【 第1章 : 勲章の男 】 1-4
~震災の地へ父は向かった。
唯一の手掛かりは祥太の肌身離さぬあるモノだった。
【 第1章 : 勲章の男 】
《1-4》
10日後、父は泥だらけのボロボロの姿で帰ってきた。
震災に因って乗り物はおろか歩く道さえ儘ならない道中。
僅かな手掛かり。ごくごく小さな可能性。それでも父は行き、そして帰ってきた。
虚ろな目、ボロ雑巾のような姿で、しかし、胸に小さな箱を抱いていた。
それは桐の箱でも陶製の骨壷でもない。単なるアルマイトの缶だった。
待ちかねた伯父と伯母は、どこで用意したのか立派な骨壷を手にして、父を出迎えた。
「泰輔、ありがとう。ありがとう。」兄が弟を拝んでいた。
アルマイト缶を開け、ポケットから白い布を取り出して、父はその中から一つ一つそれは大切に、黒く或いは茶色く汚れた骨の欠片を包み、伯父に渡していく。
「祥太ぁ。」伯母の号泣。
伯父は受け取った骨に頬擦りしながら泣いていた。
ゆっくりと父は話し始めた。
「峰山町で祥太さんが友人達と取った宿は光舟屋という宿でした。地震で全壊の上、火も重なり全焼、祥太さんを見つけるのに時間を要しました。しかし、唯一、祥太さんの手掛かりはその大火にも耐え、あんちゃんのことを待っておりました。これがその手掛かりです。」
一番最後に父はそれを取り出した。
白い布の中でそれ太陽を反射してキラリと光った。
「これが・・。」
伯父は目を見開いてそれを見つめた。
横から覗き込んだ伯母が、得心した様子で言う。
「そう言えばあの子、紐に通して首からぶら下げてましたねえ。」
「そう言われればそんな気もするがのお・・」伯父も記憶を手繰っている。
家族全員がそこに居て、それを見つめていた。
忠篤は背伸びをしてそれを見ようともがいている。母は手拭いで父の首筋の泥を拭いてやろうとしている。僕は中身を全て取り出されたアルマイト缶を父から受取り抱き抱えた。八郎さんも、昨日から戻ってきたタキさんもどこか穏やかな表情で泣いている。
「泰輔、これは何というものだ?」
伯父が問う。一座の者が、そう言えばそうだと頷く。笑顔が連なっていく。祥太さんは骨になって戻ってきたけれど、戻って来られたことを皆が喜んでいる。
「それはサイドパイプと言います。」と父は説明を始めた。
「海軍の士官が軍艦の乗組員に合図を知らせる時に使う笛で、号笛と呼ばれます。」
「ほう、なんやら食べかけの枝豆みたいやなあ・・」首を傾げながら伯父は妙な例えを言った。
「憧れの海兵さんが持つ道具ですから、祥太さんにとっては肌身離さぬ宝物だったんでしょう。」
「ほうか、やつの宝物かぁ。」
「素人が吹いても妙な音しか出んらしいです。」
「ふうん。」一同が頷く。
「祥太がこれを吹いておる姿をワシは知らん。あいつは格好悪いから人前では吹かなんだんじゃろう。あいつらしいの。」伯父は遠くを見ながら溜息をついた。
こうして、祥太さんはやっと帰宅したのだと僕は思った。
悲しいけれど、僕は、そこに居る全ての人を---サイドパイプになって戻った祥太さんも含めて---全ての人を愛おしいと思っていた。
※ ※ ※
その夜、僕は夢を見た。
祥太さんが戻り、僕等家族四人は久し振りに身を寄せ合って床に就いた。
安らかな入眠---の筈だったのに。
---灯籠の横に、あの、鬼と大蛇が居て僕を見ている。瞬時に、僕は、あの夜の幻影を思い出した。
僕の身体は固まり動かない。
ケへへと薄ら笑いを浮かべて鬼は言った。
「感謝してくれよな。おい--お前。」
何だ?何を言っている?
