周部から工房へと向かう。この辺りは調理場があったりと、外部からの
荷物の入出が激しい区画だ。
そのため調べの間よりも、はるかに警備は厳重である。
貴族が出歩く姿は滅多になく、商人や警備兵がほとんどだ。
「……シーラはさ、僕に対してどうなんだろうね?」
ほとんどすがるように、ティルスに聞いた。
またアエリアと同じような展開は、避けなければいけない。
「シーラ様は……難しいですね。あの方は純粋にジル様に従っているのだと思いますが……」
「それならそれで、いいんだけど……」
「よくはわかりません、表情が非常に読みにくいので……」
常に平静なシーラが何を考えているかは、僕でもわからない。
戦闘の最中であっても、激することさえほとんどないからだ。
ただ、母であるシェルムや故郷に対する思い入れはとても深い。
奴隷でもなくなったシーラと僕の関係は、主従というより契約関係と言った方が適切だ。
シーラが去ろうと思えば、僕に止める術はない。
今のところは相応の利点があるので、僕の元にいるだけ――とも言える。
「サイネス様の件は、余計かなぁ……」
もし仮に、ディーンの貴族から婚約を申し込まれたとしたら、シーラは受けるだろうか。
相手にもよるけれど、アラムデッドの平民からしたらディーンの貴族は雲上人だ。
故郷のエルフたちは誰一人として、反対はしないだろう。
「しかし、シーラ様はディーンの王宮事情には詳しくないはず。無駄にはならないかと」
「元々、彼女もアラムデッドの人だしね……まぁ、そうだね。懸念だけは伝えておこう」
工房に近づくにつれて、魔力が不規則に波打つ。
ハンマーの振り下ろされ鋼鉄が鳴り、派手に何かが燃える音がする。
ここは朝から深夜まで休むことなく、なにがしか物を作り続けているのだ。
許可をもらえば、王宮に住む者なら設備を使えるのだが――実際に貴族が立ち寄ることは珍しい区画だ。
なにせ優雅さとはほど遠く、下手したら服を駄目にしかねない。さすがに、王宮で物作りに精を出す貴族は滅多にいない。
ここにいるのは、ほとんどが宮廷魔術師か貴族お抱えの職人だろう。
工房の入口で受付をすませ、すすけたマントを借りる。
夜も遅いのに何十人もの職人が働く工房には、油や薬品の匂いが充満していた。
「……さて、シーラは……」
見回すと、工房の奥の方に揺れる金髪を見つけることができた。
遠くからでもよくわかる――シーラだ。




