大河、闇、雨④
申し訳ありません、一話前の前半部分がなくなっておりました。
3月2日19時30分より、修正しました。
次の日は朝から小雨が降っていた。
ぽつりぽつりと雨音が窓を小さく叩く。
見渡すかぎり、空は暗雲に覆われていた。
不安な気持ちがよぎるなか、身支度をすませるとイライザが声をかけてくる。
「ジル様、ガストン将軍が到着されました」
「さすがに早いね……今、行くよ」
僕とイライザは馬に乗り、監獄にほど近い桟橋へと赴いた。
元々この監獄は、他国からの犯罪者をとどめおく役割もある。
そして強制送還しやすいよう、船着き場も近くにあるのだ。
桟橋にはイヴァルトの名士が、何十人もいた。見届けるのは構わないと通達してある。
到着した船は、僕も何度か見たことがあるディーン王国の帆船だ。
少し沖合いにも10隻ほど浮かんでいるーーガストン将軍の艦隊だろう。
色彩豊かに華美なイヴァルトの船に比べて、ディーンの帆船は武骨でがっしりとした造りになっている。
甲板から橋がかかり、ガストン将軍が降りてくる。鈍く黒光りする鉄盾隊も一緒だ。
彼らは完全武装のうえ、戦場にいるかのような気迫だった。
ガストン将軍は僕の目の前に来ると、膝をついて挨拶をした。
僕も下馬して、左の手のひらに右拳を打ち合わせる軍礼で応じる。
「ジル様……知らせを受け取り、参上いたしました!」
「迅速な迎え、感謝いたします……!」
「なんの、このような時のために河辺におったようなものですからな!」
がはは、とガストン将軍は快活に声をあげた。実に頼りがいがある。
「では早速、監獄に行きましょう。長居はしたくありません」
「もっともですな、よしーーいつでも船を出せよう最大限に警戒しながら、待機!」
『応!!』
イヴァルトの人たちが不安げな視線を送ってくるものの、僕は気づかない振りをする。
がしゃがしゃとガストン将軍たちが鳴らす金属音を頼もしく思いながら、監獄へと戻っていく。
先にバルハ大司教以外の捕らえた者を外へ出していく。さほどの情報は期待できないけれど、彼らも生き証人だ。
おろそかにはできない。
バルハ大司教は思いの外、落ち着いていた。
屈強なディーンの兵に囲まれ、足枷を解かれている。
何重にも鎖で縛り、逃がすことがないようにする。
青白く光る鎖には魔術が込められており、破壊するのは極めて難しいはずだ。
「たしかに大司教……全く、驚きですな」
ガストン将軍は穴が開くかと思うほど、バルハ大司教の顔を見つめる。
「……他に気を付けるべき点はある?」
「いえ、拘束は十分でありましょう。あとは奪還を警戒すべきかと……。監獄と港の周囲にいる者達を、できるだけ下がらせるべきでしょうな」
「鉄盾隊から20人、周囲の人払いにあてよう。あとイヴァルトの議会にも、人を遠ざけるよう求める。それでいいかな?」
「妥当な采配かと思いますな」
それから一時間ほどは、最終確認に費やされた。
何か動きがあるとすれば、間違いなくバルハ大司教の移動の時だ。
「悪いが、目隠しもさせてもらうよ」
護衛によって、バルハ大司教の顔に大きな布が被せられる。呼吸用の微細な穴が空いているだけで、袋の中からは外の様子はわからない。
「さて、準備はよし。……行こうか」
バルハ大司教を連れて、牢を出た。
石造りの廊下は不快な湿度に満たされている。
牢獄区画から外に歩いていくに連れて、僕は雨が激しくなっているのを悟った。
ガストン将軍もどっしりとしながら、外を気にしている。
僕たちはゆっくりと監獄を出ると、ざあざあと大雨になっている。
僕たち2人の前には、バルハ大司教がいる。
いざという時ーー彼を殺すためだ。
静かに従うだけだったバルハ大司教が、一瞬、振り向くような動きをした。
「……主は、どのような御姿であった?」
突き刺すような声音だ。
「なんだって……?」
意味がわからず、僕は問い返した。
まばたきを何度かして、彼の言う主がエステルだと思い当たる。
「まぁ、よい……すぐにわかることだ」
「何を言っている……?」
「お前たちは思い違いをしている、ということだ。天使様についてーーああ……天使様!」
バルハ大司教が、堪えきれぬように笑い出した。
「謎を明かさぬうちに、幕を閉じようとするとはーーいささか、気が早くはないか? それとも全てがわかっているのか?」
「……お前が、カバを操っていたんだろう? 今、それもできないことはわかっている」
「それが勘違いだ! どうして天使様が、人間の言うことを聞くのだ!? 逆だよ、天使様が私を導くのだ!」
直後、ずしんと港が揺れて地響きがした。
揺れは段々と大きくなるーー立っていられなくなるほどに。
波しぶきがあがり、海が荒れ狂い始めている。
僕は片手をついて、なんとか転ばないようにしていた。
「私に出来るのは、御力を集めて渡すだけーー後は全て、主の定めたる良きままに!」
バルハ大司教は無様に転びながらも、笑いを止めない。
異様な、頭を揺さぶる威圧感が海から近づいてきていた。
一度味わったら忘れられない悪寒も走る。
「これは……!」
僕は戦慄した。
放射される魔力と敵意が波と合わせて、うねりをあげる。
雨と大河が、僕たちを激しく濡らす。
視界の端から、ゆっくりと巨大な影がーーカバが現れていた。




