シーラの事情
シーラは頭を床につけたまま、動かない。
ため息をつきながら、僕はベッドから立ち上がった。
細い肩を掴み、シーラの顔を上げさせる。
相変わらず、表情はうかがい知れない。
「僕はアルマ宰相に連れてこられただけで、君をどうこうするつもりはないよ。自由になりたいなら、そうする」
「……ありがとうございます。でも、ここで解放は出来ないはずです」
「契約魔術、か……」
「はい、誰か主人を持つように……主人の側にいるようにと、私は縛られています。自由になれ、という命令があっても契約魔術そのものが消えないと……無理です」
逃亡防止のためとはいえ、ひどい話だ。
単に紙を破ればいいという問題ではない。
紙は覚書や書き換えを容易にするための付属品だ。
契約魔術をまるごと解除するのは、簡単には出来ない。
縛るのと同じ程度の手間がかかるはずだった。
アラムデッド王国から逃げたい、というのは理解できる。
婚約破棄からまだ半日だけれど、ヴァンパイアの本質の底がわかってきた。
これまでも色目を使われ、誘惑されることはあった。
だけどそれは、エリスの婚約者だからだと思っていた。
婿入り状態とはいえ、王族入りの貴族だ。
近づこうという輩が多くても無理はない。
だけど、アルマが部屋を訪ねてきて、ここまで連れてこられて、嫌気がさしてきた。
ヴァンパイアなりの好意、誠意なのだろう。
それでも婚約破棄された人間に、すぐ新しい奴隷をあてがうだろうか?
しかも明らかに、性目的だ。
エリスと行き違いを感じていたのも、まっすぐに享楽的な点だった。
楽しいことに貪欲で、過去を省みない。
それと、自分の趣味に他人を巻き込むのが好きなのだ。
「契約魔術を消すのは……難しいよ。手間もお金もかかる」
「わかっています……。お金がすごくかかることは」
シーラは、うつむいて予期していたように答えた。
「……叶うなら、お側に置いてもらえないですか?」
「奴隷としてじゃなく、だよね」
アルマも言っていた、僕自身の執事や家臣としてということだろう。
ディーン王国では、エルフやドワーフ、獣人といった種族への偏見はない。
能力があるかはわからないけど、アルマ宰相から推薦された人材ではある。
ふさわしいかどうか試してみる価値はあった。
「いいえ……奴隷のままで、いいです」
シーラは、ゆっくりと首を振る。
さらっとした金髪が、シーラの顔にかかる。
「そのかわり、副業を認めて欲しいのです。モンスター退治でも、鑑定でもなんでもやります。……自分でお金を稼ぎます」
「契約を解除する資金集めとして?」
シーラはこくんと頷いた。
「もちろん、ジル様から命じられたことも、やります……どんなことでも」
ちょっとだけ、最後に力がこもった言い方だった。
恐らくいやらしいことを念頭に置いているらしかった。
そのつもりは、なかったんだけども。
自分で自由を勝ち取るため、か。
見かけは深窓のお嬢様だ。
でも、内に秘める意志は鮮烈だった。
初対面の僕にも臆さず、妥協できそうな落としどころを見つけてくる。
「……ひとつだけ聞かせ欲しいんだけど、どうして奴隷に?」
奴隷にも種類がある。
罪人奴隷や戦争奴隷や、ずっと奴隷の血筋だとかだ。
ディーン王国にもエルフの奴隷はいるけれど、金髪でエルフの奴隷はほとんどいない。
プライドのある高位のエルフは、奴隷になるよりは死を選ぶだろう。
かなりの事情がない限り、奴隷にはならない。
契約魔術の影響下なら、嘘をつくことはできないはずだ。
何か特別な理由があるのか、シーラの事情が知りたかった。
「私の部族は……突然アンデッドの大軍に襲われ、数十年前にアラムデッド王国に身を寄せざるを得なくなりました」
シーラの声は、本当によく通る。
聞きやすくて、大きい声ではないのに心にしみわたってくる。
「その時にヴァンパイアと条件をむすんだんです……定期的に部族から一人奴隷を出すこと、と」
「そういうことか……」
部族そのものが、人質にとられているようなものだ。
契約魔術がなくても逃げないだろうに、なおさら酷いことだった。
「お金があれば奴隷は出さなくても、済むそうです……でも生活は厳しくて、そんな余裕はありません」
「エルフなら、色んな技術があるんじゃ? それを生業にすれば……」
「そういう人たちは、ほとんどが襲われたときに死んでしまったそうです」
抜け出せない網だ。
稼げれば奴隷にはならないが、その稼ぐ手段がない。
シーラは高級奴隷として、教育を受けている。
奴隷になってはじめて、奴隷を抜け出せる能力を学べるとは皮肉だ。
シーラが、自分の金髪をつまむ。
「私の家は、元は部族長に連なる家だそうです……。いまは、部族で最も奴隷を出している家です」
つまり、今後もシーラの家から奴隷が出るということだ。
僕は貴族に踏みとどまれたから良かったが、寒気がする話だった。
一歩間違えば、シーラ達と同じ道を辿る。
妹が奴隷になったらと思うと、耐えられない。
生きるためとはいえ、辛いことだ。
あるいは生きるだけでも、苦痛なのかもしれなかった。
同情したくもなるし、応援したくもなる。
シーラの今は、僕がかろうじて避けたものなのだ。
「いいよ、とりあえず館に連れて帰るよ」
真剣さをこめて、僕は言った。
もちろん本当に側に置くかは、ちゃんと調べてからだ。
「……ありがとう、です……」
シーラが、僕に抱きついてきた。
しっとりとして吸いつく肌が、僕の腕の中にくる。
薄い布生地が、胸の大きさや形をくっきりと僕に伝えてきてしまう。
僕の頭を抱き抱えるように、ぐぐっと力をこめてくる。
尖った耳が、僕の顔をかすめていた。
腕を背中に回したりはしないけど、彼女の安堵は痛いほどよくわかる。
「命をかけて、頑張ります…………」
シーラは立ち上がり、強い目で僕を見た。
僕には、その瞳が好ましかった。
そうと決まれば、長居は無用だ。
僕はシーラと一緒に、館をさっさと出た。
服については、予備があったので多少ましになった。
フリルのついた、薄目の服だ。
まだちょっと裾やらが短いけれど、仕方ない。
馬車で帰るのだから、人目には触れないはずだった。
僕の護衛10人と、貴族用の黒塗りの馬車で来た森を戻っていく。
太陽が最も高い時間のはずだけれど、とてもそうとは感じられない。
突然、馬車がうなりをあげて急停止する。
何事かと小窓からちらっと外を見て、僕は事態を把握した。
道の先に粗末な馬に乗り、武器を構えた集団が待ち構えていたのだ。
集団は20人ほどになるか。しかもぼろぼろの杭を道に置き、邪魔をしている。
「……囲まれています」
目を閉じ長い耳を動かして、集中するシーラは言ったのだった。




