第71話 キャンプ地でひと騒動
冒険者ギルドのギルドマスターであるライエル殿、それに本来は侵攻する予定だったリミエンを統治する伯爵達と共に行動することになるとは全くの予想外だった。
我々三人の潜入がバレていた時点で我々の始末に動かなかったのは、きっと目的を突き止める為だったのだろう。
◇
キリアスのダンジョンからコンラッド王国のリミエン近くに通じる転送ゲートが生まれたのは偶然であると思う。
だが『赤熱の皇帝』が新兵器の運用に成功したことで、近々我らルーファス軍に対する殲滅作戦が行われることは想像にたやすかった。
ルーファス総隊長は転送ゲートの存在を知るなり、この拠点を放棄してコンラッド王国への侵攻を決意した。
その決定は我々が掴まされた偽情報によるものであったのは、皮肉としか言えないが。
ダンジョンのコンラッド王国側の出口には、昼間は見張りが立つものの夜間は出入り自由となる。
我々三人は見張り達の会話からリミエンと言う町の存在を知り、夜間に移動して朝方の城門の混む時間帯に旅行者を装いリミエンに侵入したのだ。
現在は田舎町の一つに成り下がっているが、元は城下町だった為に立派な城壁に守られたリミエンには常駐する兵力はそう多くない。
有事の際の防衛戦力として冒険者が当てにされていると知って鼻で笑ったものだ。
そしてその冒険者も金貨級以上の上位の者達は軒並みあるダンジョンの調査に駆り出されていることがすぐに分かった。
戦力として優れる大銀貨級の冒険者達は他領への買い付けや護衛任務で殆どリミエンには居ない状況だ。
残存する冒険者の中で主戦力となるのは銀貨級の冒険者であり、その程度なら戦渦で鍛えられた我々ルーファス軍の精鋭が百人も居れば封殺可能だろう。
それにルーファス総隊長は対人戦特化の能力を持ち、フリットジーク副隊長は硬い攻殻に覆われた犀の魔物の能力を引き出すスキルを持つ。
副隊長が抑えている間に総隊長が敵を滅ぼす。
この必勝パターンに持ち込めば、正直に言ってリミエン程度は一晩の内に陥落させることが可能だと思われた。
私達が持ち帰った情報により作戦決行日がすぐに決まった。
そして決行当日の夜。
キリアスの貨幣がリミエンでは使えない為に腹を空かせていた私達の前にオットリとした女が現れた。
「あの、ちょっと良いですか?
怪しい者じゃありませんから!」
とブンブン手を振る女に空腹のイライラもあってか、
「怪しいやつ程そう言うって知らないのか?」
と啖呵を切る。
それが冒険者ギルド受付嬢エマとの出会いだった。
それからまだ二晩しか経っていないと言うのに、今の私は何故か冒険者ギルドの制服を纏い、転送ゲートから出て来てこのダンジョンに駐留する仲間達のもとへと走っていた。
木を伐り倒す音がダンジョンに鳴り響く。
同胞達の姿を眼にして心底ほっとする。
「誰だっ!」
と私を見て不審そうに誰何の声を投げ掛けられて、脚を止めて躊躇した。
「誰って、見たら分かるだろ。リリーだよ」
「えっ? 本当にリリーか?」
何故疑う?
お前ら、まさか私の顔を忘れてしまったのか?
「確かにリリーに見えなくもないが…リリーってこんな美人だっけ?」
「それに何だかおかしな服だしさ」
おかしな服…ギルド嬢の制服だとスカートが長すぎて走れなかったので、膝上まで捲り上げてピンで留めていたのでおかしく見えたのかもな。
それより私が美人だと?
今までお前らのクチからそんな言葉は聞いたことが無かったぞ。
昨日の朝、ギルド嬢が髪を編んで化粧をしてくれた。
簡単な化粧の仕方のレクチャーを受け、ファンデーションと口紅だけ持たされたので今朝は手鏡を見ながら自分でやってみたのだが。
それにしても、コンラッド王国の鏡は質が悪い。金属板を磨いてピカピカにしただけじゃないか。
いや、寧ろ良くここまでピカピカにしたなと感心するよ。
スカートを留めるピンを外してロングスカートに戻し、
「フランク、ポルトン、カイマン、ペッソ。
お前ら、頭だけじゃなくて目までおかしくなったのか?」
と指を差して四人に詰めよった。
彼らは三十代から四十代後半の四人組で、力仕事によく駆り出されていたので顔と名前は覚えている。
「まだ老眼には早いわい!
