歩み始めた幻想曲
短編三作目となります。どうか最後までお付き合い下さい。
襲い掛かる攻撃を掻い潜り鍛え上げた剣技を繰り出す。
長い年月を越て風化し訪れる者も居なくなった古代遺跡、その奥に眠る宝の守護者……ドラゴン。奴が巨体を振るわせる度に遺跡は揺れ、その形を崩して行く……
ドラゴンの吐く灼熱のブレスを女神の加護を得た盾で防ぎ、ブレスの切れ間を狙い剣に秘められた聖なる力を解放する。
閃光が奔る、ドラゴンの巨体も遺跡の壁もお構い無しに光は全てを薙ぎ払う。
「しまった、宝物庫まで吹っ飛ばしてないかな?」
先に進むのに障害であったドラゴンを倒せても、目的の物を吹き飛ばしてしまっていては意味が無い。幸い宝物庫は無事のようで、ほっと胸を撫で下ろす。ついでに目的の物も発見、運が良い。
「あったあった、でもこれ消費期限とか大丈夫かな?」
どこにでも有るような小瓶に詰められた虹色の錠剤、薬の色としては間違い無くアウトだが、噂が確かなら、これが見た目に反してどんな病もたちどころに治すと言う古代の万能薬で合っている筈……これで、あの村の人たちが助かる。逸る気持ちを抑えきれずに僕は村に向かい駆け出した。
「た…………ら!」
ん? どこからか聞きなれない声が聞こえ立ち止まる、こんな場所に僕以外の人が居るのか?
「高原!」
パコッっと小気味の良い音と共に脳天に衝撃が走る、ハッと顔を上げると目の前には頭頂部の禿げ上がった我がクラスの担任が……って! あれ? 辺りは一変、ここは古代遺跡なんかじゃなく、今年の4月から僕、高原響が通っている学園の教室、目の前の担任教師は丸めた数学の教科書を玩んで僕を睨んでいる。
「良く眠っていたな、私の授業はそんなに退屈か?」
夢、思いっきり眠ってしまっていたようだ。昨夜も某ネットゲームに夢中になり眠ったのは空が明るみ出してからだった為、完全に睡眠不足って訳だ。眠かろうが眠くなかろうが学園の授業なんか面倒以外の何物でもない、睡眠時間に回してしまうのは仕方ないと思う。何をやっても平均以下の僕は現実よりもゲームの世界にこそが自分の居場所だと思っていた。もっとも、思っていても口には出せないのだけど……ここはとりあえず謝っておこう。
「あ、すみません」
どうやら不満が顔に出てしまっていたようで、怒った担任に居残りで雑務の手伝いを言い渡されてしまった。
はぁ、早く帰ってゲームがしたいのに……こうなったら夜に備えてこの後の授業は全て眠ることにしよう……結果、毎時間担当教師に怒られる羽目になった。くそう……
居残り罰を終え学園を出る、遅れた時間を取り戻そうと近道を行くことに……いや、ほぼ毎日使っている道なんだけどね、僕の家から学園まで普通なら30分ぐらいかかる、これは学園と家の間に森が広がっていて、整備されていない森を迂回して通学しているからだ。近道とは、その森を突っ切ることを言う、足場も悪く木々が多い茂る森は余計に時間がかかりそうだが今はもう慣れた。
暫く進むと少し開けた場所に出る、ここには誰が何の為に建てたのか分からないけど、そこそこ大きい平屋が有る、当然人は住んでいない為ボロボロで如何にも何か出そうな雰囲気だ、けど今まで何度隣を通っても変わったことは起こらなかった。やっぱり現実なんてそんなものだ。
今日だって何も期待していなかった。でも、今日は廃屋の横を通りすぎる時、廃屋の中で何かが動くのが窓から見えてしまった。
僕の中の眠っていた好奇心が一気に目を覚まし、僕の身体を衝き動かす。
廃屋の中は薄暗く生活品や廃材等が無造作に転がっている、足を捕られないように注意しながら何かが動いた部屋の前まで移動する、恐怖や緊張、何より何か起こりそうな期待と興奮で僕の胸はこれまでに無いくらいに早く鼓動を刻む。
意を決し中を覗くと、僕が見た時と違い窓は何かに覆われ外からの光を遮断している、そんな暗い部屋、窓を左手にした壁際に誰かが佇んでいた。
こんな所にいったい誰が?
