金 金 命
今回はお金のことに焦点を当てましたが、動物自身、どれくらいの医療を望んでいるのか。
人でも、どのような医療を望むのかはそれぞれの心情により異なることだと思います。動物においては、さらにそれを人が想像するしかないので、より答えは出ない問題であると思います。
金の切れ目が縁の切れ目。実際そうだよな、と剛は思う。おしゃれな服を着こなし、しゃれたレストランに行く。車を買って維持する。大人と認められる活動をしようとすればお金がかかる。お店とのつながりは、金あってのこと。友人との付き合いもまた、金あってのこと。友人との切れ目は、著名な某作家の作品によれば、金がないから友人が去っていくというのではなく、金がなくなると、何となく付き合いにくくなり自分の方から距離を置いてしまうという順序らしい。
剛は、自分を振り返る。26歳、臨床2年目、一人暮らし。金も時間もない。動物病院は毎日が勉強だ。医師のようにインターン制度はないから、解剖学という基礎の研究室卒業の剛のような獣医師は、国家資格を持っているといっても、診察ができる権利があるだけで、実際に使える臨床の技術も知識も卒業してから本格的に身に着ける。だから、最初の3年などは丁稚に近い扱いだ。大学時代の友人の多くも同じような生活をしているし、高校時代の友人たちの多くは一般社会人となり、平日休みの剛とは休日もあわず、疎遠となっている。
動物を飼うのは、こんなにお金がかかるとは思っていなかった。一歩間違えば、というのは不謹慎かもしれないが、ちょっと重症の病気になったり、骨折や椎間板ヘルニアなどになったりすれば、数十万円単位での出費につながる。それも病気や怪我が理由だから、待ったなしのことも多い。
動物の医療は絶対的に高額だが、相対的に見ればそれほど高額ではない。しかし、人のような社会保険はないし、いくらかかろうとも高額医療控除などのセーフティーネットはない。動物を飼うということは、あくまで娯楽の範疇なのだ。
今日、急性の腎不全になり、1週間入院していた猫が退院する。剛が初めて担当した病気らしい病気だ。ソラというこの猫は、1週間前、ぐったりとした様子で運ばれてきた。診察室で問診したところ、どうやら2日前からおしっこが出ていないということだ。触診すると、硬く緊張した膀胱が触れる、触られることが苦しいのか、ぐぅぅというような小さなうめき声をあげたが、逃げたり怒ったりするような気力はないようだった。
「山崎さん、ソラちゃんは尿閉という状態と考えられます。何らかの原因で、膀胱からおしっこが出せなくなり、パンパンになっています。この状態が続くと、新しく作られた尿の行き場がなくなり、腎臓に負担がかかってきます。できるだけ早急に、膀胱からおしっこを抜き、腎臓に負担がかかっていれば点滴をする必要があります。少なくとも3日は集中した治療が必要で、入院も1週間くらい必要になると思います」
と切迫した状況を伝えた。飼い主の山崎さんは20代後半と思われる、若い女性だ。
「入院させるのは可愛そうな気がするのですけど、どうしても入院しなくてはだめですか」
どうやら、病気の切迫感がまだ伝わっていないようだ。
「2日前から尿が出ていないのは、かなり危険な状態です。このまま放置すれば命にかかわります。それに、もし回復したとしても、腎臓の機能低下という後遺症が残る可能性もあるような状態なんですよ」
命にかかわるという言葉を聞いてやっと、事の重大さがわかったのか、眼が潤んで頬に赤味が差してくる、泣かれると、ちょっと面倒だなという気持ちになる。取り乱した飼い主には、説明が届きにくい。しかし、山崎さんはそこで踏みとどまって、眼をうるませながらも、冷静に話を受け止めたようだ。
「先生、ソラをよろしくお願いします」
と、少し震えた声で告げてくる。それではお預かりします、最善を尽くしますと、清廉に言えればいいのだが、ここで伝えなくてはいけないことがある。
「わかりました。全力を尽くします。この病気はどうしても集中した治療が必要ですから、まず一安心できる状態になるまでにおそらく10万円近い金額がかかってくると思いますが、よろしいですか」
山崎さんのうるんだ眼、ソラちゃんを純粋に心配してうるんだ眼に僅かな動揺が走ったように思ったのは、剛の後ろめたさが見せた幻かもしれない。
