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一人百物語

作者: 犬猫夜行
掲載日:2026/07/18


弟は昔、会社の寮に入っていた。

しかしそこは寮とは名ばかりの、随分老朽化した木造モルタルの建物だった。

寮には二、三人が共同で寝起きをしている小部屋もあったが、大体の住人は二階の大部屋で寝起きしていた。

大部屋というのは六畳二つと四畳半一つの間の襖を開け放ってひとつの大間にしてある部屋で、多い時にはそこで十人以上の者が寝ていたという。

その大部屋の一角に、誰も横になりたがらない場所があった。

そこに布団を敷いて寝ると必ず“出る”というので。

出入りの激しい寮であったので、怪異の詳細を知る者はあまりいなかったが、大部屋にいる者たちはその場所には荷物さえ置かず、布団を敷く事もなかった。

弟が寮に来た時、先住者からまずはその話を聞かされた。

そしてその話に周りの同僚たちが

「そういやお前、霊感あったよな?」

といらぬ事を言った。

霊感がある、とはいっても弟は時々金縛りにあったり妙なものを見たりする程度でしかない。

しかし皆が勝手に盛り上がり、その場所にはどんなものが出るのか、弟が確かめる事になってしまった。

もちろん弟は断ったが、先輩が

「俺が隣りに寝て、何かあったら助けてやるから」

と言い、先輩命令でその場所に寝る事になってしまった。


その夜。

同僚たちがくだんの場所に早々と布団を敷き、愚弟もよせばいいのにそこに横になった。

床に入った時には何も感じなかったという。

夜中。

弟はぽかりと目が開いた。

何故目覚めたのかわからず、あたりを見回そうとした。

そして自分がすでに金縛り状態になっていて、動くのは唯一目玉だけであるのに気付いた。

驚きながら自分の足元の白壁をふと見ると


壁に人影があった。


しかし、それは何故か逆さ吊りになっている様な上下逆の姿をしていた。

(なんだ?)

と見ていると


ざわざわ

ぞわぞわ


という、何かが()れている音がしている事に気付いた。

それは自分が見ている逆さ吊りの影から聞こえていた。

影の髪らしきだらりと長い部分が風に揺れている様に、ぞわりぞわりと音をたててうごめいていた。

弟は息をのんだ。

その時

不意に何者かの手(?)が弟の両足首を掴み、揺れうごめいている影の方に引っ張りだした。

その力は物凄いもので、弟は必死に手を振り払おうともがいたが身体は金縛り状態のままで思う様に動かず、声をあげようとしたが声すら出なかった。

もがきながら周りを見ると、助けてやると言っていた先輩は背を向けて眠っていた。

手はぐいぐいと影の方へ、壁の方へと身体を引き込んでゆく。

弟は自分の足がすでに壁にめり込んでいる様な気がした。

そこで記憶は途切れていた。


次に目を覚ますとすでに朝になっていて、周りの者は起き出して身支度をしていた。


何だったんだ、あれ?

夢?


弟は呆然としながら半身を起こした。

そこへ同僚たちが朝飯だから早く起きろと呼びに来て、そのうちの一人が、

「ゆうべはお前がえらくうなされててうるさかった。やっぱり出たのか?」

と言った。

それに弟が

「うん、夢だか何だかわからないけど…」

と言いながら布団をめくると。

弟の両足首に


赤い手形があった。


その手形に、寮内は朝からひと騒動になった。

以後、もちろん弟がその場所で寝る事はなかった。他の者たちも。

後で先輩が言うには、弟がうなされているのに目を覚ますと、弟の足元の壁で黒いものがうごめいていたので怖くなり背を向けてしまったという。

先輩はすまん、と手を合わせ後日昼をおごってくれた。


手形はしばらく消えず、手形のついているところが風呂に入っていても異様に冷たく感じて気味が悪く、寝る時はうちの親が持たせていたお守りを足首にして寝ていたという。

それから何日かした朝、手形は消えていた。

そしてお守りも。

弟は布団をはたいて探したが、お守りはとうとう出てこなかった。

壁に現れた逆さ吊りの影については結局何もわからず、それからしばらくで弟は寮を出たため、後の事は知らない。





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