暗い部屋の中に有っても際立つ透き通った色白の肌、後ろで一纏めにされている腰まで届く黒髪は暗い室内でも艶やかで美しいことが分かる、凛とした表情、整った顔立ち、男女どちらにも好かれそうな容姿で、紛う事無き美少女である。どうやら僕と同じ学園の女子用の制服を着ているようだが、僕に見覚えは無い。殆どの生徒の顔と名前がまったく一致しない僕の記憶じゃ何の参考にもならないのだけど……
この部屋で彼女の容姿以上に存在感を醸しているのは彼女の持つ物、暗い部屋の中で僅かな光を反射しその刀身を浮き出させる……刀。
持って居る者がまったく居ないわけじゃ無いけど、この現実においては銃刀法違反、犯罪だ。でも、僕は彼女の容姿と刀の存在感に心を奪われ、じっと彼女を見詰めていた。
場の緊張感が増した気がした。彼女の周りで何かが動く、それは影、僅かに光を纏っている様にも見えるが、その影は瞬時に異形の獣へと変化した。その黒い獣はゆらゆら揺れる不安定な身体をいきり立たせ彼女に襲い掛かる!
一閃、彼女に襲いかかった黒い獣は、彼女振るった刀をその身に受け霧散して消える。その一匹を皮切りに彼女の周りで次々と黒い獣が形を成していく、獣達は一斉に彼女に襲い掛かるが、彼女は手にした刀で獣達を次々と斬り伏せていく。
なんだこれ、これが現実? 有り得ない、僕の見限った現実にこんなことは有り得ない、これは寧ろ僕の望む幻想の世界の出来事、毎夜僕がゲームの中に求める非日常……
「これで終わりです。安らかに眠ってください……」
彼女の剣舞は圧倒的だった。襲い来る黒い獣達は彼女に傷一つ付ける事も敵わず次々と斬り伏せられて行き、刀が静かに鞘に収められると、それ以上黒い獣はもう湧いて来なかった。
「あ……」
え? 彼女がこっちを見て少し驚いたような声を上げた。僕の瞳には彼女が映る、彼女の瞳にも僕が映る……つまり、数秒間、沈黙と共に僕等は見詰め合った。
「ご、ごめん!」
彼女のような美少女と……いや、家族以外の女の人ともまともに会話したことの無い僕は、気恥ずかしくなり思わず逃げ出してしまった。
「ははっ、やるじゃないか現実!」
廃屋を出て家に向かい森を突っ切る、其の僕の足取りは軽く、今見た出来事を胸の中で反芻し思わず笑みを漏らしてしまっていた。
響が駆け去った廃れた建物の中、刀を持った少女の下に彼女と同じ制服に身を包んだ男女がやって来る。
「あちゃ~、今の見られちまったか?」
「今の学園の生徒よね、私に見覚えが無いって事は1年かしら?」
男の方がぼさぼさの髪を掻きながら気楽に構えて言うのに対して、女の方も落ち着いた感じで状況分析を行う。そんな中、それほど高くないが良く通る澄んだ声で刀を持った少女がポツリと呟く。
「今のは高原君?」
「知ってるのか?」
「はい、同じクラスの高原響君、帰宅部だけど今日は授業中の居眠りで居残りさせられていた筈……」
「ん~、クラスメイトって言うなら高原のことはお前に任せる、今日見たことを黙っててもらうだけでも良いが、帰宅部……暇人って事だよな? 出来ればこっちに引き込んでくれ」
「え? 引き込むって……本気?」
暫し考えて男が出した答えに女が異を唱える。とは言っても別に否定しているわけではない。
「はは、出来ればだって、無理に誘ったりしねぇよ」
「はぁ、まぁいいわ、それじゃ高原君だっけ? 彼のことお願いね」
「ハイ」
ついさっきまで黒い獣との戦いを繰り広げていたとは思えない和やかなムードで3人は会話を続けていた。
嘗ては栄えた王国の都、魔物達に滅ぼされ今では魔物の巣窟と化した城内を、迫り来る魔物達を薙ぎ倒しながら進む。下校時に廃屋での戦いを見たことにより上がったテンションのまま、僕は家に着くと直ぐネットゲームの世界に没頭していた。
現実の僕が彼女のように刀を振り回し戦うことは不可能だろうが、ゲームの中の僕は違う。どんなことでも出来るし何にだってなれる。だから僕はゲームの中で戦っているキャラを自分に置き換えてイメージする。帰りに見た黒い獣と彼女の戦いの中に加わっている自分を……
