第38話 兄は迷惑な有名人
傷む頭に手を当てようとしたが、残念ながら腕が上がらない。
体が拘束されたように全く動かない上、視界に入るのは樹の皮のようなものだけだ。
しかも気絶していたのに自分が立っているのも意味が分からない。
随分器用な気絶をしたものだと馬鹿なことを考えていると、後ろから何人かの話し声が聞こえてきた。
「おー、生きてるじゃん。偉いぞ、ミハル」
「問題は話が出来る相手かどうかっしょ?
赤熱の軍隊てさ、薬で逝ってる奴ばっかりなんだぜ」
確かに戦闘前には身体能力を向上させる為にドーピングを行うことが多いが、今回の薬はいつもと違うものだったのだ。
自分も迷わず飲んでいれば、恐らく理性を無くして暴れるだけの化け物と化していただろう。
だがこの会話を聞く限り、彼らはいきなり自分を殺すつもりは無いことが窺い知れた訳だ。
敵の中には捕虜を取っても余興の一つとして楽しみながら殺してしまう者達も居ると聞く。
そんな奴らと同じではないことに、まずは一安心と言うところか。
「すまない、話をしたいのだが…今の私はどう言う状態なのだ? 何かに拘束されているようだが」
と冷静さを装いつつ、樹の皮しか見えない状況の改善をお願いする。
「ミハルちゃん、蔦を解いてやってくれ。
これだけの人数で囲んでいりゃ、暴れてもムダだしさ」
と言うルーファスの指示に従い、俺を何かに固定していた拘束がスルスルと解かれていった。
尻餅を付きそうになった俺を誰かが後ろから支え、俺の体を軽々と持ち上げる。
「ボーノデックは意外と紳士なんだな」
「違うって。逃げないように抑えてるつもりだよ。それならミハルちゃん、脚を蔦で片脚を軽く拘束してくれないか」
誰かの驚きをルーファスが軽く否定すると、左の足首に誰かが蔦をクルリと巻き始めた。
ロープでなく蔦を使うのは、資材がそれだけ枯渇していると言うことかと彼らの状況を分析していたのだが、何かおかしい。
人の手は見えず、意志があるかのように蔦が勝手に動いているのだ。
「器用な子だなぁ。さすがは大将のペット?」
ペットとは? 犬や猫を富裕層が愛玩用に飼育する子どもを言うが、蔦を操るようなペットなど聞いたことが無い。
猿の系統かも知れないが、それで蔦を動かす手が見えた筈だ。
不思議に思いつつ、ルーファスの視線を辿って振り返ってみるとその先には一本の枯れた樹があった。
これに拘束されていたのは理解出来るが…よく見ると樹のように見えて魔物の一種、トレントではないか。
どうやらこのトレントは、自分の体から生えていた蔦を自由に動かせるらしい。
やたらと増える駆除対象の魔物をペットにするとは酔狂だが、なるほど、このような便利な能力を持つなら一体ぐらいは飼うのも悪く無さそうだ。
残念ながら、見た目は可愛いとは言えないが…ミハルちゃんとは外見に似合わぬ可愛らしい名前を付けたものだ。
「痛っ! 痛い痛い! 悪かったよ、ミハルちゃん!」
俺の考えが分かったのか、適度な拘束だった蔦をぎゅっと締めるミハルちゃんに思わず謝る。
「下手なことを考えない方が良いみたいだな」
「…名前を不思議に思っただけだ」
「それは…大将の趣味だ。諦めてくれ」
何人かの男達を後ろに引き連れたルーファスが俺を不憫そうな目で見た後、軽くミハルちゃんと呼ばれたトレントの太い幹を撫でる。
「そう言えば、大将とは?
