第一話
芦屋卓は高校生。
仏頂面の得意な男だった。
その仏頂面は社会の人間たちと交流することすら拒んで、いつも一人でいては
机の上で顔を伏せて寝ていた。
彼に話しかける同級生もおらず、優しいそのクラスでは彼に気を遣って誰も話しかけず
彼に茶々を入れてトラブルだって起こさない。
その鋭い目は、このクラスの問題児の不良の男でも見て見ぬふりをするレベルだった。
だが、芦屋が高校二年になる頃には、その状況は一変していた。
「…。」
9月の始め。衣替えが完了し、肌寒くなってきたこの季節。
芦屋卓は朝八時にいつもの通学路を一人のんびり歩いていた。
今日の天気は快晴。
芦屋の冷淡な表情とは打って変わってとても朗らかな日和だ。
「おーい!!」
「…。」
後ろから追いかけてくる声に耳を少し動かすが、振り向きもせずただ黙々と登山家のような足取りで歩き続ける芦屋。
「卓!!!」
バシッっと強めに肩を叩いてきた男はそのまま笑顔で彼の横についた。
「はあ…はあ…。おはよう卓。」
「誰?」
「渡部皐月よろしくね…ってなんでだよ!俺、お前のマンションの前でしばらく待ってたんだぜ。人の気配無かったからもしかしてと思ったらお前の背中が見えたんだよ。」
「お前が遅いんだろ。遅刻したくないしな。」
「遅刻って、まだまだ余裕じゃないか。」
皐月はそう言って、腕につけたシルバーの腕時計を見た。
「お前が八時ジャストに迎えに来るって言ったんだ。来なかったからお前が悪い。」
「ごめんごめん。玄関を出る前に靴紐きれちゃって。」
「ふん…。」
二人はしばらく談笑しながら歩き続けると大きな校舎が見えてきた。
ガラガラ
2の2
と書かれた
教室のドアをくぐる。
すると、その二人を見た何人かの女子生徒が二人に微笑みかけた。
「おはよう!渡部君。芦屋君。」
「おはよう。今日はいい天気だね。」
と、好青年の皐月はそうにこやかに答えた。
「…。」
その真逆の芦屋はそれを無視して自分の席へ一直線。
「ごめんね。」
「いいよ。だっていつもの事だし。」
「あはは。ごめんね。」
「でも、芦屋君明るくなったよね。渡部君と一緒にいるようになってからさ。」
ピンクのリボンをつけた、ツインテールの人懐っこい彼女はそうウキウキしながら言った。
「そうかな?仏頂面には変わりないけど。」
「そうだよ。だって渡部君が理研部の部活でいないときとかすごく寂しそうだったよ。ほんと好きなんだね。渡部君の事。」
と、彼のみぞおちあたりをツンツンとつつく。
「だといいんだけどね。でもあまりそういうとこ俺の前では見せてくれないからなあ。」
「ふふ。ほら早く行ってきなよ。嫉妬されちゃう。」
ボディータッチの激しい彼女は満面の笑みで渡部の背中を軽く押した。
「また変なこと言ってなかった?」
そのツインテの彼女に、近くで見ていた黒髪のショートカットの女の子がすぐにつついた。
「何を?」
「アンタの趣味に巻き込まないで上げてよ。」
「へへ。でも、わかんないじゃん。もしかしたらもしかするしー。渡部君絶対芦屋君の事好きでしょ!絶対そうよ!間違いない!!」
「もうやめてよ大きな声で!」
「ぐふふ…だってさあ、共通点が一つもない二人がさいきなり仲良くなったんだよ?二人とも高校までは学校も違うし家も近いわけじゃないし、これってもしかしてもしかするとじゃん?」
「じゃん?じゃないよ。まあ、そういわれると確かにあの二人が仲良くしてるの不思議だけどさ。」
「でしょー?あんな性格真逆な二人がさー…。」
「と言うか、あんたそこまで調べたの?気持ち悪。」
一人で盛り上がる彼女に、黒髪の彼女は軽蔑のまなざしを向けた。
「早く自分の席に戻れよ。」
芦屋はすぐにやって来た皐月にそう吐き捨てた。
「つれない言葉ばっか言って。寝ぐせ立ててるけど朝飯は食べる時間あったか?」
「うるせえな母親かよてめえ。食ってねえ。」
「俺が来る前に食べる時間あったろ。あ、さてはお前わざと俺を置いてくために早く出たのか?」