ソラの治療は順調に進んだ。血液検査では、腎臓にかなりの負担がかかっていることが示された。腎臓の数値は測定限界を超えてとんでいる。レントゲン検査、超音波検査などの画像検査では、いわゆる結石が尿道をふさいでいるわけでは無いことがわかり、膀胱内にカテーテルを入れる作業は比較的スムーズだった。カテーテルからとれた、真っ赤な尿での尿検査では、細菌感染はなく結晶といわれる、砂のような成分が膀胱内に多量にあり、それが尿道を詰まらせたことが分かった。
ここまでで、4万円近くかかっている。
前肢に留置針という、シリコン製の点滴を流すための管を設置して、点滴を流す。先ほど尿を排泄させるために挿入したカテーテルは、そのまま体に取り付けておき、再度閉塞させることなく、点滴で産生されてくる尿を効率よく外に流し、腎臓の機能の早期の回復を促す治療をおこなう。腎臓の回復をみるために、入院中は毎日血液検査をすることになるだろう。入院代、点滴代、投薬や検査代、もろもろ必要なことだけで、1週間入院すれば約10万円だ。容体が安定しなければ、さらなる検査や治療が追加されることになる。尿閉という病気は、命に係わる病気だし、実際ソラの状態はかなり悪い。10万円で命を取り留められれば安いものだとは思う。それに、人の医療と比べれば割安だとも思う。しかし、剛の気持ちは快晴にはなれない。剛だってまだ年数の浅い獣医師で、その手取りは20万円もいかない。その現実を考えたとき、不意の10万の支出の痛手は大きい。
「ソラ、頑張れよ。順調に治れよ、色々な意味で」
閉塞していた尿道が解除され、苦痛から解放されたソラは穏やかに丸まって寝ている。その狭い猫の額をつつきながら、祈りに近い励ましを伝えてみる。
翌日になると、ソラの状態はだいぶ安定し、食欲も出てきた。昨日はぐったりしていたが、今日は余裕があるようで、頭をなでるとゴロゴロ喉を鳴らしてくる。本来、懐っこい性格なのだろう。状態が良くなって本来の性格がようやくわかってくるため、元気になった途端、怒ったり威嚇したりしてくる猫も少なくない。
「お前、いいやつだな」
やはり、加療して動物の状態が良くなってくれば獣医師として剛だって嬉しい。何となく気分も明るくなるし、手ごたえも感じる。
「山崎さんご面会です」
受付からの内線が伝える。
受付に待っていた、山崎さんをICUに案内する。人のように隔離された病室があるわけでは無いが、一般入院室よりも目につきやすい場所に設置されているICUケージ。その2段目にソラは入院している。飼い主である山崎さんと、とその小さな娘さんの顔が見えると、ソラのゴロゴロの音も最高潮になる。猫がゴロゴロいうことは知っていたが、その音が離れたところからも聞こえるほど大きいこともあるのは、病院に就職してから知った。
「ソラちゃんよかったね、お母さんたち来てくれて」
猫に話しかけてから
「ソラちゃんの経過は今のところ順調です。カテーテルから出てくるおしっこはまだかなりの血尿ですが、血液検査では順調に回復していますので、膀胱の炎症が落ち着いてきたら、退院のタイミングも考えていけると思いますよ。食欲も出てきて、今日の朝ごはんも完食でしたよ」
空になったお皿を示しながら、ソラちゃんの今日の様子を伝える。山崎さんも心底ほっとした症状で、娘さんはソラちゃんを触ろうと手を伸ばしているという微笑ましい絵が剛の面前にある。
獣医師としての、仕事の遣り甲斐はなんですか。というありふれた質問。たいがいは、病気になった動物が元気になって帰っていくときと答えるだろう。それも嘘ではない。が、剛は動物が回復しつつある時の面会の時が一番の幸せを感じるときかもしれないと思った。今面前にある光景が一番の至福だと思った。猫も人も幸せそうだ。僕もホッとして、幸福を感じている。そしてお互いに、今現在の入院費については触れない。入院の後半になってくれば、概算としての費用をそれとなくほのめかしていく必要も出てくるが、急性期を乗り越えた直後は対外お金の話しにはならないのだ。
ひねくれているのかな、と剛は思う。あるいはケチなのかなとも思う。本当には動物を愛していないのかもしれないと自信もなくなる。動物病院だって慈善事業ではなく、収益をあげていかなければ、剛の給与もままならない。それはわかっているし理解もしている。でも、もし、お金のことや自分の体力のことを考えずに、無我夢中で動物達を助けることに邁進したら、もっと幸せかもしれないと夢想する。それは、きっと僕にはできない。いつか倒れる。お金がなければ、その行動自体続けることもできない。
