第79話 そんなにはっきり言わなくても
お風呂に入ってコーラ擬きのジュースを飲んだらドランさんが脱皮を始めた…トカゲの形ではなくなってるから脱皮とは違うかも知れないけど。
それと遂にマローネとの初キッスに成功!
どうしてずっと俺だけ避けられてて、今日解禁になったのか理由が分からない。
ひょっとしたら俺の変化に原因があるのかな?
今の俺には魔力が無い。つまり今まであった強い魔力を感じて拒否してたと考えれば、何となく納得できる。
シエルさんから伯爵様がカラバッサに乗ったことを聞き、伯爵様も欲しがるだろうから伯爵様用の機体を考えようと部屋に戻るとアルジェンとエマさんが襲撃してきた。
俺の胯間を指差したアルジェンが、我慢は良くないとズバッと指摘してきたのだが…何を考えてる?
「パパ、あのハーフエルフの居た森の影響がやっぱりアソコに出てるのです。
さっきお風呂で確認したのです」
それは敢えて考えようとしていなかったことなんだよな。
魔界蟲本体さんが俺の中に居たときみたいな、あのモヤモヤウズウズするような感じが出ているのは分かっていた。
だけど一刻も早くダンジョンに戻ろうと言う思いで我慢してきたのだ。
「風俗店に行って知らないお姉ちゃんを相手にするなら…私はママと…やって欲しいのです!」
「…もう少し言い方は無いか?」
例えば…俺もすぐには思い付かないけど、オブラートに包むような言い方って時には必要だよね?
ちなみにこの世界にオブラートがあるのかどうかは知らないけど。溶かしたデンプンを急速乾燥したものがオブラートだから、魔道具を使えば製造出来そうだ。
などと脱線している場合では無かったな。
「男の人が一人で処理したり、寝ている時に勝手に出ることは習ってるわ。
そう言う辛い思いをさせない為に、好きな女性が居るなら早く結婚するのが良いんだと…お金がある人はお店に行くそうだけど…」
エマさんも生々しいことを知ってるんだね。
二十歳までに結婚するのが普通みたいだし、エマさんも適齢期だからね。
それに冒険者相手の仕事をしてれば、そう言う話も耳に勝手に入ってくるか。
「本体さんが居た時のことは…だから今度は妻になる私が…」
「精神的に病む前に、お願いしたいのです!
このままパパを放置すると、あのいけ好かないハーフエルフみたいになってしまうかも知れないのです!」
アルジェンが言ってるのは、やたら迫ってきたガーゼルさんのことだね。
きっと彼女達は我慢を重ねた結果、あんな残念なことになってしまったのだろう。
「防音なら私に任せるのです!」
「急ぎたい気持ちは分かるけど、ダンジョンに行くのは明日にしよ」
アルジェンとエマさんはガールズトークでそっちの方向で話を付けてきたと言うことか。
「だからお風呂であんなことしてたのか?
びっくりしたぞ」
「正直に言うと絶対パパは逃げたのです!
それなら不意討ち闇討ち返り討ちなのです!」
確かにそんなこと無いと言って逃げただろうな。
で、本体さんが中に居た時に風俗店に行ったってことまでエマさんに教えたんだね?
