第36話 リディアの試み
Side:リディア
私はアディを振り切り、クリスティの部屋の前に来ていた。アディの会社の新作のお菓子は魅力的だったけど、今はそれどころではない。
「クリスティ~。入ってもいい?」
ある部屋の前で立ち止まり、ドアをノックする。中から『どうぞ~』と聞き慣れた声が聞こえたので、そろりそろりとドアを開ける。
住み込みの使用人専用の部屋の構造は聞いたことだけがあり、実物を見たのはこれが初めてだった。寝室とリビングとキッチンが一部屋にまとまっていて、同じ空間に衣食住の全てが揃っている。奥にある扉はバスルームとトイレに繋がっている扉で、もう1つある扉はクローゼットだと思われる。
「お待ちしていました、お嬢様!」
「クリスティ、今日はよろしくお願いします!」
私は頭を下げて、クリスティに挨拶をする。
そんな私にクリスティが手渡してくれたのは、彼女が昔使っていたエプロンらしい。少し大きいけど、使う分には問題なさそう。
「先に言っておきますけど、お嬢様…」
「ん?」
「料理魔法で完成!はナシですよ?」
「もちろんだよ!」
(ちょっと考えたとは言えない。)
クリスティはうふふと笑いながら、テキパキと机の上を整えていく。私は何かできることがないか聞いてみたけど、まだ出番ではないと言われてしまった。
「さて、始めましょう!旦那様に喜んでいただけるタルトを目指して!」
「おー!」
私とクリスティは、2人で天に向かって拳を振り上げる。頑張るよ~!
________。
「小麦粉を振るうのって何で?」
「ダマを無くすのと、小麦粉に空気を含ませるためです。」
「ダマ…あ、この丸いやつかな。」
「そうですそうです!こうすることで、混ぜるときにムラをなくせるんです!」
「生地を切るように混ぜます。」
「切るように…こう?」
「こうです!こう!」
「こう?こう!ぎゃ!」
「あああお嬢様生地がこぼれました!」
私はクリスティに言われて、タルト生地にフォークで穴を開けている。綺麗にできたから勿体なく感じてしまうけど、こうしないと生地を焼いたときに水や空気が抜けて、生地が膨らむのを防ぐ役割があるらしい。
「ほあ、アーモンドの香りが食欲をそそる。」
「混ぜ終わったら味見してみましょうね。」
「いいの!?」
「良いですけど、たくさんは食べちゃダメですよ!」
「これくらいのタイミングでオーブンを予熱します。」
「何も入れていないのにオーブンつけるの?」
「あらかじめ、オーブンを温めておくんです。こうしないと、オーブン内の温度が低くて生焼けや焼きムラの原因になるんです。」
「へえ。」
オーブンを予熱している間、私はタルト生地にベリーを乗せていく。バランスを見てラズベリーとブルーベリーは交互に置いて、苺は見栄えを良くするために切ってお花のような形になるように意識した。
「後は、タルトが焼きあがって、最後に粉砂糖をかければ完成です!お嬢様、お疲れ様でした!」
「やったあ!クリスティもお疲れ様!ありがとう!」
私は跳ねて喜びたい衝動を抑えて、クリスティに感謝を伝える。クリスティは中腰になって、私の頭を撫でながら褒めてくれた。えへへ、嬉しい。
タルトが焼きあがるまでの間に、もう使用しない調理器具を洗っていく。洗う担当はクリスティで、私は布巾で器具を拭いていく係りになった。クリスティは手際よく洗い物を終わらせていくから、私の目の前には乾燥待ちの調理器具が積みあがっていく一方だった。
こうやって2人で楽しく料理をしている私たちの姿は、事情を知らない人が見たら姉妹のように見えるかもしれない。
(多分、お母さんと呼ぶほど年齢は離れていない気がする。)
私は母親というものを知らない。そもそも、両親という概念が存在しない。本で得た知識としての母親は知っているけど、実物の母親は知らないし、多分私には一生理解できないものかもしれない。
強いて言うなら、私をローゼシア国王に託し、顕現させると決めた神自身が親のようなものかも?
洗い物を終えたクリスティが、私と一緒に調理器具を拭く作業に取り掛かる。2人でやるとあっという間に終わってしまい、完成までに待ち時間ができた。
まだまだ完成までに時間があるからと、クリスティがお茶を淹れてくれた。私はありがたくお茶をいただき、ホッと一息をつく。
「一応、来る前にお菓子つくりの本を読んできたんだよ?でもね、本で見るのと実際にやってみるのでは、感覚が違うね。」
「ふふ、そうかもしれませんね。写真や文字だけで見るのと、実際に香りや手で感じるものは違いますから。」
本に出てくる単語の意味も、その作業を行う意味も、実際に自分で目にして理解できることが多かった。本だと当たり前のように”そうするもの”として書かれていて、初心者の中の初心者である私にはチンプンカンプンだった。
3000年生きてきて何をしていたのかと言われそうだけど、お菓子作りは今まで必要になる機会がなかったの。
私はカップに注がれたお茶を小さく一口飲み、口を開く。
「クリスティの両親って、どんな人だったの?」
口にしてから少し後悔した。いきなり家族のことを聞くなんて、遠慮がなかったかもしれない。みんながみんな家族仲が良好というわけではないし、良好だとしても進んで話したがらない人もいると思うし。さっき、両親というものについて考えたから、思考が完全に釣られてしまった。
1人悶々としてしまったけど、当のクリスティは気にする素振りもなく『そうですね…』と笑顔で次の言葉を探していた。
「面白いお話ができるか分かりませんが、あたしの両親の話しで良ければ。」
私はクリスティの顔を見て、大きく頷いた。
「クリスティが嫌じゃなければ聞きたい、です。私には両親という概念が存在しないから。」
クリスティは『ああ、なるほど』と何かの合点がいったようだった。
私は体ごとクリスティに向き直り、彼女の話しに耳を傾けた。