遅くまでゲームをしていたせいで、翌日、遅刻ギリギリで教室に駆け込むことになった。まさか、登校時にまで森を突っ切るルートを使わないと遅刻する時間になってるとは思わなかった。
「高原君……おはよう、あ、頭に葉っぱが付いてるよ」
突然声をかけられて驚き飛び上がりそうになった。自慢じゃないが僕は入学から今日まで積極的に人付き合いをしてきたわけじゃない、よって友達もいない、そんな僕に声をかける奴なんてこの学校じゃ教師ぐらいだ。
「え?」
声のした方を見て再び驚くことになった。僕に声をかけてきたのは昨日廃屋で出会った少女……昨日の凛とした雰囲気は無いが、昨日受けた印象が強くて間違い様が無い。
どうしてここに!? いや、昨日も同じ学園の制服を着てたからこの学園の生徒だろうとは思ってたけど、まさかこんなに簡単に出くわすなんて思っていなかった。
「まるで森の中を突っ切ってきたみたい……」
手を伸ばして僕の頭や身体に付いた葉っぱを掃う、彼女の柔らかい指が女性に免疫の無い僕の髪や肩に触れる度にドギマギしてしまう、おそらく今の僕の顔はリンゴみたいになっているだろう。
されるがままになってどうしていいか困っていたがチャイムに救われた。遅刻ギリギリで来たから、直ぐに鳴るのは分かっていたけど、良いタイミングで鳴ってくれてるよ。
「あ、チャイム、直ぐ先生も来るだろうから席に着いてた方が良いね」
そう言って彼女は僕に背中を向け自分の席に向かう、って、同じクラスなのか!? これだけ綺麗な娘に気づかないなんて、自分が現実に無関心すぎる事を自覚するなぁ……
「あ、昨日見た事黙ってて……じゃないと……」
ええ!? どうなるの!? そのまま黙って席に着かないで! しかも僕の後ろの席かよ!!
授業中、彼女の去り際の言葉もあり見張られているようでおちおち昼寝も出来やしなかった。
僕の都合なんて関係無しに授業は進む、眠りたいのに後ろから感じる緊張感がそれをさせない、もうね、拷問にしか感じられないよ!
昼休みに到るまで眠気と後ろからのプレッシャーに耐え切り、彼女が教室を出るのと同時に僕は机に突っ伏した。昼食は……まぁいいか、それほど減ってるわけでもないし、今はとにかく眠い……
「ずいぶん疲れてるようだな、美冬がずっと監視していたって言ってたけど、そこまで疲弊するか?」
ん? 誰か来た? 僕に話しかけているみたいだけど、まぁ眠いからどうでもいいか……
「おいおい、無視か? お兄さん一人で放置されるとか悲しくて泣いちゃうよ」
いや、野太いおっさん声でそんなこと言われても気持ち悪いだけなんだけどね。顔を上げ確認すると、声に合った老け顔のおっさんが学生服を着ていた。生憎知り合いでは無い、当然クラスメイトの顔もろくに覚えていない僕に見覚えも無い、つまり……
「……なんだ、知らないおっさんか」
他人よりも今は睡眠をとることのほうが大事だ。再び机に突っ伏し目を閉じる。
「いやいや、確かに老け顔なのは自覚してるが、お前の一つ歳上なだけだ、失礼だろう! てか寝るな!」
五月蝿いなぁ、眠くて他人に割いてる時間なんて無いんだけど、僕に有無を言わせず制服の襟を掴み教室から引きずり出されてしまう。あ、待って、自分で歩くから、首絞まってるんだよ! ギブギブ!
結局、放してもらえることなく引きずられながら連れて来られたのは体育館裏……
え? なに? 僕これから絞められるの? 既に首は絞まってるけど……
「心配すんなって、別に捕って喰おうって訳じゃねぇんだからよ。まぁ座れよ」
座れと言われて初めて地面に青いビニールシートが敷かれていて、そこに座っている人が居ることに気付いた。二人、両方とも女子で一人は、さっき教室を出て行った後ろの席の彼女。ここに来てたのか……って、だとすると僕をここまで引き摺って来たこの男子学生とグル!? やっぱり絞められるのか!?
