お礼の品
何かの罠、ということもないだろう。
アルマの権威は凄まじい。
僕をどうこうするくらい、いつでもできるのだ。
手も繋いだままだけど、僕からは振り払えない関係だ。
それが、アルマと僕の力の差であった。
部屋を出ると、アルマの護衛と僕の護衛が待っている。
僕とアルマを見て無理もないけれど、僕の護衛は驚きに目を白黒させる。
アルマの護衛は逆に、全く顔色を変えない。
どうやら、あちらでは日常の光景らしい。
「ちょっと、アルマ宰相に同行して出掛けてくるよ。君たちは、待機してて」
「あら、連れていっても構わないですわ」
意外な申し出だ。
てっきり僕とアルマ、アルマの護衛だけだと思ったけれど。
やはり、それほど裏があるわけではないのか。
「わかりました……じゃあ、一緒に来て」
護衛たちは頷き、僕たちと歩き始める。
一人は残り、イライザへの報告に走らせた。
館にいるのは僕の婚約に関係する者だけで、無駄な人員はいない。
来客もまれなので、閑散としてる。
ぎしりと鳴る階段を降りて、出入口の大きな扉をくぐり抜けた。
やや埃っぽい館から、一気に爽やかな外へ出る。
そういえば、婚約破棄から新鮮な空気なんて吸ってなかった。
一方、ヴァンパイアには、真昼の日光は厳しいものだ。
皆、日傘を開いて防備する。
黒や茶色の傘が一斉に影をつくるのは、アラムデッド王国ならではだ。
僕たちはぞろぞろと館から歩き出す。
アルマがいるので、呼び止められることはない。
「アルマ様、ところでどちらまで行かれるので?」
目的地も聞かないで、僕たちは石畳の道を歩いていた。
住んでいる館は、王宮の外れにある。
ある程度開かれているが、威圧的で古びた石造りの建物ばかりだ。
茂っていない樹木を植える、屋根の高さをばらつかせる等の日光を取り入れる工夫もなく、ディーン王国の王宮と比べると薄暗い。
「最上位貴族御用達の、隠れ家ですわ。王都の外れにありますの」
アルマは楽しそうだ。
まるでピクニックにでもいくかのように、腕を振る。
繋がれている僕の腕も、振り子のようになる。
たまに意味深に、にぎにぎと繋ぐ手に力をこめられる。
そのまま白馬の馬車まで連れていかれると、アルマと僕は乗りこんだ。
王家の三日月にこうもりの紋章が、飾られている。
装飾は控えめだが、魔術の加護が何十層にもなっている。
移動する砦、と形容するのがふさわしい。
内装も、王家の馬車とは思えないほど簡素だ。
金銀は使われておらず、古木で静かにまとめられている。
センスよい茶色、葉をモチーフにした彫りと調度品が、大樹の森を想像させる。
一国の宰相にしては、おとなし過ぎる内装だった。
アルマは手を離して奥の席に着いた。
左手で促すように、横の席をぽんぽんと叩く。
「……質素と思いまして?」
「正直、そのように思いました」
勧め通り、アルマの隣に座る。
目立たない灰色のクッションで、身体が少し沈む。
馬車がゆっくりと走りだした。
音を消す魔術もあるのだろう、車輪の音がない。
滑りだすような感覚があるだけだ。
「だって、せっかくの専用馬車ですわ。一人の時も多いですもの。癒し、静寂の空間であって欲しいですわ」
「なるほど……そうですね」
貴族の馬車は自身の財力、権力を誇示する格好の道具だ。
アルマのように現に宰相、裏で皇太子も凌ぐ権勢があるなら、見栄はいらない。
小窓に視線を移すと、馬車は王宮を出て城下町へと入っていた。
ヴァンパイアの王都は、恐ろしく静かだ。
大半のヴァンパイアは、家で息をひそめている。
街を歩くヴァンアパイアもほとんどが、日傘か厚手の服で光を避けている。
人間や獣人、エルフといった他種族だけが、普通に行き交っている。
それでも都の規模に比べれば、死んでいるも同然の人の数だ。
そして、夜は夜で眉をひそめる都でもある。
嬌声が響き、血を求めるヴァンパイアと血を売る他種族が交りあう。
他種族のうち少なくない者が、ヴァンパイアに己が身を売ると今の僕は知っている。
責めるつもりはないが、自分でやる気はさらさら起きない。
腐っても僕は貴族だ。
神からのスキルでの栄達と、自分の身を売るのとでは雲泥の差だと思っていた。
ディーン王国に比べて、この都は奇妙で気味が悪い。
ヴァンパイアでなければ、背徳の都と非難されるだろう。
王宮と変わらず、尖塔と樹木が陽光を覆う。
冷たい石畳がしきつめられ、噴水や水路といった清涼なものはない。
ヴァンパイアは水が苦手だからだ。
「ジル様、ひとつお聞きしたいのですが……。今、家令や執事はおられますか?」
「……いません」
父と有能な家臣は、先の大戦で戦死していた。
困窮のため、残った人たちも雇い止めをせざるを得なかった。
今は事実上、イライザが執事として機能している。
とはいえ、正式な主従関係にはもちろんない。
イライザは宮廷魔術師であり、所属機関の命令で補佐になっているだけだ。
「それならば、きっとお喜びになられると思いますわ」
「……?」
「お礼をすると、言ったではありませんか。気に入ると思いますわ――ぴったりの人がいますの」
アルマは顔を僕の耳に近づけた。
雪のような息が、僕の耳にかかる。
「お礼の品は……強く美しく賢くて従順な、いわゆる女奴隷ですわ」
心底面白そうに、アルマは言い放ったのであった。