ルーファス殿がここの総大将ではないのか?」
そもそも俺の任務はルーファス討伐隊の現地入りまでのサポートと、現地から通信施設までの道路整備であった。
だが部下達には俺の抹殺と言う裏の使命が与えられていたようだが。
それは今は置いておくとして、ルーファスが
大将と呼ぶ人物が居ると言うことは、ルーファスより上の地位に立つ者が居ると言うことだ。
今までにそのような報告は無かった筈だし、プライドの高いルーファスが人の下に付くとはとても思えない。
「大将? アンタは見ていないのか、あの銀色の鎧を。
と言うか、アンタは薬をやってないんだ?」
俺を不思議そうに見ると、ルーファスが俺の持ち物らしき錠剤をヒラヒラと見せる。
「俺はそんなものには頼らない主義だからな。
怪しくてとても使う気にはなれん。それにその薬で部下達は人で無くなっていた…」
最後に見た元部下達の顔は、完全に理性を失い動くものを全て破壊するだけの人形と化していたのだ。
「へえ、見所はあるんだな。
アンタ呼びはやめてやる。名前は?」
「ラードン・ヘルト。二十…」
「あー、胡麻擂りコリオの弟か。そりゃ災難だったな」
「兄を知っているのか?!」
「そりゃ俺、四年前までは城に居たんだ。
有名人は知ってるさ…弟に比べて出来が悪いが、おべんちゃらの才能だけはピカイチって話だったな。
で、弟は剣の腕はソコソコだが、軍への忠誠心が足りていないって評価だったな」
ルーファス殿がケラケラと笑うと、俺の肩をバンバン叩く。鎧を着ていても関係ないようだ。
「で、ラードン、ここに何しに来た?」
と突然目を細め、 鋭い眼光を飛ばしながらそう聞くルーファス殿に微かな恐怖を覚えた。
ベリオ皇帝には敵わなくとも、彼は軍の中で五本の指に入ると言われていた武の実力者である。きっと俺など瞬きする瞬間に命を絶つぐらいはやってのけるのだろう。
俺の嘘を見逃すまいとじっと見つめる視線に、知らずと冷や汗が流れ落ちる。
「軍を抜けて、平和に暮らしたい。
その思いで転送ゲートを通らせて貰った」
兄のように賄賂を贈ったり、胡麻を擂らなければ俺のような中途半端な人間はいつまで経っても出世など出来る筈もない。
良いように使われ、いらなくなれば簡単にポイッと捨てられるような人生を送るのは御免なのだ。
「俺達はお前の兄貴を殺したぞ。そんな相手と一緒に居られるのか?
攻めて来たのはそっちだから、俺らは悪いと思っていないけどな」
「俺はアイツから家族扱いされていなかったんだ。ヘルト家の面汚しと罵られ、いつも馬鹿にされてきた。
それにアイツは俺を殺そうとしていたんだ。多分いつか兄弟同士で殺し合っていたと思う。そう考えれば逆に感謝したい」
「ふぅん、そう思うのか。どんな糞野郎でも家族は家族。
家族を殺した相手を憎まずにいられる人間なんて居ないもんだ」
俺の仲間入りは認めないと言うのか?
敵として現れたのだから、仲間にしてくれと言っても受け入れて貰えないのは仕方ないかも知れないが、一人で生きていくことなど俺には出来ない。
雑用でもなんでもやるから、と説得してみるしかないのか。
「が、ここはキリアス西方から離れたコンラッド王国だ。
俺達はコンラッドの国民となることを選択してここに居る。お前が過去を綺麗に捨ててコンラッドの民となるのなら、コンラッド王国の法に背かないように生きてくれ。
無論俺達もそうするつもりだ」
コンラッド王国だと?
頭の中で地図を広げ、確かキリアス東部地域の東隣が深い森に覆われた緩衝地帯となっていた筈。
災害級の魔物が守護するその森を行き来するのはまさに命懸けの大冒険となる筈だ。
それをたった五つ数える間にショートカットしていたとは、転送ゲートとは便利なものだ…で、その転送ゲートは今どこに?
俺達の後をベリオ皇帝が追ってきた筈だ…。
「転送ゲートはどこにある?
ベリオ皇帝を通すのはマズイぞ!
奴には一度行ったことのある場所に自由に移動出来るスキルがあるんだ!」
焦った様子の俺を見て、何人かがクスクスと笑う。
「笑い事じゃない!
皇帝はな…」
「あー、ラードン、その話だが…転送ゲートは皇帝が壊したみたいだ。
俺らにとって、それはラッキーとアンラッキーの両方だから…少々困っているところなんだが」
「皇帝が?」
「ウチの大将が皇帝を抑えてくれてな…あの馬鹿が『メガトンフレア』をぶっ放しやがって、俺は転送ゲートに逃げ込んだんだが、それで転送ゲートが使えなくなったんだ…お陰で皇帝がコッチに来ることは出来ないが、ウチの大将も戻って来られない」
ベリオ皇帝の『メガトンフレア』を受けて生きていられる人間なんてそうは居ないと思うが、ルーファス殿の中ではその大将の生存は確実なのか。
つまりそれはベリオ皇帝と同程度かそれ以上の実力の持ち主と言うことだ。
そうなると…視界の端に映るあの鉄の塊も気のせいではないのか?