…恥ずかしや…ガックリ。
「アルジェンちゃんは悪くないから。
本当に貴方のことを心配してるのよ」
と俺がアルジェンを怒らないかと心配して、エマさんがアルジェンを庇う。
元々怒るつもりは無いけど、そんなことされたら怒りたくても怒れないか。
「うん、アルジェン、ありがとうな。
心配させて悪かった。
けど、そう言うことは先に言って欲しいかな。騙し討ちはずるいぞ」
「怒ってないのです?」
「まぁ、チョッピリ怒ってるけど、嫌いになる程じゃない。
それよりエマさんは良いの?」
「フフ、貴方の妻になると決めた時からいつでも心の準備はしているわよ」
覚悟が無かったのは俺だけか。
どのみちドランさんの脱皮が終わるまではリミエンから離れる訳にはいかないし。いつ終わるか分からないけど、シエルさんに家事の合間に見てもらおう。
とにかく先に冒険者ギルドに帰還の報告だけは入れなきゃマズイだろうから、さっさと行くとしますか。
エマさんとのことは後で考えよう。
そのエマさんを連れ、あのダンジョンで起きたことを聞かれたらどう回答するかを確認しながら冒険者ギルドへと向かう。
ノラ何とか戦から始まったダンジョンアタックはゲームスタート直後にラスボスが出て来たようなもんだから、全員無事なんてあり得ないイベントだ。
領主様に対しては下手に隠し事をして不信感を抱かれるより、全てを話してスッキリしたことを選んだと聞いて伯爵様に同情する。
ベルさん達が鏡を使ったことで、弱点が日光である魔物との戦闘に突入したことは知識のある冒険者には想像がつく。
実際にそんな魔物と遭遇する確率は極めて低いのだが、長年発見されなかったダンジョンにはどんな危険な魔物が潜んでいてもおかしくないのだとか。
ノラ何とかのことは正体不明の不死系魔物扱いにし、太陽光を浴びたことでその魔物は消滅したことにする。
その作戦の過程において、無茶な魔法の使用をした俺が魔力を失ったことにすれば、おかしなことではない。
その後の天井の崩落は不死系魔物の消滅後に起きたものであることと改ざんする。
バンパイアの出現さえなければ、ベルさんが居たのだから誰一人死ぬことなく帰還出来たことはおかしくない。
装備もかなり充実したしね。
一つのダンジョンでマジックアイテムがバンバン出て来ることなんてあり得ないのだが、そこはそう言う仕様のダンジョンだったと押し通す。
仕様を決めたのは俺だから嘘じゃないもん!
冒険者ギルドに到着すると、エマさんがドアを開けて先に中に入った。
「エマ! お帰りっ!」
と元気よく迎えてくれたのは受付嬢の中でも姉御的存在のミランダさんだ。
その日の仕事が終わって報告に来た冒険者がチラホラと並んでいたので、そちらを優先すべきだとカウンターから出て来ることは無かったのはさすがだが、尻尾があればめっちゃ高速で振っている様子が想像される。
だが俺も建物の中に入るとお座りが出来ずにガバッと席から立ち上がった。
その勢いに対応していた冒険者が慌てたのは当然だろう。
「クレストさん! 生きてたの!」
とまるで幽霊でも見たように驚きカウンターから出ようとするのを、エマさんが慌てて制止した。
「はいはい、先輩はちゃんとお仕事しなきゃダメよ」
とエマさんが悪戯っぽく言うと、渋々と言った様子で席に戻る。
俺の姿を目にしてギルドの中が騒がしくなる中、執務室からライエルさんが顔を出すと手招きする。
このギルドの最高責任者とは思えない気軽さだが、これがあの人のスタイルだから仕方ない。
ミランダさんに会釈してから執務室に入ると予想通りレイドルさんの姿もあった。
「なんだ、驚かないのか。つまらんな」
と心底詰まらなさそうな顔をするレイドルさんは、よほど隠密部隊の能力に自信があるのだろう。
ソファに座るように手で合図が送られたので素直に座ると、最初にエマさんが質問した。
「アイリスさんとトッド君は?」
「今日は解体施設で実地研修してるよ。真面目にやってるみたいで何よりだ」
リミエンに潜入していた三人組の内の二人のことか。
良くまぁ職員に採用することを思い付いたもんだと感心するが、行動を監視するなら側に置いておく方が良いのは間違いない。
残る一人はダンジョンに居るのだろう。
「それより、クレスト君。
随分とお早いお戻り…だけど、あの暴力的なまでの魔力はどうしたんだい?
まるで別人だけど」
と早速魔力が無くなったことを質問してきたので、用意しておいた答を返す。
「本当に?」
嘘だとバレたか?
沈黙が続く中、エマさんがマジパッドに、
『真実は伯爵様に話しています。表向きには今の答を通して下さい』と書いて見せた。
それを見て少し考えたライエルさんが頷くと、
「まぁ、魔力が無くなったことは不幸だったとしか言えないけど、それで命が拾えたのは幸いだったね」
と嘘を真実とすることを了承してくれたようだ。
「それに魔力が無くてもクレスト君が忙しいことには何ら変わり無いから安心してね」
…この人、ひょっとして鬼じゃない?
「俺はスローライフが希望なんだけど」
「お前みたいな欲しがり屋に、そんなのは無理だな。まずは我慢することから覚えろ」
人はアレが欲しい、コレが欲しいって欲求があるから頑張れるんじゃない?