「手伝ってやったんだぜ。」背筋に冷たいものが走る。
「始末してやったのさ。」何を?誰を?まさか・・・
「思ってたじゃないか、あいつが憎いって。あん時よぉ。」---
「思ってない!僕は・・」
鬼は僕から視線を外さず三本の指を向けて僕を制した。
「憎かったんだよ。お前は。」
「いつか、やり返すって思ってたんだよ。小僧、お前が思ってたんだ。だからな、手伝ってやったんだよ。」
「違う!」叫びながら僕は気を失った。夢の中で気絶していた。
※ ※ ※
★ ★ ★
1945年(昭和20年)5月8日、朝、極道者の沼田に突き飛ばされた僕は、32歳になっていた。
町衆がどこか冷たい視線を投げかけている。理由は明白だった。
※ ※ ※
厳しい戦局にあって、健康な男子は皆、国命を受け兵役に就き戦地に出て行った時代。
幼き頃より喘息を患い病弱であった僕に召集令状は届かなかった。
農業を生業とする我が家にあっても僕は体調面故に主たる働き手ともなれず、老いゆく父を安心させられずに居た。
四歳年下の忠篤は反対に体躯に恵まれ早くから我が鈴井家を水耕米作で支えてくれていた。
僕は同じ町内の名士の口利きで町役場に就職を許された。正職員ではなかったが、僅かではあったが、家計を助けることはできた。有り難いことだと、父も僕も思っていた。
弟、忠篤は体力だけでなく人柄も明るく周囲に好かれ、また病弱な僕を支え且つ兄として立ててくれる気持ちの良い青年だった。
僕と忠篤の青春は、国家が戦争という荒波に漕ぎ出してゆく時期と重なり、必ずしも晴れやかな日々ではなかったが、お互いを助け合い懸命に生きた。
「ワシは体力がある。兄ちゃんは頭がええ。二人なら百人力じゃ!」そう言って忠篤は笑った。
弟にも召集令状は暫し届かなかった。
戦局が大きく転じた昭和18年以降、忠篤にそれが届くことを父は覚悟したと言うが、結局、遂にそれが届いたのは19年の春であった。
弟は覚悟を決めて27歳の兵役としては遅い年齢で、陸軍神戸連隊に発った。
殊、出征に至っても弟は嫁を取ることを良しとしなかった。彼以外の誰もが望んだ祝言(結婚)を拒んだのは、縁談の薄い僕への遠慮からだった。
弟の優しすぎる思いを知ってはいた僕だったが、令状が届いたことを機に自ら彼を諭したことがある。
「兄ちゃんに遠慮せんとお前は嫁を貰え。」と言った僕に、弟は珍しく怒った様子で、
「ワシが死ににいくと思うんか?兄ちゃん、ワシは生きて戻る。戻ったら嫁を貰う。」と言い切った。
そして、「こんな事、外では喋れんがの・・」と溜息をついた。
---確かに、戦って死ぬ、事が礼讃される世間。誰も何も言わぬが、そういう時代の真ん中であった。
祝言を上げることなく彼は発ち、鈴井家の水耕は年老いた父と近所に残った老人と女たちの共同業となった。
年齢の割に体力のあった忠篤は神戸連隊区から、同年3月編成されたばかりの第五方面軍第二十七軍に配属され千島列島の防衛に当たった。
簡単には弱音を吐かない忠篤からの郵便に(とにかく寒い)と記されていた事に僕は驚き、北の果ての気候の厳しさを知った。
日本の同盟国、ヒトラー総統率いるドイツ軍が欧州東部戦線で次第にソビエト連邦にその主導権を奪回され、連合国軍の攻勢も相俟って敗色濃厚となったのが昭和19年6月。同じく日本の同盟国イタリアはその前年9月に既に連合国に降伏していた。
勿論帝国大本営も、その末端の弟の手紙も、厳しい情報統制と検閲により戦局の詳細を語ることは決してなかったが、弟が千島で働いているとの事実が、故国の置かれた状況を僕に予見させた。
結果として後から思えば、独ソの大陸での闘いの長期化が千島の地を即、戦地とすることを防ぐことともなった。
忠篤は生きて、極寒の地で昭和20年を迎えていた。
年が明けて、激動と無情の昭和は20年となった。
役場勤めとは時として残酷な職務だった。
戦地に召集される令状は陸軍省が作成し戦局に応じて動員計画に基づき当局にて対象者が指定され、警察署の金庫に保管された。いよいよ動員の命令が発せられれば警察官が行政の各役場にこれを届けた。
僕が勤める香寺町役場、ずっと昔から(香寺事務所)と呼ばれてきた役場に、召集令状が届く朝はその度に奇妙などんよりとした空気に包まれた。
勿論僕如き下っ端がその書類を触ることはなく、該当の兵事係の吏員が扱った。吏員は黙ってこれを確かめ本人に手渡すべく事務所から外出して行った。
北へ向かうのか、西に向いて歩くのかのその方角で、応召者の見当がついてしまう、という残酷。
昨年春、吏員は僕に何の気配も残さずに、忠篤への令状を我が家へ届けた。けれど、僕は、その方角でそれを知っていた。余りにも残酷な儀式にすら思えて胸が悪くなった。
昭和20年2月、僕に届いた令状は、僕のすぐそばで役場内を移動し、いつもの吏員が我が家に届け父が受取り、帰宅後僕に渡された。それが決め事であり、然るべき手順であった。
「直樹は、健康検査で落第じゃ。」父は僕と目を合わさずに言った。
僕には赤紙は来ない、と正直高を括っていた僕の、死を免れているとの安堵と、自分だけが狡いとの自責と劣等感---町の若者が減って行く度に僕は苦しい思いに駆られていたが・・・
こうして今、戦えと国家に命じられて、この十年間背負いきた不条理な重荷の半分から解放された気もした。
(忠篤、兄ちゃんも行くことになったよ。)
雪の空に向かって語りかけた。
当然見えない星の、しかし晴れた夜にはいつも殊に輝く星のある方向を見上げて、僕は久し振りに母を思い出していた。
(母ちゃん、僕と忠篤を守ってくれるかい?)
母を思うのは本当に久し振りだった。
弟に続いて僕にも遂に召集令状が届いた。
戦局とともに、兄弟の運命に風雲急が告げられる~