「あのアイアンゴーレムを倒したのは、その大将なのか?」
と横たわるアイアンゴーレムを指さした。
よくよく見れば、俺達が運んできた荷馬車もたくさん並んでいるではないか…魔道通信機を乗せた荷馬車まで鹵獲していたとはな。
ロストしたと思っていた物が、コンラッド王国に移送されていたのだから、これはもう笑うしかないだろう。
「そうだ。銀色に光る剣でスパッとな。
アレなら皇帝のガーランドとディープルージュとも渡り合えるかも知れん」
ルーファス殿が言う大将とは、銀色の特殊な鎧と剣の持ち主か。それなら皇帝が欲しがっていても不思議ではない。
皇帝は恐らくは転送ゲートを破壊して、大将とやらをこちらに帰れない状況に追いやってから懐柔しようと企んでいるに違いない。
「皇帝はアイアンゴーレムを手に入れたことで、調子に乗って『鋼鉄王デュークアード』に喧嘩を売るつもりだ。
それで領地内の安定化を図る為に、反抗勢力撲滅を打ち出して真っ先にルーファス殿を選んだのだが」
「俺は反抗勢力の代表格だったのか。そりゃ、悪いことをしちまったな」
悪びれもせずケタケタと笑うルーファス殿だが、確かに個人の武に優れた彼を討ち取ることが出来れば、他の反抗勢力も鳴りを潜めるようになるだろう。
「大将が居ないんで、ここは代理のベルさんにお前の対応を決めてもらう。
俺もここじゃ下っ端と言うか、彼らの好意に甘えさせて貰っているだけだから」
ルーファス殿が紹介したのは、まさに歴然の強者と呼ぶべき壮年の偉丈夫だった。
「えっ? 俺に振るのかょ。そう言うのは…ルケイド君、君に任せた」
今後の打合せをしていなかったのか、話を振られたベル殿とルケイド殿が慌ててどうするのかと協議を始めた。
「ラード…ンさんだっけ?
他にも何人か赤い鎧を着た人達を捕らえてあるんだけど、彼らが飲んでいる薬とか解毒剤は持っていない?」
方針が決まったのか、ルケイド殿がそう聞いてくる。
まさか他にも生存者が居るとは予想外だが、自分の部下ではない隊員がどの薬を服用しているのかは分からない。
だが運良く荷馬車をそのまま運んできているのだから、積荷の中に残っている可能性がある。
「指揮官用の荷物を積んだ荷馬車を探せば出てくるかも知れん」
「あ、そう言や、その馬車も持ってきてたな…糞野郎の荷物だから焚き付けにするつもりだったぞ。
で、その薬をどうする予定で?」
「植物由来の薬なら解析出来るかも知れないんだ。
あの人達も薬で無理矢理従わされているだけかも知れないし」
まだ少年と呼んで良いルケイド殿がそのような知識を持っているのか?
召喚された者ではないので、たまに生まれる天才的な才能の持ち主と考えて良さそうだな。
「赤鎧の連中なら隊員証にそれ用の符合を打っている筈だ」
「俺が居た時は薬も実験段階だったからな。そんな符合は無かったな」
「薬にも幾つか種類がある…ルーファス殿が城を出た頃から薬の使用が公然と行われるようになったんだ。
兵士は薬の試験に使われているようなものだ」
あの『赤熱の皇帝』はやる事がえげつないから俺は好きではなかった。
ルーファス殿やベル殿、ルケイド殿達の信用を得るためならどんな事でもやってやるし、知っている事も隠さず教えよう、せっかくキリアスから脱出することが出来たのだから、コンラッド王国を新天地として第二の人生を謳歌するのだと俺は心に誓うのだった。
「明日こそは私のターンなのです!」
「いや、明日はエマさん奮闘記の予定だよ」
「読者はママの話に興味ないのです!」
「そうかも知れないけど、ストーリー進行的には必要だからさ」
「それなら1話限りでお願いするのです!」
「あら、アルジェンちゃん…そんなに私の話を知りたく無いのね……タンスにドンドン!」
「あーれーっ! 吸い込まれて逝くのでーす!」