その憎まれ口、リリーに間違いないな」
とリーダー格のフランクが少し切れる。
「と言うか…何でお前ここに居るんだ?
リミエンに潜伏してたんじゃ?
まぁ、コッチも予定変更だからお互い様か」
「確かに。アイリスとトッドはどうした?
三人で潜伏したんだろ?」
「これがリリー…上手く化けたもんだな」
最後に失礼なことを言ったペッソの頭に拳骨を落とす。勿論手加減したつもりだ。
「ルーファス総隊長と話がしたい。
どこにいる?」
「案内してやるよ。それにしても…マジで別人じゃないか」
私を全方向からじっくり見るペッソの頭にもう一回拳骨を落としてノックアウト。
代わりに最近白髪が増えてきたのが悩みらしいポルトンがキャンプ地へと案内してくれた。
そのキャンプ地には見慣れぬ小さな建物や大きな切り株があり、その切り株に停まるのは大きなカブトムシだ。
それに白い鶏が隊列を組んで土で作られた建物に入って行くところだった。
「なんだここは?」
転送ゲートがあった広場は少し見ぬ間におかしな物が設置されたらしい。
それとは別に、これから丸太で小屋を組むのか、地面にはアチコチに線が引かれていて集会所や倉庫など用途も書かれている。
見たことの無い制服を着た私に不審げな視線が投げ掛けられるのは仕方あるまい。
ポルトンがルーファス総隊長を呼んで来てくれと作業中の青年に声を掛けると、手が離せないようで「収容所にいるから」と言って作業を続ける。
どうやら本格的にこの場に住むつもりのようだな。
仕方ないなと言ってポルトンが収容所とやらに足を向けたので、ルーファス総隊長が来るまでここで待つことにした。
転送ゲートは何処にも見えないから消えてしまったのだろう。
特段キリアスに未練は無いが、もう戻るべき場所が無くなったと思うと少しだけ悲しい気分になる。
だが自由に走り回っている子供達の笑顔が、ここでの生活がそれ程悪いものではないのだと物語っている。
私と一番仲の良かった二人はリミエンの冒険者ギルドで職員として働いているのでこの場には居ない。
ギルド職員の制服を着ているせいか、完全に浮いている私に声を掛けてくる者も居ない。
皆が自分の役目を果たすべくコツコツと働いているので邪魔をするのも悪いと道路の端に寄って立っていると、来た方向から
「あれ? ギルドの制服」
と声が聞こえた。
振り返ると冒険者風の姿をした四人組の女性が立っていた。
飛び抜けた美人とは言えないが、悪い訳ではない。中の中から中の上と言ったレベルだな。
「冒険者ギルドの新人さんですか?」
とリーダー格の女性が問い掛けてくる。
私に不信感を持っているのか、その目付きはとても穏やかなものとは言えそうにない。
「昨日から役目に就くことになったリリーだ。
そちらは?」
「私達は『紅のマーメイド』よ。少しは有名になったと思ってたけど」
紅の? 何度か馬車の中で名前が出て来たな。確か…
「あぁ、クレストのハーレム要員か…」
…マズイ。思わずクチに出してしまった。
「この人、撃って良いかしら?」
とどこからともなく弓矢を取り出した軽装の女性が私を狙う。
「初対面で言うのは非常識ね。
それにクレストさんはエマさん一人に…セリカも好きなのが…せめて二級持ちなら…」
「えっ、私? 私は…胸要員?」
「確かにメロメロン級だけど、どう言う自覚の仕方なの?!
リーダーも好きみたいだから、ウチから二人嫁入りなら三級は必要みたいね」
「クレたん、私とサーヤは眼中に無さそうだから、弄っても平気。
オリビアさんも入れたら四級が必要だ」
えーと…つまりあのエマさんが付き合っているクレストって男は女好きな訳だな?
かなり出来る男だと馬車の中で話していたが、英雄色を好むを地で行くような男なのか。
それなら『赤熱の』と気が合うんじゃないなか? もっともあの馬鹿皇帝なら、話を聞く前に丸焦げにしてるだろうが。
それで、二級とか三級と言うのは市民権って奴のことか?
