最終話
「宇佐。よく持ったな。」
蓮本は学校帰りに宇佐の部屋を訪れた。
宇佐は今日から療養病棟へ移っていた。
今では顔色も良く、会話も流暢に出来るようになっていた。
「わりいな。あの事件で全財産使い込んじまったんだ。りんごの一つも買ってやれねえ。」
「いいよ。お見舞いに来てくれるだけで嬉しいから。」
「体調どうなんだよ?」
「うん。大丈夫。後は寝ていれば治るって。」
「そうか。よかったな。俺も今あの喫茶店で働かされてんだよ。お前の代わりに。」
「そうなの?店長厳しい?」
「いや、やりやすいぜ。あのおっさんも心配してるから早くバイト来いよ。」
「うん。一緒に頑張ろう。そう言えば、神田さんは?」
「ああ、あいつは芦屋といるぜ。」
「芦屋君、容態はどうなの?」
「まだ目を瞑ったままだ。」
「そうなんだ…。」
「あれから一週間経ったんだよな…。」
蓮本は窓からゆったりと流れる雲を眺めた。
「なんか、夢みたいだったよな。日常にあんなことが起きるなんてよ。」
「うん。僕もお腹の傷がなかったら実感無いよ。渡部君のことは、本当に残念だった…。」
「今頃、天国で姉ちゃんと一緒なんじゃねえの。」
「だといいね。芦屋君も早く目を覚ますといいけど。」
「そうだな…。」
身辺がようやく落ち着いた所だ。
今回の事件はいくら呪いの山と言えどニュースにまでなってしまった。
さすがにあの二人の過去の事は掘り当てはされなかったが、友情崩壊で友達の腹を裂く渡部皐月の裏の顔に皆驚いた。
未成年で実名報道はなかったが、地元はこの話題で持ちきりだ。
俺も友情のもつれが原因。俺たちはそれを察して巻き込まれただけ。
とりあえずそう説明した。
芦屋の裏の事は三人黙っておく事にした。
刺された宇佐も、訴えを起こす事はしなかった。
ある意味でまた、あの山は有名スポットになってしまったのだ。
「なんか変なのに付きまとわれてたんだけど、ようやく最近いなくなった。マスコミ?とかいうやつ。」
「そうなんだ。今回はさすがにことが大きくなっちゃったね。学校生活は大丈夫?」
「ああ。神田を守りつつみんな脅しといたからなんも話してねえよ。大丈夫。お前が学校行くときゃ俺が周りの奴らが余計なこと言ったらぶっ潰してやるからよ。」
「ありがとう。」
宇佐はそう言って笑みを浮かべた。
「渡部君は、僕達を最初から殺すつもりなんかなかったんだろうね。いくらでも殺すチャンスはあったのに。」
「腹刺されてそんなこと言えるかよ。」
「でも、人質にされた時は大丈夫?なんて声をかけて来たから。もしかしたら最初から芦屋君を殺すのが目的だったのかな。」
「いいや、なら山に行かずとも殺してんだろ。きっとあそこで神田殺してくれると思ってたんじゃねえの?あいつにとっても苦渋の決断だったんだろ。だから、わざわざあの山に登ってあんな思い出の場所で答えを聞きたかったんだろ。」
「じゃああの時芦屋君が渡部君を選んでたら僕達殺されてたかな。」
「かもな。だからお前を最初に刺したのかも。けど、芦屋が完全に我に帰ってたからな。許せなくなったんだろ。芦屋を。」
「あの事件がなければ、あの二人がこんな風になることもなかったんだよね。」
「渡部皐月は異常ではあったけどな。けどそうさせたのも、あの二人が出会ったのも…全部その事件のせいなんだよな。俺はあいつらを恨んだりしてねえよ。俺だってあんな事されたらどうなるかわかんねえし。」
「悲しいね。あの事件があって、あの二人が仲良くなったって言うのも。」
「そうだな…。宇佐、そういやクラスの連中が見舞い行きたいってよ。今度連れて来てもいいか?」
「うん。僕も嬉しい。みんなと早く会いたい。」
「なら良かった。今度連れてく。そろそろバイトだ。」
「うん。じゃあね。今日はありがとう。」
宇佐はそう行って手を振った。
「…。」
だが蓮本はまた違う病棟へ行く。
一般病棟へ手続きしながら移ると、とある病室に向かった。
ガラガラ
「よお。どうだ?」
