薄氷
ある日のこと。身も心も凍えてしまいそうなあの日々が終わりを告げ、寂れた繁華街の様だった表通りも、すっかり元の喧騒を取り戻していた。そして、色を失いかけていた街は外を歩く人々の色によって彩られていく。
僕は周囲の色に紛れるかのように身をすくませると、君に会うために街を歩く。今となっては、目に見えるあの日々の名残は、道端に張り付く薄氷や堅雪位なものだろう。
それが僕には酷く悲しい。君が愛したあの日々は終わったのだと、そう理解させられるからだ。
そんな、なんとも言えぬような喪失感にも似た感傷に浸りつつ僕は、早く君に会おうと少し駆け足気味になりながら周囲の色をかき分けて歩く。
しばらくの間、駆け足気味に歩いていると、ようやくマンションが見えてきた。久し振りに君に会えるからだろうか?今まで君と過ごしてきた日々が頭に浮かぶ。緩む頬を抑えきれない単純な自分に呆れつつも、あぁ、早く彼女に会いたい、という渇望にも似た欲求が沸々と胸中に姿を現す。
マンションに着いた。中に駆け込むと、逸る気持ちを抑えきれず、僅かに震える悴んだ手でエレベーターのボタンを押す。
エレベーターが来る。あぁやっとだ。やっと君に会える。各階層で止まる音、人の乗り降りする音、常日頃ならば気にも止めないそんな音さえも、今なら僕たちを祝福する聖歌のように聴こえた。聖歌の終焉、最上階の鐘を告げる音が鳴り響く。昏鐘鳴の音が聴こえそうな空の下、果たして僕は今、どのような顔をしているのだろうか。無色の世界に色が灯りまた無色となる。そんな世界に終わりを告げるのは僕だ。そこに後悔なんてない。あるはずがない。充盈しているのだ。だから僕は笑っている筈だ。やっと君に会えるのだと。あぁ、これが幸せというものなのかも知れない。
そして仄暗い世界の片隅に一輪の赤い花が咲いた。