よく知らないけど、コンラッド王国じゃ市民権が無いと結婚出来ず、ハーレムも作れないんだな。
結婚するとお金が必要になるのは確かだし。
それに金持ちなら何処かに寄付しろとは言わないが、それなりの散財をしてもらわないとコミュニティが経済的に回らなくなる。
なるほど、その散財の一つが市民権と言う訳なのか。
それならクレストは市民権を買って好きなだけ嫁を娶れば良い。それで十人ぐらい子供を作れば、一人ぐらいは使えるのが生まれるだろう。
何? そんな事をすると財産分与や家督権で争いが起きるだと?
そんなのは勝ち残った奴の総取りか、均等割のどちらかにすれば良いんだよ。
人間社会の弱肉強食ってのは、何も腕力だけの話じゃない。知力だろうが権力だろうが、自分の持てる力をフルに活用すれば良いんだよ。
もっとも、そう言うのが面倒くさいから、ハーレムは人気が無いんだろうがな。
何だかんだと言っても、最終的に愛だけでは飯は食えないからな。
結婚するなら夢より現実を取れ、とキリアスでは言われるが、愛と金の両立が出来るのなら何も迷う事などあるまい。何をこの女共は躊躇っておるのだ?
見たところ、胸の大きいのがクレストを好きらしいな。
武器は腰に差しているが防具はどうした?
まさかその剣一本だけで戦うのか?
リーダーの鎧はダンジョン産か知らんが、かなり値打ちのあるものだと一目で分かる。
その鎧を彼女に与えるだけでもクレストとやらの財力が普通ではないと窺えるのだが、それなら何故この胸の女は鎧を持たないのだ?
全く分からないな…。
「ハーレム発言はともかく…貴女は偽物よね?
その制服は盗んだのかしら?」
「ライエルさんがそんな間抜けはしないと思うけど。リミエンに潜入していたのよね?」
「リミエンのギルドカード、持ってたら本物だよね?」
「サーヤが珍しく冴えてる。
そうそう、ギルドカード見せてよ。最近はケースに入れて首から提げてる筈なんだけど」
あぁ、それで今朝ギルドに行ったら一番にギルドカードを作らされた訳か。
首から提げる為のケースも用意されていたが、そんな邪魔くさいものはしたくなかったのだ。それが無いから偽物扱いされたのだな。
腰のポケットをパチッと開けて木製のカードケースに入れたギルドカードを四人に見せようとすると、
「…制服、リニューアルしてるんだ」
「だね。セラドボタン採用してるよ」
「こう言うところ、ライエルさんは抜け目が無いからね」
「私達でもまだセラドボタン付きのアイテムなんて持ってないのよ。ズルイ!」
とカードを無視してそんな事を言う。
このパチッと留めるボタンがズルイだと?
確かに製造工程は多いが、キリアスでは普通に使われているぞ。
「そう言うことか。なるほど、クレストとやらは我々の技術を欲して懐柔したわけだな」
コンラッド王国は見た感じキリアスより加工技術が遅れているのだ。
目端の利く者ならこの技術力を得たいと思って間違いないな。そう言う意味でクレストは切れる人物だと評価出来るだろう。
そう納得していると、チャキッと音がしてリーダーの女が私の首に剣を当てていた。
いつの間に?
剣の動きが全く見えなかったのだが。
「クレストさんは懐柔なんてしていないわ。
巫山戯たことを言うなら、首を落とすわ」
「アヤノ…斬りたいのは分かるけど、先にカードを確認しようよ」
「リーダーが抜いて無かったらアンタ、もう撃たれてたから」
「クレたんを侮辱するような奴は即刻死刑でも良かったかな。みんな甘い」
四人が本気で怒るとは、彼女達から相当な信頼を受けているのだな。ハーレム要員なのだから当然かもな。
「おかしなこと思っていない?
言っとくけど、クレストさんはハーレム希望してないから。市民権制度も批判してるし」
なんて勘の良さだ。これは恋する女の特殊スキルなのか?
剣に恐怖を覚えつつ、ギルドカードをゆっくりと持ち上げて四人に見せる。
カードの右下を持って文字の色が灰色から黒に変わるのを確認してもらう。
おっとりした四人に見えるが、物凄い殺気を放ちながらカードを確認した。
「本人確認は間違い無し。確かにギルド職員になってるわね」
「少々納得しにくいけど。ライエルさんが顔だけで選ぶ筈は無いし」
「こんな失礼な女、絶対何かやらかすわよ」
「これは間違い無く監視の為よね。
下手な動きを見せたらズドンとヤルって」
リーダーの剣は鞘に収められたがまだ殺気は残っている。
彼女達の前ではクレストの悪口を言うまいと誓いながら、ルーファス総隊長が来るのを待つのだった。