面会が終わり山崎親子は帰っていった。と同時に剛も夢想を止めた。
3日目くらいから尿の色もだいぶ赤くなくなり、膀胱炎も終息に向かってきた。膀胱内の砂のような結晶を何度か洗い流して量を減らした。血液検査の結果も正常版に入ってきて、カテーテルを装着していること以外、ソラは健康な猫と変わらない。そのカテーテルが外せるかどうかというのが天と地ほども違うことなのだけれど。
翌日、カテーテルを抜いた。あまり長く挿入していると感染が起こってくる可能性もあるからだ。抜いた直後の様子は、全く変化はない。おしっこさえ貯まらなければ、普通の猫と変わらないのだから、排尿が必要なタイミングになるまでは結果はわからない。
けっきょく、その日のうちにソラは排尿の様子を見せず、夜間静かになってからの排尿を期待して、剛も病院出て帰路につく。
明日朝、排尿していればいよいよ退院は近い。あと数日継続して観察して、順調ならが退院だ。しかし、明日またでない状態になっていれば、もう一度カテーテルを入れての管理をやり直すことになる。その場合は、また費用と入院の長期化だ。
「ソラ頑張ってくれよ。色々な意味で」
剛の思い描いていた獣医師像では色々な意味など、ないはずの仕事だったのに。やっぱり現実は現実的で、色々な意味というものが発生する。
翌日出勤すると、ソラは排尿していた。小さくガッツポーズをする、このガッツポーズにも色々な意味が含まれている。その後も順調な経過を見せ、3日後の週末ソラは退院することになった。前日も面会に来た山崎さんの顔は明るく、ソラもうれしそうだ。
「山崎さん、予定通り明日の午前中に退院できそうです」
と話しかけ、そして自然な流れで費用の話しも伝える。今回の費用は、予定通り大体10万円、消費税を含めると11万円を少し超える。
「よかったねソラ、明日迎えに来るからね。もう少し頑張ってね。先生、本当にありがとうございました」
頭を下げられててお礼を述べられた。費用を伝えたところで、あからさまに表情を曇らせたり、態度が変わるという飼い主さんは少ない。退院の喜びはお互いに本当なのだ。しかし、病気は、いや、猫との暮らしはこれで終わりではない。尿閉は繰り返すこともある、あるいは他の病気になって治療が必要になることもある。犬も猫もやはり癌にもなり、かなり高度な治療ができるようになってきているが、治療が続くということは費用が掛かり続けるということでもある。
人には、一般に健康保険制度もあるし、自己負担が10万円を超えるような高額な医療費がかかってくれば、高額医療費制度により払い戻しを受けることもできる。しかし動物の医療費は無限だ。どれほどかかっても誰も助けてくれない。それでいて、動物は自分では意思表示ができず、全て飼い主が想像して動物の幸せを実現していく。そこまで治療するのか、どこまでお金が出せるのかの判断は飼い主に委ねられる。
多くの人は、動物たちの健康を維持したり回復したりするための費用について細々神経を使ったりせず、愛情から発する気持ちに委ねていると思う。それでも、一人暮らしの若者、小さな子供を抱えた世代、老後の年金で暮らす夫婦たちが、高額な医療費を掛けながら、動物を飼育していくことが本当に幸せなのかと不安になることがある。
獣医療が発達して、できることがあればしてあげたいと思うのが人情だろう。そう考えると、獣医療の発展自体が、人と動物を幸せにしているのかという疑問にさえぶちあたる。動物ですからね、これくらいのことしかできないんですよ、と言われた方が幸せに感じる飼い主はどれくらいいるのだろう。
フンッと剛は自身を笑う。自分の目指し学んだ分野を全否定かと。お金、命、動物とその飼い主、自分の生活と収入、それらを考えたとき、剛は自分の中に迷いを感じる。この迷いをどちらの方向に向かって突き抜ければいのか。まだまだ分からない五里霧中。
それでも、毎日の診察は続き、感謝のことばと遣り甲斐は繰り返される。ソラちゃんも翌日予定通り退院していった。
けっきょく剛は考えを棚上げした。自分にできることを丁寧に説明しながら、飼い主さんと動物が一番幸せに感じられる選択肢を選んでいけるような獣医師になろう。そう、抽象的な言葉は便利で、とりあえずの応急処置になる。それでも、いつかはどこかに突き抜けようと、心の奥底の炭火は消えていない。