10話 ヨロイさん「一流のアドバイス」
グレゴリーさんが俺にヴァイオリンを教える。
彼が下したこの結論を理解するのに、俺はたっぷりと10秒を要した。
《あの、なぜ急に?》
元々、そんな高度なレッスンはしないと言っていたはずだ。
どういう心境の変化なのだろう。
「貴様が俺の動きを真似たからよ」
それだけで?
そう感じた俺の様子を見て、グレゴリーさんは「よく分からんようだな」と補足をしてくれた。
「ズブの素人がいくら時間を掛けた所で、俺の演奏を完全に真似るなどできん。貴様はそれを可能にする観察眼と、柔軟な指先を兼ね備えているのだ」
……ああ、なるほど。
コア喰いクマの魔法を真似た時にもできると確信していたが、今回もそれだったのか。
考えないようにしていても、こうして謎が俺の前に顔を出してくるんだな。
「アムは?アムは?」
「貴様は太鼓の筋が良い」
「ほんまか?わーい!」
複雑な心境でいたところで、アムの無邪気さに救われる。
俺が返事に困っていると、彼は真剣な眼差しで俺を見た。
「…まあ、お前次第だ。嫌ならそれでも構わん」
嫌なのだろうか。そう自分自身に問いかけてみる。
少なくとも、音楽を学ぶことは嫌ではないし、グレゴリーさんに教わるのは名誉なことだ。
怖いのは、俺自身の奇妙さと向き合うこと。
だがそれだけの理由で、彼の誘いを断りたくない。
《いえ、大丈夫です。是非教えて下さい》
「良かろう。しかし諸々の準備もある、今日はここで音楽を楽しめ」
「わー!」
アムが太鼓とは別の楽器に駆け寄ってていく。
あれは確か……そうだ、マリンバだ。
ぽろんぽろんと軽やかな音を聞いてると、俺も心が軽くなる。
「楽しいなぁ、音楽って!」
《うん、そうだね》
確かに、楽しい。
複雑な技法を知らずとも、こうやって音を奏でるだけで面白いものなんだな。
「なあ、グレゴリーの兄ちゃんも一緒にやろうや!」
「ん?うむ、よかろう」
なにやら考え事をしていたのか一瞬反応を遅らせたが、グレゴリーさんはアムの誘いを快諾した。
「では、これにするか」
そう言って、彼は木箱の前に立ち、その蓋を開けた。
蓋の中には鍵盤が並んでいて、側面の板にはレバーのようなものがある。
グレゴリーさんは数回レバーを上下させると、鍵盤を弾き出した。
「うむ、悪くない」
おそらくは野外に置けるよう設計されたオルガンだ。
あのレバーを動かすことで、空気を一定時間吹き込める仕組みなんだろう。
グレゴリーさんも満足げな顔で、オルガンならではの多彩な旋律を奏でる。
しばらくの間、公園の片隅で太鼓・ハープ・オルガンという、奇妙な取り合わせでのセッションは続けられた。
……楽器だけでなく、一流演奏家・ゴーレム・錆びた鎧姿のやつっていうのも、奇妙な組み合わせだな。
セッションが一段落した昼時、親子連れなどが公園に増えてきた。
「腹が減ったな」
というグレゴリーさんの一言と、若干耳目を集め始めたということもあって、近場のカフェに移動することにした。
そこはちょっとした貸し切りブースもあり、色々目立ちがちな俺たちも静かに昼食にありつくことができた。
「うむ、美味い」
《美味しいですね》
テーブルに並べられたサンドイッチや、紅茶に舌鼓を打つ。
サンドイッチの具はベーコン、トマト、レタス、とシンプルながらも質の高いもので、満足感が高い。
「ええなぁ、アムも食べられるようになりたいなぁ」
アムにとっては食事時は酷な時間だ。
今までも、何度も羨望の眼差しを送ってきた。
「そうか、忘れそうになるがゴーレムであったな」
「せやでぇ、ご飯は食べられないんや」
「……貴様らにも少々興味が湧いてきた、どんな経緯であの女商人と伴にしているんだ?」
ああ、そうか、マリウスさんが物凄く強引に話を進めたから、あんまり自己紹介もしてないんだよな。
《えっと……実は、そう複雑な話でもないんですが》
学生の喧騒が遠くに聞こえる中、俺はミアさんに拾ってもらった経緯を話し始めた。
グレゴリーさんがティーポットに追加の紅茶を注文した頃、俺たちの関係性についての話は終わった。
「なかなか、愉快な話が続いたな」
一口、紅茶を味わった彼がそう評した。
「あの女商人、ミアとやらか。ゴーレムに給金を払うとは、とんだ変わり者だ」
そう言いつつも、彼の表情は嘲笑するものではなく、穏やかなものだ。
「そしてヨロイよ、貴様の話だが……貴様は過去を探し求める気はあるのか?」
《それは……》
答えに窮してしまった。
実際、俺はミアさんの手伝いの方を重視してきた。
そして今、グレゴリーさんのレッスンを受けているのも、マリウスさんから頼まれたからっていう一面もある。
「一つ、宮廷音楽家としてアドバイスしてやろう」
グレゴリーさんが、今までとは違う目になった。
マリウスさんと話すプライベートな時とも、俺たちに音楽を教える時とも違う、僅かに影を帯びた目だ。
「貴様が記憶を失おうとも、過去は貴様を追ってくるぞ」
過去が、俺を追ってくる。
かつて俺が何かをしでかして、あそこに眠っていたのなら――。
《……肝に銘じておきます》
その過去がいつか、俺に刃を突きつけるということか。
本当に、肝に銘じておこう。