「遅いわよ、やっと連れて来たわね、高原君だっけ? まぁ座って座って」
内心慌てている僕にシートに座るように促してきたのがもう一人の女生徒、言われるままにシートに座ると当然のように割り箸を渡された。そう言えばシートの中央に重箱が広げられている、昼休みだし昼食中なんだろうな。
で? どうして僕がこの場に連れて来られたんだろう?クラスメイトの彼女も居るし昨日の事かな?
「さっきの様子じゃ飯食ってないだろ? 遠慮せず食え」
いつの間にか眠気も飛んでいる、そうなるとお腹のほうが食料を催促しだしたのでご相伴に与るとしよう。重箱の弁当に箸をのばして出汁巻き卵を一口頬張る……
「!!」
美味い! 何だこれ、今まで食べたことの無い美味さだ。他のおかずも試しに食べてみたけどどれもこれも一流シェフに作らせた様な美味さだ! 一流シェフの料理なんて食べたこと無いけど……
「美味いだろ? こいつ料理だけはいい腕してるからな」
僕に箸を渡してくれた女生徒、彼女がこの重箱弁当を作ったみたいだ。
「だけって何よ、どうやら綾樹は昼食要らないみたいね……」
僕を連れてきた男子生徒から重箱を遠ざける。
「すみません、奏様は容姿端麗で勉強も運動も出来るとっても優しいかたなので飯抜きは勘弁してください!」
この二人、仲良いなぁ……と、思いながら重箱を突いている僕の隣でクラスメイトの彼女も二人を微笑ましそうに見ている。なんだかんだで三人と一緒に昼食を食べながら会話することに。なんでだ?
クラスメイトの彼女は雪見美冬同じクラスなのに知らなかったと言ったらショックを受けていた。僕を引き摺ってきたのが伊井村綾樹、先生と言われても信じられる老け顔だけど一つ年上の先輩で、話しやすいいい人だった。もう一人の女生徒も一つ年上の先輩で久遠奏さん、かなり万能なひとのようだ。
「高原君ごめんね、私がちゃんと話できなかったから……」
それで、ちゃんと話をしようと、ここまで引き摺られて来ることになったのか。雪見さんは悪くないよね、悪いのは引き摺ってくるって方法を取った伊井村先輩だ。それにしても、昨日廃屋で見た雪見さんと今の雪見さんでは、なんか感じが違う気がするんだけど……気のせいかな?
「美冬はスイッチ入ってないと、てんで不器用なドジっ娘だからな」
伊井村先輩が僕の疑問に答える、って言葉にしてない疑問にまで答えないで欲しい、僕ってそんなに分かり易いかな?
「いいからいいから、お前を連れてきたのは他でもない、昨日廃屋で見たよな? その確認と口止めだ」
やっぱり昨日の事か、伊井村先輩がその話をこの場で切り出してくるって事はこの三人はあれの関係者って事なんだろう。あの戦いは僕の憧れる非現実の世界の出来事、でも現実の僕は駄目駄目なので係わり合いになるとか死亡フラグだ、出来れば惚けてしまいたいけどあの時雪見さんと目が合ってるし、しっかりと僕だと認識されているから誤魔化しようも無いだろう。
「はい、見ましたけど言い触らす気なんて無いですよ。言っても痛い目で見られるだけですから」
「痛い目で見られる? まぁいい、いや良くない、ん~試しに高原もやって見るか?」
いやいや、出来ないって、一般人舐めんなよ。
「まぁまぁ、放課後見学にだけでも来なよ、今日は体育館でやってるから」
「いや、でもですね……」
「弁当食っただろ?」
「っ!! 卑怯な!!」
結局押し切られる形で放課後の見学が決まってしまった。速攻家に帰ってゲームの続きをしようと思っていたのだけど……
「美冬同じクラスだろ? ちゃんと連れて来いよ~」
見張りまで付けられてしまっては仕方ない。
「ええ!? 私ですか!?」
この雪見さんの反応を見ていると難なく逃げられそうだけど、昨日の戦いっぷりを見ているから下手に逃げても無駄だろうと予想できるなぁ……
どうし様も無いので放課後体育館に見学に行くことで決定してしまった。でも見るだけなら楽しみだと感じている僕が居る……
暗闇の中に光の当たる一角がある、そこには雪見さんが刀を携え教室での彼女とは違った凛とした雰囲気で黒い獣と対峙している。
黒い獣が彼女に襲い掛かり、彼女の銀に閃く剣舞が獣を撃退する。
昨日廃屋で見たのと同じ光景、いや、同じすぎる……
