大河、闇、雨⑦
それから地図を広げて、ぱっと10分ほどの作戦会議をした。
僕の案は、単純だ。
カバの前で、ベルモの首飾りを発動させる。
前回、奴はそれを見て我を失わんばかりになった。
それを利用してやるのだ。
うまく市内に誘導して魔力と体力を使わせ、最後にありったけの攻撃を撃ち込む。
つまりーー囮作戦だ。
先に作戦を察していたイライザが、心配そうな顔で僕を見つめていた。
「ジル様…………」
「危険なのはわかってるけど、囮になれるのは首飾りを発動できる僕だけだ。それにーー前回とは違う。建物を壁に、水路が巡るイヴァルトを逃げ回るんだ。そう簡単には、捕まらないよ」
ガストン将軍の陣では、突然のことに僕も逃げるので精一杯だった。
平地で身を隠すこともできなかったのだ。
今回は、遮蔽物が十分にある。地の理はこちらにあるはずだ。
おそらく、建物にも被害は出るだろうけれど、ノルダールは了承してくれた。
最後に、ノルダールが僕に向き直る。彼もずいぶんと落ち着きを取り戻していた。
「……名前が必要ですね、奴の。カバや天使ではまずいでしょう」
ノルダールから借りる兵は、途中の追いかけっこで先導や避難の役割を担う。
これまでにカバを見たことがない人たちだ。
たしかに、紛らわしい名前ではまずいかもしれない。
「たしか、姿形のわからない謎のエステルの使徒がいたよね……。ベヒーモスだったーーかな」
ディーンの王宮で読みふけった神話の本に、書いてあったのを思い出した。
なんでも、目を通しておくものだ。
ライラが腕を組ながら頷く。
「いますね。記録にほとんど残っていない、第5の使徒……ベヒーモス……あいつがそうだと決まったわけではないですが、呼び名としては適当でしょう」
ノルダールも名前に覚えはあったようだ。
「……わかりました。呼称はベヒーモスとしましょう」
なんとしてでも、ここでーーベヒーモスを仕留める。
僕はぐっと拳を突き上げた。
「よし……作戦開始だ!」
『応!!』
◇
僕は監獄から出て、レンガ造りの店の影に隠れていた。
雨具を着込み、モンスターの注意を引かないようにだ。
監獄近くの港では、ガストン将軍の軍がモンスターと激戦を繰り広げている。
飛び出したい衝動を抑え、隣にいる飛行馬を撫でつける。
栗色の毛並みと翼を持つ馬は緊張を感じ取っているのか、しきりにひづめを鳴らしている。
「慌てるな……落ち着いて飛ぶんだ……」
ガストン将軍は斧を振り上げつつ、四方八方へと指示を大声で飛ばしていた。
「右、新手……敵影5! 兵300で討ち取れい!」
どうやらベヒーモスは魔術攻撃を控えているらしかった。
時おり、ベヒーモスはのっそりと肉弾攻撃を仕掛ける。
ベヒーモスは僕に気付いた様子はない。
ガストン将軍はうまく部隊を指揮して、盾の壁を築き、防いでいた。
しかし、モンスターがどんどんと上陸する中では状況の好転は難しい。
沖合いにいるガストン将軍の艦隊は、モンスターがひしめく港に近づけないでいる。
なんとか接近しようとしているものの、右往左往してしまっている。
彼らを誘導して戦力にするのも、大事なことだ。背後から飛行騎兵が数騎、ガストン将軍の艦隊に向かう。
飛行騎兵には帯同してきたディーンの護衛が乗っている。彼らの指示で、ガストン将軍の艦隊を戦線に移動させるのだ。
艦隊の兵には上陸後、他のモンスターを蹴散らしてもらうという仕事がある。
最後の仕留める場所で、邪魔される訳にはいかない。
息を整え、胸元からベルモの首飾りを取り出す。
僕は手のひらから血を出し、首飾りに巻きつかせた。
……ここから先は後戻りも失敗もできない。
血よ、目覚めよ。
いにしえの眠りから、首飾りを揺り起こせ。
紅い宝石が点滅し、光が溢れ出す。
飛行馬にまたがり僕は空へと駆け出した。
雨具を脱ぎ捨てると、大粒の雨が全身を濡らす。
そのまま真っ直ぐ、ガストン将軍の近くへと到達する。
当然、僕はベヒーモスの視界にも入ることになる。
瞬間、刺すような殺気が僕に向けられる。
ベヒーモスの青い瞳が僕を捉えていた。
間違いなく、奴は僕を認識した。
大口を開けて、ベヒーモスは咆哮する。
その異常な様子に、ガストン将軍が空を仰ぎ僕を見た。
「ジル様……!? それは……!」
僕の手の中にある真紅の輝きに、ガストン将軍は驚愕していた。
僕は息を吸い込み、ガストン将軍へと呼ばわった。
「ガストン将軍、奴を引き付けてくれたこと感謝する。……後は、僕が引き受けた! 奴はーーベヒーモスはここで、討つ!!」