「八時までに来なかったのはお前だ。」
「八時じゃまだ間に合ってるだろ。もしかして寝坊気味だったのはお前の方か。」
「うるせえな。」
と、芦屋は寝癖を誤魔化すためか、素早く首を横に振った。
「もうそろそろ戻らなきゃ。」
そういうと、皐月は真ん中の列のど真ん中にいる彼から廊下側の前の席へと向かった。
昼休み。
チャイムとともに雑踏で騒がしくなる室内。
芦屋は自分の席から一歩も動かず、ボーっとしていた。
「腹減った。」
芦屋はそういいながら目の前の女生徒を見ていた。
「お待たせ。」
それを遮るように皐月が小さなビニ―ル袋を持って現れた。
当たり前のように前の席の椅子を反対に向けて、芦屋と向かい合わせで座った。
「お前もそろそろ食べられるもの増やさないとな。」
「腹減った。肉食いたい。」
「肉系すぐ売れちゃってさ。パンしか買えなかったんだ。」
芦屋の机に菓子パンを何個か取り出す。
「俺甘いもの食わねえって言ったろ。」
「しょうがない。今日混んでたんだ。」
と、皐月は徐にメロンパンのビニールを剥がし、それを芦屋のへの字の唇に押し付けた。
「食べないと。午後倒れちゃうよ。」
「いらねー。肉食いたい。」
「栄養偏るぞ。」
「人肉食いたい。」
「は?」
皐月がそう府抜けた返事をすると、みるみる顔色を変えた。
「お前学校でそういう事言うな!!みんなに聞かれたらどうすんだよ!!」
「ふん。」
芦屋はそう腕を組んでふてくされた時だった。
「キモ。」
窓側から聞こえたてきたその声に、芦屋は思わずそっちを向いた。
すると、窓際の一番端っこにいる黒い髪を一本に縛った女生徒が一人ちょこんと座っていた。
周りに人はおらず、彼女が言ったことには間違いない。
「…。」
芦屋はその女生徒を無言で睨みつけた。
その彼女は独り窓際で自身の弁当を食べながら何事もなかったかのように窓の外を見ている。
「聞いてるのか芦屋!!!」
「…うるせえ。」
「お前のために言ってるんだぞ!!」
感情の高ぶった皐月は、そのまま利き手の右手を大きく振りかざし芦屋の頰めがけ殴ろうと振り下ろした。
「ッ!?」
だが、その手は芦屋の頰に辿り着くことはなかった。
顔を歪ませたのは皐月だ。
なぜか右手の中指に激痛が走る。
芦屋は俯いたまま、その口には皐月の右手の中指を咥えていた。
そして静かに噛みちぎるように上下の歯をギリギリとノコギリのようにすり潰す。
皐月は先ほどの態度が嘘だったかのように、激痛で真っ青になった。
「卓…お前はもうそんなことしなくていいんだ。人を食べる必要なんかないんだ。あの悪夢は終わったんだ…。もう苦しまなくていいんだ…。」
何か呪文のように、皐月は汗を垂らしながらそうぶつぶつと誰にも聞こえないような声で彼に唱える。
依然周りは騒々しく楽しげに盛り上がるグループの声で、彼らの奇妙な光景はかき消されていた。
彼の指に血の気がなくなり、痺れてきたその時
「はっ…。」
芦屋が目を覚ますと、垂れたよだれと共に皐月の指は解放された。
「皐月!…俺またやったのか…。」
目の前で指を噛まれうずくまる皐月。
だが、すぐ直ってにこやかに笑いかけた。
「大丈夫だよ。こんなことくらい。」
「血出てる…。」
「いや、こんなの唾つけとけばさ、なんとかなるよ。」
「…。」
「大丈夫だよ。こんな事で友達やめないからさ。そんな顔するなって。」
皐月はそうまたにこやかに取り繕った。
だが、ボロボロの彼の手を見れば自分の罪の数ばかり残っていて、その言葉にすらも安心できない芦屋がいた。
あの仏頂面の彼もこの時ばかりはおもちゃを壊した子供のような顔になってしまう。
「なんでもする。なんか言うこと聞いてやる。」
「じゃあ、今日部活終わるまで図書室で待ってて。」
「そんなんでいいのか?」
「うん。だからもうそれでチャラね。はい。これで終わり。メロンパン食べよう。」
皐月はそうハンカチで慣れたように止血しながらそう微笑んだ。
「…見ちゃった。」
「え?どうしたの宇佐。」
「いや、ううん…。」