企画三題噺「シリカゲル、無重力、復讐劇」
「シリカゲル、無重力、復讐劇」 担当:ぢょ
蒼く、深く、大事なものをひっそりと優しく隠すように広がる夜空の下、月が静謐な時間を照らしていた。
波と戯れようとしないつれない風は、彼女の細く艶やかな髪を撫でると、シャンプーの香りを少し奪って、こっそりと僕の方へ向かう。穏やかに凪いだ海はただ、月の輝きを飲み込んでは光る水のかけらを吐き出すばかりで、喉を焼くような潮の匂いは、どうやら不思議と2人に届かないようだった。
― なぁなぁ、俺たち、まぁ、色々あったよな。 ―
― え(笑) なに、急に ―
はるか遠くから海鳴りが聴こえて来て、二人の時間を、二人の場所を形作っていく。そこには、確かに現実から切り離された空間ができていた。
― それでも、さ。俺、やっぱり、お前の隣がいいなって、思うんだよ ―
― だから、なにそれ(笑) 恥ずかしいんだけど ―
鈴を転がすような綺麗な声に、少しずつ血が通い始めているような気がして、僕は少し戸惑った。
― あー、ごめん、やっぱ、回りくどいの苦手だわ。…あのさ、 ―
― うん? ―
分かっている。彼女は、分かっている。次に何が来るか、空気で、語調で、勢いで、理解している。分かっていて、とぼけているフリをしている。
ごそごそと取り出された小さなケースは、蒼く、深い色をしていて、やはり、大事な何かを中に秘めているような、そんな予感を感じさせるものだった。
膝をつき、小さな箱を掲げる男。息をのむ女。薄い月光が、二人の姿を無骨なアスファルトに縫い付ける。海からこぼれる光のかけらが、二人の時間を綺麗に飾り付けていく。
開く。
男の口が、ケースが、未来への扉が、いま開こうとしている。
― 俺と、結婚してくれないか ―
分かっていた。ここに居る人間は全て、この瞬間に訪れるであろう時間を、光景を、意味を、心境を、頭の中に鮮明に描き出していた。
予定調和のごとく訪れるはずのその瞬間は、しかしながら黄金のような輝きを既に漏らしていて、そうして、開け放たれたケースから、”秘密”が現れた。
「たべられません>< 乾燥剤 シリカゲル」←”秘密”の正体
まぁ、だから僕がぶち壊してあげるんですけどね!!(ゲス顔)\パァァァァァ/
息をのむ女。ドン引きである。ドン引きである。ギャグにしてもひどい。さして捻りがあるわけでもなく、普通に、一途に、真剣に期待していた彼女の気持ちは、理解不能な光景にバッサリと裏切られ、混乱の最中に放り込まれる。
「 きみを、あいしている 」
( えっ、続行!? )
男は気付かない。彼は、変わらず、膝を突いて掲げたケースの中に、素敵な指輪が入っていると信じている。息を飲むというリアクションを誤解して、曲解して、何の不自然も感じないまま、言葉を紡ぎ続ける。
「 これ、どうだろう? きみのこのみに、あうとおもったんだけど 」
( 乾燥剤の違いとか私分かんないよ!? )
彼の言葉は、彼女の耳に入る段になって、無慈悲な視覚情報と合成されてすべての重みを失い、悲惨なまでにとっ散らかっていく。二人のために用意されたはずの空間は、ポルターガイスト阿鼻叫喚の無重力空間と化した。ペラッペラである。一瞬前まで甘く優しい響きを持っていた彼の囁きは、綺麗なケースに無慈悲に鎮座し、明らかに場違いな存在感を放つ乾燥剤のおかげで、もう、ほんと、ペラッペラである。
「 これをきみとのあいのせいかつの、はじまりにしたいんだ 」
( なに!? 私ウェットなの!? もっとドライになれってこと!? )
彼女の方はいよいよ混乱が極まってきた。決着までそう長くはあるまい。
「 こいつにちかって、ぼくは、きみをあいしつづける。へんじを、きかせてくれないかな 」
「 ごめんなさい 」
即答! 即答だったよ!
彼の絶句に内在する絶望を空気で感じ取ると、僕はコンテナの影からひっそりと立ち上がり、勝利の感触をかみしめながら街の方へ引き返そうと足を踏み出す。
ざまぁみろ! あのコは、僕のものなんだ! あの略奪野郎め、僕からあのコを奪っておいて、自分だけ幸せになれると思うなよ!
僕の復讐劇はこれにて幕を閉じた。あとは、彼が堕ちていくだけ――
\ジャリッ/
あ、やばい、見つかる――
― あれ、お兄ちゃん? ―
長い生活の中で、一度も聴いたことがないほどの、妹の冷え切った声が僕の背中へ注がれることによって、妹の眼光が、僕の手元の、すりかえた指輪を射抜いていることに、気付く。