(番外編)とある森の中で
ガサッ。
背の低い木が微かに揺れたのは、風が吹いたからではない。
何かから逃げるように急ぐある魔物が踏みつぶしたからだ。
『アレはヤバい!』
出来るだけヤツから遠くへ離れなければならない、そう本能が最大級の警戒を発していたのだ。
だがその思いも虚しく、彼の体を容赦なく踏み付けて行ったのは大きな魔鹿であった。
その蹄を真下から見上げ、急所であるオリジナルの魔石だけは踏み潰されないようにと必死で動かした。
その魔物の正体はスライムだった。
スライム液の中で砕けた幾つかの魔石を仕方なく消化することにして藪の中へと逃げ込む。
『あっぶねぇ…また死にかけたぜ』
転生直後にゴブリンに襲われ、二人に別れたスライムの片割れである彼がそう呟く。
あの日からもう何度となく命を危険に晒してきた彼は、ここで生き延びるには今より強くならなければならないとの思いで蟻だろうがミミズだろうがお構いなく吸収し続けていたのだが。
運悪く魔鹿の縄張りに足を踏み入れ…どこが脚かはこの際どうでも良い…容赦なく踏み潰されたところなのだ。
幸いと言えるのは、表皮が破けようが中のスライム液が無くなろうが、魔石さえ無事ならスライムは死にはしないと言うことだ。
これは同業他者のスライムを観察し続けて見付けた事実である。
この現象がトイレスライムに活かされて居るのだが、勿論彼が知る由もない。
味覚、臭覚がなく、何を食べても腹を壊すことの無いスライムの体であり、栗鼠にも勝てない彼は強くなる為に少しでも多くの魔力を取り入れることにした。
この世界の生物には、例え蟻であろうと僅かばかりの魔力を有している。
鹿や熊に踏み潰されることを繰り返しながら、彼はアリクイのように次々と蟻を吸収し、それから少しずつ大きな獲物を捕らえられるように体を大きくしていった。
体内に二つの魔石が浮かんだのはただの偶然であったが、魔石が増えることで能力が大きく伸ばせるのではと期待したのはゲーム脳が原因か。
二つの魔石を完全に制御出来るようになれば、次は四つの魔石にチャレンジだ。
その頃にはゴブリン程度には勝てるぐらいに強くなると言う当初の目標はクリア出来ていたが、敢えて分かれた片割れに会いに行こうとは考えなかった。
ゴブリン程度に勝てるだけでは生き抜けない!
この森ではゴブリンなどまだまだ最底辺の存在に過ぎないと知り、もっと強くならねばと言う思いがどんどん強くなっていったからだ。
強くなる最短の方法は、スライム液の中にある魔石を増やすことだと気が付いてから、彼は積極的に魔石の取り込みにチャレンジするようになった。
だが小さなスライムの体ではすぐに魔石同士がぶつかり合う。
せっかく二つの魔石を持つ体になったのに、新たに取り入れようとした魔石に押されて元の魔石が一つの状況に後戻りすることもあった。
先に体を大きくしなければ。
そう思い立った彼はゴブリンを積極的に狩ることでレベルアップを図ろうとしたのだが、ここは残念ながら数値で現される経験値の無い世界。
触手の扱いは上手くなり、同時に動かすことの出来る触手の数も増えていったがファンファーレが鳴ってレベルアップと言う現象も無ければステータスにレベルが表示されることも無い。
ステータスのスキル欄に『触手』はあっても、それが一体どのレベルなのかも分からない。
全く当てにならないステータスに嫌気が差し、いつしかステータスを確認することも無くなったのだ。
このステータスシステムは、この世界を作った創造神が別のある異世界の娯楽を参考に作りかけたものだった。
しかし移り気でギャンブル好きだったその神は、世界創造の最中にスロットに嵌まり、遊ぶ金欲しさに宗教詐欺に手を染めてしまったのだ。
それがバレて神の位を剥奪され、結局この世界はアレコレと不完全な状態で放置されることになった。
と、言ってもその時には既に魔物や動物、植物に昆虫など生物が普通に暮らすには問題ないレベルに仕上がっていた。
後は魔物の進化、レベル、ステータス、称号などゲームに見られるシステムを仕上げれば良い段階であったのだ。
他の創造神達はこの世界にそんな物は不要だと判断し、結局クレストも意味が無いと使わなくなった中途半端なステータスが残されたのだ。
片割れのそのスライムもその被害者であるが、そもそも地球で暮らしていたときにステータスなど見られなかったのだからと割り切った。
こうなったら成長も進化も運任せだと考え、ゴブリンを狩り続ける。
