第3章:97条の特別な意味
一週間後の午後、春の光が差し込む教室で、生徒たちは真剣な表情を浮かべていた。自ら調べ、考えたことを胸に、彼らは先生に向かって口を開いた。
一週間後の放課後。
4人の生徒たちは、これまでになく真剣な表情で教室に集まっていた。
「先生、私たち、いろいろ調べてきました」
葵が分厚いノートを取り出した。
「僕も図書館で憲法の本を読んでみたんです」
健太が興奮気味に言った。
「97条って、本当に特別な条文なんですね」
天野先生は微笑みながらうなずいた。
「どんなことが分かった?」
葵が手を上げた。
「97条は、憲法の第9章『最高法規』の章にあるんです。つまり、基本的人権は『憲法の中でも特別に大切なもの』って位置づけられてる」
「そうだね。よく気づいた」
遥が資料を見ながら言った。
「それに、97条には『人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果』って書いてある。これって、日本だけじゃなくて、世界中の人たちが頑張って作り上げた権利だっていう意味ですよね」
「その通り。遥はちゃんと理解してるね」
怜が疑問を口にした。
「でも、11条にも『基本的人権は侵すことのできない永久の権利』って書いてあります。やっぱり重複してるんじゃないですか?」
先生は黒板に二つの条文を並べて書いた。
「11条:この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」
「97条:この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」
「怜、この二つの違いが分かる?」
怜がじっと見比べて言った。
「97条の方が、詳しく書いてある」
「そう。でも、それだけじゃない。11条は『与えられる』と書いてあるけど、97条は『信託されたもの』と書いてある」
健太が首をかしげた。
「信託って、どういう意味ですか?」
「信託っていうのは、『大切なものを預かって、次の世代に渡す』という意味だ。つまり、基本的人権は、過去の人たちから私たちが預かって、未来の人たちに渡さなければいけない『宝物』なんだよ」
葵が感動したように言った。
「だから、私たちは人権を『もらった』んじゃなくて、『預かってる』んですね」
「そういうこと。そして、この『預かりもの』としての意識がなくなると、どうなると思う?」
遥が不安そうに答えた。
「大切にしなくなる?」
「そうだね。『もらったもの』なら、いらなくなったら捨ててもいいと思うかもしれない。でも『預かりもの』は、絶対に失くしちゃいけないと思うよね」
先生は新しい資料を配った。
「実は、現代の日本でも、人権が脅かされそうになった事例がたくさんある。君たちの身近なところにもね」
「えっ、身近なところに?」
葵が驚いた。
「例えば、ブラック企業の問題。長時間労働を強制して、労働者の健康や生活を破壊する。これは『労働の権利』や『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』の侵害だ」
健太がうなずいた。
「確かに、ニュースでよく見ます」
「SNSでの誹謗中傷も同じ。個人の尊厳を傷つけることで、『個人として尊重される権利』を侵害している」
遥が身を震わせた。
「私たちも、加害者になっちゃうかもしれないんですね」
「そうだよ。だからこそ、人権の意味を正しく理解することが大切なんだ」
先生は別の資料を取り出した。
「そして今、97条を削除しようという動きがある。削除を推進する人たちは『11条があるから大丈夫』と言っている。でも、本当にそうだろうか?」
怜が質問した。
「削除されたら、具体的に何が変わるんですか?」
「まず、憲法の解釈が変わる可能性がある。今まで裁判所は、人権を『人類普遍の価値』として最大限尊重してきた。でも97条がなくなると、『時代に応じて制限してもいい』と解釈されやすくなる」
「具体的には?」
葵が身を乗り出した。
「例えば、緊急事態が起きた時。今までなら『人権は絶対に守るべきもの』として慎重に対応していた。でも、『人類の努力の成果』という根拠がなくなると、『緊急事態だから人権を制限しても仕方ない』となりやすくなる」
健太が心配そうに言った。
「コロナの時も、いろいろな制限がありましたよね」
「そうだね。でも日本では、憲法があるから強制的な外出禁止はできなかった。これは97条を含む人権規定があったからなんだ」
遥が震え声で聞いた。
「もし97条がなかったら?」
「他の国のように、もっと厳しい制限が可能になっていたかもしれない。そして、一度そういう『前例』ができると、次はもっと簡単に人権を制限できるようになる」
教室に重い沈黙が流れた。
葵がゆっくりと口を開いた。
「先生、97条って、人権の『防波堤』みたいなものなんですね」
「いい例えだね。津波から街を守る防波堤のように、97条は人権を守っている。防波堤があるうちは津波の怖さを忘れがちだけど、なくなった時に初めて、その大切さに気づく」
怜が真剣な表情で言った。
「でも、どうして削除しようとする人がいるんですか?」
「それは複雑な問題だ。中には本当に『条文を整理したい』と思っている人もいる。でも、中には『人権よりも国家の権限を強くしたい』と考えている人もいるかもしれない」
健太が拳を握った。
「それって、許せないことですよね」
「健太の気持ちは分かる。でも、大切なのは感情的になることじゃない。冷静に事実を理解して、多くの人に伝えることだ」
遥が決意を込めて言った。
「私たち、97条の大切さをもっとたくさんの人に知ってもらいたいです」
「それはとても大切なことだね。でも、どうやって?」
葵が提案した。
「学校新聞に記事を書くとか?」
「SNSで発信するとか?」
健太が続けた。
「友達や家族と話し合うとか?」
遥も提案した。
先生は満足そうにうなずいた。
「どれも素晴らしいアイデアだ。でも、一番大切なのは、君たち自身が人権を大切にして生きることなんだ」
「どういう意味ですか?」
怜が聞いた。
「他人を尊重する、差別をしない、困っている人を助ける。そういう日常の行動が、人権を守ることに繋がるんだよ」
4人の生徒は、深くうなずいた。
「人権は、法律の条文である前に、人と人との関わり方なんですね」
葵がつぶやいた。
「そう。だから97条は、ただの条文じゃない。私たちがどう生きるべきかを示す『道しるべ』なんだ」
太陽が西に傾き始めた教室で、5人の議論は続いた。憲法97条の真の意味と、それを守ることの大切さを、心の底から理解しながら。
次回予告:第4章「もし97条が消えたら?」
生徒たちは、97条削除の具体的なシミュレーションを行う。緊急事態条項の新設、表現の自由への規制強化、労働者の権利縮小。そして海外で実際に起きた人権後退の事例を知り、「それは他人事ではない」ことを痛感する。
「先生、本当にそんなことが起きるんですか?」
「遥、歴史は繰り返す。だからこそ、私たちが行動しなければならないんだ」
ついに物語は最も重要な段階へ。97条削除後の日本社会の姿を、リアルにシミュレーションする。果たして私たちの未来はどうなるのか?