彼女が無傷なのも獣達が彼女に斬り裂かれていくのもすべて昨日見た光景に重なる。
「どう? ちゃんとした舞台で見ると凄いでしょ?」
胸に疑問の生まれている僕に久遠先輩が近づいて来て声をかける。
雪見さんからのプレッシャーが消え気の緩んだ僕は授業中に居眠りをし、放課後教師に説教を食らい少し遅くなったけど約束通りに体育館にやって来ていた。
暗幕によって光の遮られた体育館は暗く、雪見さんの立つステージだけが光に照らされている。
「教室での雪見さんと全然違いますね……」
色々疑問は生まれているけど、とりあえず思ったことを口にする。
「美冬ちゃん今はスイッチ入ってるからね~」
「スイッチ?」
「役割に入り込んでるって事」
役割……その言葉で僕の疑問の答えは殆ど出たようなものだ、つまりは僕の勘違い。
黒い獣もそれと戦う美少女剣士も全ては現実じゃない。
「もしかして演劇?」
「ん? これは影絵殺陣、プロジェクターで映し出した影と戦う演技よ、結構話題になったと思うんだけど知らない?」
僕のテレビのチャンネルはいつもゲームの為の外部入力で固定されている……ニュースなんか見ないからなぁ……
もう一度ステージに目を向ける、改めて見ると確かに演劇だ、黒い獣と思っていた物もプロジェクターで映し出された影であることが分かる。
ただ、それでも僕は雪見さんの剣舞と生き生きした動きに見せられていた。
僕はゲームの中で演じることにした。雪見さんは現実で演劇という形で違う自分を演じている。似ているようで全然違う、僕がゲームの中に求めたのは逃避、彼女が演劇で表現しているのはそんなものじゃないと、その生き生きした表情で分かる。自分には何も出来ないと現実を諦めている僕に彼女のその姿はとても眩しく映り、同時に羨ましくも感じた。
やがて演舞は終わり練習を中断した雪見さんとプロジェクターを停止させた伊井村先輩が集まって来る。
「あ、高原君、良かった来てくれたんだ……」
先輩達の言うスイッチが入ってない状態に戻っているのだろう、ステージに立っていた時の凛とした雰囲気は無く、教室内でのいつもの雪見さんだ。
僕の姿を見てほっとしているのは僕が居残りの説教をされた後、そのまま帰るんじゃないかと心配していたのだろう。雪見さんに教室を出る際に涙目でお願いされてしまい来ない訳にもいかなかったのだけど……
「で、どうだ?演劇部に入る気になったか?」
伊井村先輩がニヤニヤと笑みを浮かべて聞いてくる、この人……僕が勘違いしているのに気が付いていたな……
確かに、生き生きと演技していた雪見さんを見ると演劇というものに興味が湧いて来る、ゲームの中に求めていたものを現実で求めてみるのも悪くない、そう思える。
「少し考えさせてください」
半ば決まってしまっている僕の答えだけど、伊井村先輩のニヤニヤを見ているとなんとなく抵抗したくなり、答えを先送りにすることにした。まぁ、ちょっとした抵抗ってだけで僕の答えは決まってしまっているのだけど……
演劇部への勧誘を受けた翌日、あっさりと演劇部に所属した響は、数ヵ月後学園祭当日に舞台の上に立っていた。
「それにしても、ここまでの仕上がりになるとは思わなかったわね……」
舞台袖で綾樹と奏が演技する響と美冬の二人を見ながらしみじみと会話していた。
「あぁ、人数稼ぎぐらいのつもりだったけど、響は良い掘り出し物だったな」
「ええ、日常生活で鍛えられていたのかしら? 体力も表現力も申し分無くて、足りなかったのは声の大きさぐらい?」
「その声も、俺らで矯正したから今はもう問題無い」
「本当、良い掘り出しモノだったわね、これなら私達の引退後も大丈夫でしょう」
先輩組み二人の語らう中、響も美冬も実に生き生きとした演技を続けている。
これは、現実に何の期待も持たずに日々過ごしていた少年の始まりの物語。
小さな出会いが少年の物語の最初の一文字を綴った。
少年の行く先に何が待っているのか、まだ分からないけど、何があろうと歩み出した少年の足を止めることなど誰にも出来はしないだろう、少年はやっとゲームでは無い自分の物語を綴り始めたのだから……
最後まで読んでいただきありがとうございます。
感想等有りましたらよろしくお願いします。