呪いの人形、お菊ちゃん
母様は、母様の母様からこのお人形を渡されたと言う。
母様の母様は、母様の母様の母様から譲られたと言う。
いつから続くのかわからないほど昔から、お人形は母から娘へと受け継がれてきた。
60センチ程の日本人形。
黒い絹糸でできた髪は、人形の肩よりやや下程の長さ。前髪は眉の上で真っ直ぐに切り揃えられている。
胡粉をはたかれた肌は白く、頬はふっくらとしており、つつましやかな唇は赤く小さい。
真っ黒な瞳は微笑んでいる。
赤い総絞りの振袖は桜模様。
我が家では、このお人形をずっとお菊ちゃんと呼んでいる。
十歳になる誕生日に、母様は娘にお菊ちゃんを譲るのが我が家のお約束。
お菊ちゃんは、必ず帰ってくる。
お引越しなんかで前の家に忘れても、しばらくすると必ずなぜか帰ってくる。
母様は、子供の頃にお引越しをした時にお菊ちゃんを前の家に置いてきたんだって。
その頃は母様はもうお人形で遊ぶ年でもなかったし、お引越しの車に乗る前にそっと玄関に置いてきたの。
母様が住んでいた元の家に次に引っ越してくる家族の中に、まだ小さな女の子がいることを知っていたから、お菊ちゃんをプレゼントしようと思ったんだって。
でも、一年もしないうちに、知らないおじさんに学校の帰り道で「落し物だよ」って手渡された。
母様はとてもびっくりしたんだって。
母様の母様は、娘時代にお菊ちゃんを盗まれたんだって。
娘時代に玄関にお菊ちゃんを飾っていたら、どこかのおばさんがガラリと玄関を開けたかと思うと、お菊ちゃんをひっつかんでピューッって走って逃げられた。
けどやっぱり半年くらいした後に、玄関にきれいな木箱に手紙と一緒にお菊ちゃんが入れられて置いてあった。
『ごめんなさい』
手紙にはそれだけしか書いてなかったんだって。
私は、十歳の誕生日に母様から譲られたお菊ちゃんと一緒にいる。
たまに一緒にいないけど、それでもお菊ちゃんは必ず私に帰ってくる。
ねえ、怖い?
そう聞いた私に、あなたはそっと首を横に振ったのよね。
だから、私はあなたと結婚したのよね。
ねえ、今はあなたは何をしているのかしら?
私はぼうっと空を見上げて心の中で問いかける。
夏の空は高く、高く、どこまでも青色が広がっている。
あなたがいなくなってもうすぐ半年ね。
ねえ、知ってる?
あなたの同僚の奥様は、いつも真剣な顔で教会に通っているのよ。
それまでは、神様なんか信じないわなんて言ってたあの人がよ。
それで、毎週末にうちに来ては「どうしてあなたは平気なの?」って私に聞くのよ。
ふふふ。
いなくなる前は、けっこう派手に夫婦喧嘩してたのにね。あなたの同僚、本当に奥様に愛されてるのね。
今日なんて、特に彼女はひどかったのよ。
朝からずうっとソワソワしっ放しなのよ。
「ああっジーザスっ!」
ほら、また叫んでる。
ほらね、やっぱり。
タラップを降りてくるあなた。
笑顔だけど、本当はいつも足元がプルプルしてるのよね。
無重力にずっといると、すっかり脚の筋肉が落ちちゃうものね。
あなたの右腕にはお菊ちゃんが抱かれている。
お菊ちゃん、今回もありがとう。
近づいてきたあなたが、お菊ちゃんをそっと私に手渡した。
「おかえりなさい」
「ただいま」
周囲からは歓声が上がる。
宇宙飛行士の半年ぶりの帰還に、周囲は喜びの声をあげている。
派手なカメラのフラッシュを浴びながら、わたしたちは建物の中へ入っていく。
わたしはあなたに寄り添い支えながら、そっとささやくの。
「ねえ、宇宙に行った人形なんてお菊ちゃんぐらいじゃないの?」
「そうでもないよ。
今回は不思議なお面とビスクドールもあったよ」
私はびっくりしてあなたの顔を見つめたわ。
宇宙飛行士なんて、みんな科学しか信じないって思っていたんだもの。
「さあ、お菊ちゃんと一緒に我が家へ帰ろうか、可愛い奥さん」
お菊ちゃんは必ず私に帰ってくる。
宇宙から、愛しい夫と共に。