出発
イライザとの話が終わり、晩餐を終えると僕はすぐにベッドに横になった。
外は夜と雲のせいで、真っ暗闇だ。
いよいよ朝にはイヴァルトへと出発しなければならない。
もぞもぞと身体を動かす。
寝苦しい夜だ。
心がざわつくのもあるし、湿気がまとわりついていた。
目を閉じるとすぐに、ぽつりぽつりと窓を叩く音がする。
小さな雨が降ってきていた。
僕はちょっと落胆した。
「……ああ、降ってきちゃったな」
季節通りだし、雨をどうこうできるはずもない。
それでも幸先が良い話ではなかった。
長雨になれば、イヴァルトの任務はより難しいものになるだろう。
雨や増水したグラウン大河を理由に、イヴァルトが援軍を先延ばしにするのは目に見えている。
それでもやり抜くしかないけれど。
規則正しい雨音が心にしみる。
午前の鍛練で疲れていたこともあり、僕の意識は速やかに眠りへと落ちていった。
◇
朝、出発までに雨は止んではくれなかった。
ぱらぱらとまばらながら、雨は続いている。
広場にはイヴァルト行きの十人が揃っていた。
僕、ライラ、イライザ、アエリア、シーラ、それに護衛が5人だ。
アエリアは交易に携わる家柄ということで、今回も同行が決まった。
相手もヴァンパイア、ある意味適役だ。
シーラはディーン王国の滞在の間、魔術や武術の訓練をしていたらしい。
半ばわかっていたけれど、近衛騎士に匹敵する技量がシーラにはある。
しかも死霊術師との戦闘経験もあるし、僕から頼み込んで同行してもらった。
実際には、二つ返事で勢いよく受けてくれたけど。
皆、魔術で編まれた雨具を羽織っている。
紫色で保温に優れて雨粒を弾く魔術具だ。
本殿から離れた広場には、ナハト大公も来られていた。
従者が傘を差している。
「生憎の雨じゃが、いよいよじゃ」
「はっ……行って参ります」
「うむ……無理だけはするでないぞ」
ナハト大公は大きな身体を揺すり小さな声で、
「城塞都市ヘフランの状況じゃが……あまり良くないの。ブラム王国軍に死霊術師が混じっておる。対応に苦慮しているそうじゃ……」
「……なんと……」
「しかし朗報もある。奇妙な霧が出ている間は、敵の攻勢が止まるらしい……。特に死霊術の力が落ちるそうな」
霧と言えば、一人しか思い当たらない。
姿を消したネルヴァだ。
彼は今、ディーン王国側で戦ってくれているのか。
「アルマ殿は参謀としてヘフランへと赴く。ジル男爵……心にとめよ、そなたの働きは紛れもなく大陸を左右するひとつになるのじゃ」
「心得ております!」
「良い返事じゃ……吉報を待っておる」
僕は皆に飛行騎兵へ乗るよう合図をした。
青白く光る重装馬へまたがると、一斉に空へと駆け出す。
大地を駆けるような振動はなく、ふわりと浮き上がり進んでいく。
あっという間にディーンの王宮が遠ざかる。
急上昇しても揺れはなく、振り落とされる心配は少しもない。
眼下にはディーンの王都が広がる。
灰色の石造りと明かりに満たされた街並みだ。
雨の中でも王都はしっかりと息づいて活発に動いている。
青い軌跡を残しながら、僕達はまっすぐ雨の中を進んでいく。
ディーンの宮廷魔術により極限まで強化された飛行騎兵は速い。
王都も過ぎて、山あいへと進む。
「……ガストン将軍の陣まで、2日か……」
到着までは魔力を使い切る勢いで進む予定だ。
それでもガストン将軍の陣までは2日かかる。
右隣を走るイライザが頷きながら、
「地上を走る馬なら半月近くかかりますね……やはり飛行騎兵は速いです」
飛行騎兵はディーン王国でも100頭あまりだ。
空を飛ぶモンスターでも、ここまでの高度と速度を出せるものはいない。
聖宝球沿いに進まなくてもすむのもあるし、速度は圧倒的だ。
最短距離を飛び石のように伝って、ガストン将軍の元へと走り抜けるのだ。
左隣ではライラが、不機嫌そうにしていた。
「雨が続くようなら、作戦を考え直す必要が出てきます……。ああ、もしグラウン大河が氾濫にでもなったら、手ぶらで帰る羽目になるかも……」
狐耳と尻尾が雨具に押し込まれている。
僕にはあまり理解できない感覚ではあるけれど、ライラは相当不快らしい。
僕の視線に気が付いたライラが、慌てて口をつむぐ。
どうやら不機嫌なのを悟られるのが嫌らしかった。
僕も視線を外して雲を見上げた。
真っ黒な雲は途切れることなく続いている。
雲がどこまでも、雨はいつまでも続くような予感が沸いてきた。
覚悟しなければならない。
この雨は、簡単には止まないのだと。