魔熊の森で転生者の魂が宿ったスライムが生まれたのは、偶然ではなく別の神の力によるものだが、この世界が地球から多くの転生者を呼び込むことになったのは偶然である。
ギャンブル好きの創造神が参考にした異世界転生ものの小説数冊が、この星の核に収められているのだ。
その小説が時折強力な魔力を帯びることで人間や動物、植物などを地球から取り寄せたり、転生させたりすると言う非常にはた迷惑なシステムを作り上げたのだ。
普通に人が暮らすには問題が無い。
勇者召喚で対象となる人間が地球の、それも日本人だけと言うのは核に収められているその小説が深く影響しているのだ。
だが、この世界の人類に取ってどこの世界から召喚された者であろうと問題は無い。勝手に誘拐しているだけなのだ。
また、転生神を介しての転生してくる者が日本人ばかりなのも、同様の理由である。
だがそんなことなど知る由もなく。
ゴブリンは楽勝だからと次の獲物を狙って彷徨いていたスライムが、冒頭の魔鹿に追われるシーンに繋がる。
あんなミスを繰り返すことで次第に表皮が防御力を高めているのだが、数値として表すことが出来ない為、彼はその事に気が付いていなかった。
次はミスをすまいと、慎重に物陰から触手を伸ばして獲物の首を絞める日々を送り続ける。
そんなある日、現在地がどこかも分からぬまま魔物の作った獣道?を進んでいると森の遥か先から雷が落ちたのかと思わせる空気の振動と地響き、破壊音や大量の魔物の上げる悲鳴が伝わってきた。
『このまま森にはとんでもない化け物が潜んでいるんだ…クワバラクワバラ…そんな奴に出会いませんように』
まさか自分の片割れが人の姿を取り戻し、コンラッドを恐怖の渦に叩き落とす筈だった魔物の群れを魔法の修行と称してコテンパンにやっつけていたなどと思う訳もない。
とにかく安全第一、触らぬ神に祟り無し…そう行動方針を決めて…目の前に巨大な熊が現れた。
ポタリと落ちたヨダレはマグマか?
とても正気の沙汰ではない化け物の出現に身を固くした。
だがその危険生物はスライムを一瞥すると、プイと横を向いた。どうやらスライム如きには興味が無いらしい。
助かったと思う反面、無視されたことに腹が立ったスライムはよせば良いのに熊の上にジャンプしたのだ。
ジュッ!
一瞬で体の大半を失い、それでも命があったのは熊がブルッと身震いしたからだ。
そうで無ければ自らの力で動くことの出来なくなったスライムは完全に死んでいただろう。
その危険生物である魔熊だが、何故か動けなくなったスライムに対して餌を運ぶような行為を取った。
スライム違いなのであるが、以前自分に付きまとっていた馬鹿なスライムだと思いこんだ熊がスマンと言う気持ちを持ったのだろう。
だが魔熊が与えた餌は、そのスライムが自力では決して倒せるレベルではない猛者ばかりである。
スライムがみるみるうちに回復し、以前よりパワーアップしたことを確認した魔熊はまたもスライムのもとを去って行った。
恐いけど親切な熊に感謝したスライムは、迂闊な行動は取らないと言う基本を胸に…どこが胸かは分からないが…再出発をしたのだが。
好奇心旺盛な彼はやはり失敗を繰り返す。
世界初のクアッドコアスライムとしてスライム坊主の目に止まることになったのだ。
「すごいぞ! 魔石が四つもある!
こんなスライム見たことがない!」
興奮したジェルボがそのスライムに走りより、ポンポンと頭?を撫でて感触を確かめる。
久し振りに会った人間に戸惑っている間に、ずた袋に入れられ、王都に連れ去られることとなる。
スライムを養殖する地下室に連れて来られた彼だが、ここなら命の危険は無いだろうとほっとしたのだ。
たまに養殖されているスライムをつまみ食いするが、正確な飼育数が分からないのでジェルボには気付かれなかった。
そうして日々を過ごしていた時、予想外の人物が目の前に現れた。
一目で何か懐かしいと思った。
触手を伸ばして触ってみれば、なぜそう思ったのか分かるだろう。
そうして伸ばした触手から伝わってきたのは、別れた自分の意識だった。
一瞬で様々な感情が沸き起こった。
再会出来たことが嬉しい。
でもなぜコイツは人の姿なのだ?
この波長は…俺の体だ。理由は分からないが、間違いない。
それなら俺もその体に入れる筈だ!
だが、無理だった。
ならば…決して人として考えてはならない考えに頭が支配されたのだ。
奪うしかない!…と。
だが、人の体を得た俺には敵う訳もなく。
体を失い、動けぬ魔石のみが残ってしまった。
今はアルジェンと言う妖精のアイテムボックスに保管されて生きながらえているが、さて、コレからどうなるのだろう。




