舞う蝶のような③
ベッドの上にいるロアは、息づかいさえひそやかに、横たわっている。
「……どうやら、ジル様はご存知のようですね?」
部屋に入ってきたレイア議員が、声をかける。
僕は頷くしかない。
見回しても僕たち一行でロアの顔を知っている人間は、他にいないようだった。
正直に言うべきだろうか。
ごまかすこともできなくもない――まだ、いまなら。
リヴァイアサン騎士団は第一級の戦犯だ。
ロアの名前は、いまや大陸中の怨みの的である。
契約魔術に縛られているとはいえ、僕以外がどう反応するかわからない。
「……彼女の名前は……」
僕の胸の中がちくりと痛んだ。
クロム伯爵と、交わした約束がある。
そして守らなければならない祖国がある。
「ロア・カウズだよ。リヴァイアサン騎士団の団長、のはずだ」
「えっ……!?」
声を上げたのは、イライザだった。
無理もない。全てはロアの兄であるクロム伯爵から始まった。
誓いを破るつもりはない。
表沙汰にならない限りは、と約束したばかりなのだ。
ロアに罪があったとしても、それを裁くのは――今でも、ここでもない。
それに、ロアなら様々な情報を知っているのも確かだ。
なにせ教団と一緒に活動していたのだから。
全ては、連合軍と戦争のためだ。
「…………言いたいことは、各自あると思う。でも、私はレイア議員との話を反故にするつもりはない。それだけは、はっきり言っておく」
一番、複雑そうな顔をしているのはアエリアだった。
彼女だけはアラムデッド王国の出身、直接故郷を攻められたのだ。
同時に、アエリアの聡明さなら――僕の意図もわかるだろう。
ロアから話を聞く前に、処断するわけがない。
そして、僕は一度言ったことはディーンの貴族として、必ず守る。
腹立たしくはあるけれど、クロム伯爵と誓ったのだから。
「そんな大物がいたとは……思わぬ収穫です」
ライラが首を振りながらつぶやいた。
表情を見る限りでは、ライラはロアの有用性に気を取られているようだ。
よかった……。正直、ライラが処断を言い出すと説得に苦労すると思っていた。
聖教会の出身であるライラの価値判断は、まだ掴みきれていないところがある。
特に、こんな重大な件ではだ。
僕は横たわるロアから目線を外して、レイア議員を見据えた。
「レイア議員、いくつか答えていただきたいことがあります……宜しいですか?」
「……はい。なんなりとお尋ねください。覚悟は、できていますから」
「まずロアとあなたはーーどういう関係ですか? ……どちらに与するかによりますが、普通なら連合軍かブラム王国へと引き渡すでしょう。わざわざ匿うには、理由があるはずです」
ふぅ、とレイア議員はため息をついた。
「簡単です。彼女は……ロアは、私の妹ですから」
「……っ!」
「母は、違いますが……。これは、あなたたちは知らないでしょうがーーブラム王国の貴族の子息が、今のイヴァルトには多いのです。偽装されていますがその数は、ディーン王国とは比べ物になりません。この意味が、わかりますか?」
「……まさか。数十年前から、ブラム王国はイヴァルトへ手を伸ばしていたんですか?」
「おそらく、そうでしょう。……幼い頃は、ブラム王国で過ごしていましたから。この議員の家には、養子で入ったのです……相当昔から、決まっていたようですから」
「……なるほど。それで、妹のために……」
あれ、と僕は思った。
今の話だと年齢が少しあわない。レイア議員は、29歳ーーロアとは10歳以上、離れているはずだ。
レイア議員が養子に出されたのなら、面識がそれほどあるとは思えないのだけれど。
「ロアは子どもの時から、剣の才能を見込まれてモンスター退治に行かされていました……グラウン大河にも、よく訓練で訪れていたのです」
「なるほど、そういうことですか……」
「事の経緯を考えると、ロアのほうが先に教団の計画に組みこまれたのでしょうね……いざという時の駒として、ロアは育てられていた。……それは、私も変わりありませんが」
レイア議員の瞳に、強烈な憎悪がちらついた。
それは、紛れもなくブラム王国への反発だった。
妹、自分の境遇ーーそれがロアを匿う動機になったのだ。
最初からディーン王国に好意的だったのも、危険を犯して僕たちを招き入れたのも、ある程度納得がいく。
レイア議員は、僕と違って祖国を愛していない。
あるいは、今の自分さえも愛せないのかもしれないが。
「……ロアはリヴァイアサン騎士団の人たちと、ブラム王国から逃亡したのでしょう。そして追われて傷つき、流れ着いた。今のロアの評判を考えれば、頼れる先は多くはありません……」
「イヴァルトは、人の出入りも激しいですからね」
「ええ、ここなら様々な国の人がいます。隠れるにはうってつけです。しかも私がいますからね……しかしーーロアは、大勢を連れてきてしまった」
レイア議員は哀れみをこめた視線を、ベッドのロアに向けた。
「ひとりなら、逃げ切れたかもしれないのに……騎士団の部下を見捨てられなかったんでしょうね。ロアには、そういうところがありました。昔から最前線に立たないと、気がすまななかったのですから」
「経緯は、わかりました……。ありがとうございます。……ロアの容態は、良くないのですね?」
「手を尽くしていますが、回復の見込みはありません……。どうも、既存の魔術ではないーー呪いのようなものを受けているようなのです」
……呪い、か。その言葉を聞いた瞬間、どくんと僕の首飾りが鳴動した。
首飾りが、僕に呼びかけているようだった。
こんな反応は、初めてだった。
まるでーー自分を使え、と言っているかのようだった。