蓮本は眠る芦屋の隣にいる神田に話しかけた。
「変わらないわ。」
「でも危機は脱したんだろ。」
「ええ。でも私がこうやって手を握ってあげないと。」
「…。」
蓮本は隣の椅子に座る。
酸素マスクをつけている芦屋は、未だに眠っている。
「よく生きてたよな。腹裂かれてよ。」
「そうね。宇佐川君が命からがらに警察に通報していてくれたおかげね。」
「…。」
「彼は目覚めたら最初に何を思うのかしらね。」
「悲しいことばっかだな。お前はこいつを支えるつもりなのかよ。」
「助けておいて放っておけない。」
「大変だぞ。こいつ支えるの。」
「そうね。でも、一人にしておけないもの。」
「まあ、言っちまえば俺らがあいつから引き剥がしたってのもあるからな。あんなんでもこいつには大事なものだったんだからよ。」
「だから今度は支えてあげるのよ。あの時一緒に死ねば良かったなんて思わせないように。」
「しゃあねえ。こいつと友達になってやるか。しかしいつまで寝てんだよこいつ。」
「このまま、順調に行くといいけど。」
「そうだな。じゃあな。俺バイトだから。」
「ええ。」
蓮本はそう言うと、病室から立ち去った。
「芦屋君…。」
神田は動かない芦屋の冷たい手をずっと握り続けた。
「…。」
しばらくして芦屋は静かに目を覚ました。
白い天井が見える。
ここは病院か?
だが体が動かない。
隣には、眠り込んだ誰かが手を握っている。
その握られた指の一つも動かすことができない。
そうか、あの後助かったのか。
だが、声も発することができない。
余りにも眠りすぎて筋肉も無くなって声も出なくなっているのか。
今は何年のいつだ。
俺は一体どれくらい眠り込んでいたんだろう。
「おはよう。」
「…。」
誰の声だ?
「おはよう。卓。」
「!」
すると、病院の扉の隙間から黒い靄が入ってきた。
「!!」
体が跳ねた。
実際跳ねてはいなかったかもしれない。
だがその靄は迷うことなく俺の足元あたりに浮遊していた。
そいつは徐々に形を変えると、あのフードの男の形になった。
「!!」
駄目だ体が動かない。
出るのは恐怖で止まらない涙だけだ。
「目が覚めたか?俺はもう待ちくたびれたぜ。お前を連れてくのに邪魔する奴はいなくなった。ようやくこれでお前を連れて行ける。」
フードの男は芦屋の投げ出された左手を引っ張る。
するとその黒い靄が芦屋の左手を徐々に靄に変えていった。
やめろ!!!!
心の中で叫ぶが、体も動かない上に声も出なかった。
自分の左手、腕がただの気体に変わる。
「芦屋君?」
隣のずっと手を握っていた奴が目を覚ました。
神田だった。
異変には気付いているものの、徐々に消えて行く俺の体には気付いていないようだ。
そうか、これはまた夢なんだ。
悪夢だ。真実じゃない。
でも、俺は皐月からもらった薬はしばらく飲んでいないはず。
なんで、こんなもの見ているんだ?
「どうしたの?芦屋君!」
神田がナースコールを押した。
現実の俺はいったいどうなっている?
これはもしかしたら、本当?
「…。」
体が完全になくなる。
俺の身体はただの空中を浮遊する気体になった。
フードの男は浮いた俺を捕まえ、どこかに連れて行こうとする。
だが、ベッドにはまだ俺を必死に呼びかける神田と、慌ててやってきた医師と看護師が俺に心臓マッサージをしている。
「芦屋君!!!お願い起きて!!ここまで来て死んじゃ駄目!!」
神田の泣き叫ぶ声が病室に響く。
だが、彼の心電図は平行のままだった。
「ご臨終です…。」
しばらく頑張っていた医師は手を止めた。
神田の泣きじゃくる声が聞こえる。
宙を浮く芦屋にも、その言葉が聞こえた。
違う。これは最期の悪夢なんだ。
地獄や天国なんて存在しない。
しないはずなんだ…
「俺は…このまま…。」
神田…
ありがとうな…。
「芦屋君…。」
神田は動かなくなった芦屋の目を見て驚いた。
いつの間にか目から涙を流していたからだ。
そして一瞬だけ、彼の手が自分の手を握ったような気がしたからだ。
おわり