仮面のアエリアと僕③
「そこまで黒猫さんが言うとはねぇ。新顔なんだが、なかなか達者なんだ。楽しませてもらおうじゃないか」
老犬の仮面紳士が面白そうに手を叩く。
ここまで来たら、引き下がれない。
「私に合わせてくださいね、貴族様」
「……わかった、そうするよ」
仮面を着けているので、正直吹きづらい。
音楽と仮面の会合の立ち振舞いは学んでいるけど、経験豊富とはとても言えない。
慣れた様子でアエリアがフルートを取り出す。
漆黒のフルートに軽く銀の意匠が彫りこまれている。
「曲はディーンでよく知られている――花の騎士にしましょうか」
「それなら知ってるよ、大丈夫だ」
花の騎士はディーン王国で最も知られている古い曲だ。
綺麗な薔薇園を持つ騎士が、主君の姫と恋に落ちる。
国を守るために騎士は死ぬが、姫は騎士の残した薔薇園を守り続けるーーそんな詩だ。
悲恋のようだけど曲調は明るく、運命に立ち向かうというディーンの気質に合っている。
集まりの人たちも頷きあって、急かしてくる感じだ。
フルートを顔に近づけて、アエリアがゆっくりと吹き始める。
聞き慣れた旋律に、僕も合わせて奏で始める。
アエリアは特に変えずに吹いている。
「……ほうほう、いいですなぁ……」
老犬の仮面紳士が感嘆するが、僕は結構余裕がない。
というのも、アエリアは普通に上手だった。
ブレがなく高音と低音を分けて、しっかりと基本を大切に演じている。
僕の音も潰すのではなく、心地よく連れていってくれるような感じだ。
宮廷楽士と言われても、納得しそうだった。
アエリアの意外な一面を見た気がする。
丸々一曲が終わると、アエリアはぱっとフルートを離して、華麗に一礼する。
僕も合わせて一礼すると、一団から拍手が巻き起こった。
「素晴らしい、大したもんだ!」
「お若いのに心得がありますのう!」
口々に称賛されるけど、気恥ずかしい。
どう考えてもアエリアの方が上手かった。
誉め言葉の雨の中でアエリアはフルートをしまい、
「ではでは……名残惜しいですが、今夜はこれにて!」
と僕の手を引いて爽やかに立ち去っていこうとする。
すごい切り替えの早さだった。
「い、いいの?」
「いいんですよ、ここは無礼講の場ですからね。引き留めるなんて、野暮なことはしませんよ」
確かに、引き留める人はいなかった。
手を振ったり、まかおいで~と和やかに言ってくれる人だけだ。
まぁ、アエリアが構わないのならいいか。
そのまま僕も辞して退去する。
調べの間には音が満ちて、各グループは別れている。扉から出ようとしても、誰も見咎めたりはしないようだ。
そのまま調べの間から少し歩き、死角に入るとアエリアが仮面を外した。
ぼそぼそと小声で話しかけてくる。
「ジル様、驚きましたよ……突然に来られるんですから」
「……ごめん、話したいことがあって」
「はふ……明日じゃ駄目だったんですか? 重要なことみたいですね……」
明日というか、イライザの前で話しづらいのが理由なんだけれども。
「サイネス・ターナ様って、知ってる?」
アエリアはちょこんと小首を傾げ――ぽんと手を打った。
「ああ……! あのちょっと女好きな人ですね」
なんて覚え方だ。
説明の手間は省けたけど、ひどい評判だなぁ。
「……妹に結婚を申し込んできたんだ」
「やめた方がいいですよ、絶対」
ぶんぶんと首を振って、アエリアが即答した。わかってはいたけど、元々他国の人間である彼女から見てもそうなのか。
「大丈夫、断ったから……」
「はぁ……まぁ、そうでしょうね……ふむ、ふむ?」
アエリアはじっと僕の顔を見つめる。
「……私を心配してくださったのですか、ジル様?」
「そ、そうだけど」
相変わらず察しがいい。
僕が普段行かない調べの間に飛び込んだ理由に、すぐに思い至ったようだ。
「私なら大丈夫です、サイネス様から何かあっても流しますからね」
「……うん、でも気を付けてね。ディーンの王宮とはいっても陰謀がないわけじゃないし」
「んむ、気を付けます……ジル様っ」
アエリアが身体を寄せて、元気よく答える。
「そういえば、さっきの演奏ですけど……」
「あ、うん……すごく上手だったよ」
「……むむっ」
なんだろう、アエリアはぷいっと後ろにいるティルスに視線を向けた。
釣られて僕も後ろのティルスを見る。
ティルスは護衛特有の緊張感のある顔付きのなかに、困惑をにじませている。
なんだろう、今のやり取りは……疑問が浮かんだ瞬間、
「……ジル様もお上手でしたよ」
それからちょっとだけ話をして、アエリアは調べの間へと戻っていった。
まだ演奏したりない、と言い残して。
アエリアの姿が見えなくなった後、僕はティルスに問いただした。
「さっきの花の騎士なんだけど……何か知ってる? 意味深だったよね?」
ティルスはあからさまに目を泳がせている。
ややあって心底言いづらそうに、
「……花の騎士を男女が協奏するのは、よほど親密な時だけです。それこそ婚約者同士のような……夫婦のような…………」
「……嘘」