我慢なんかしてたら生活の改善なんて出来ない…いや、逆にものを欲しがるとスローライフを送れなくなるのか?
「クレスト君が欲しがり屋さんなお陰で、現在リミエンの景気が上向き、発展しかけているんだから、そこを否定してはいけない。
寧ろもっと頑張って欲しがってほしい」
「これからは程々で我慢しときますよ」
「計画的に欲求不満を発散してくれると有難い」
「美味しい物はドンドン作って欲しいな。
新しいスイーツの作れる穀物もあったよね? ライス、だっけ?」
穀物店でソルガムと一緒に見付けたのをしっかり覚えてたんだ。
精米機がないと米の処理なんて手間が掛かりすぎて高価な物になってしまう。基本方針だけ伝えて誰かに丸投げするしかないか。
ソルガムからシロップを作るのは、ブリュナーさんが業者を探してやってくれてる筈。
既に麦芽糖が商品化されてるから、そのお零れに与れなかった業者がシロップに期待を寄せる様が目に浮かぶよ。
「何をニヤついているのか知らんが、新商品があるなら早めに商業ギルドに教えろ。
お前の商会は油の増産の開墾と搾油施設の建設を進めているだろ? 結構なグレーゾーンだからな、農業ギルドも伯爵様もそれについてはピリピリしてるぞ」
開墾した土地は開墾した人の物になるので早い者勝ちってことらしいからね。
伯爵様も今までの現状維持政策から路線変更して開墾の奨励を始めたんだけど、予算の都合があって思うようには進んでいない。
リミエン商会は田舎暮らしを望んでいる退役軍人を雇って着実に畑を増やしているから、開発スピードに差が出ているそうだ。
「お前に教えられた品物だが、どれも生産が追い付かんぐらいに需要がある。
お陰で商業ギルドには毎日商品が足りないと苦情の嵐がやって来るが、それでもお前はスローライフを希望するか?」
「それは性急に販売しちゃったギルドのせいでしょ?
どうせ現金収入欲しさに後先考えずに発表したんじゃない?」
「その現金収入が欲しくなった理由を作った張本人には言われたくないがな」
新商品が手に入りにくいのはよくあることだろ?
スマホやゲームソフトの販売初日には行列が出来る報道を見てきた俺には、それって当たり前のことなんだけど。
「えーと…俺、なんかやったっけ?
ダンジョンに入る前の記憶が無いや」
「もう少しまともな嘘を吐け。
ウチの喫緊の課題はマジックハンドコンテストまでに仕上げる施設の建設費だ。
参加工房に渡す開発資金や大道芸人の日当などはスポンサーからの支援金で賄えるが、屋根付き競技場など貯水池周辺の開発費用が馬鹿にならん。
もちろん商業ギルドが全額出す訳ではないが、領主様への貸し付け分があるからな」
つまり経済力的なパワーバランスが領主様より商業ギルドの方が上ってことね?
地方領主より豪商の方が金持ちってのは歴史上でもよくあることだし。
とは言え税率やら公共事業やらの収入と収支のバランスを領主様は考えている筈だから、領主様にお金が無いって言うのは一概に悪いって言うものではない。
お金の使い方が適正かどうかをまずは評価すべきだろう。リミエン伯爵は贅沢を好まないまともな人だと世間には知られている。
「アチコチからスポンサー企業を集めてんなら、個人の寄付もオッケーだろ?
大銀貨千枚ぐらいなら寄付しても平気だと思う」
家の改築やカラバッサの開発、リミエン商会の立ち上げに開墾、海外貿易、洗浄剤と紙の開発…これだけやって骸骨さんの遺産の半分ぐらいは消費できたかな?
商会はしばらく赤字が続くだろうけど、いずれトントンになれば良いぐらいに思ってるし。
「千枚が厳しい男爵家が大半なんだが。
貰えるなら遠慮はせん」
「冒険者ギルドからは、貯水池周りの開発に絡む資金を用立てて貰えると有難い。
だけど、ウチには個人献金なんてシステムは無いから換金性の高い物が貰えると有難い」
手を出すライエルさんに、渡せる物はあったかなとしばし頭を悩めるのだった。




