第157話 戻れないっ!
ゼリーの容器を創って貰おうと研究員に会いに行ったら、偽乳をベルさんがまとめ買い…この人、あんな物を何に使うつもりだろ?
「いやー、男だけで来て正解だったね!」
「今は俺、女性モードですけど」
「何を言ってる、クレスト君。
君も欲しかったら素直に言えば良いだろ?」
「あんなのいらないし。
あ、ベルさんが買ったことは内緒にしときますから」
素材研究所を出て、この姿でこれ以上余計な人に会わないようにとさっさとホテルに戻る。
お昼ご飯を部屋に四人分運んでもらい、アルジェンとカオリを起こして皆で食べる。
二匹の進化したスライム達が後片付けをしてくれるので、ピカピカになった食器を見たメイドさんが怪訝そうな顔を見せたがスルーする。
それから数時間後。
「アルジェン、一日経ったから元の姿に戻って大丈夫だろ?」
「ママのパパも捨てがたいのです!
でもパパがママだとママと交尾が出来ないので仕方ないのです!」
「交尾とかの問題じゃないから。
普通に別の男に変装してるんじゃなくて、この体はエマさんのデータで再現してるんだろ?
黙ってエマさんの体を見たり触ったりしたら怒られるだろ?」
「パパならママも怒らないと思うのです。
でも人間の考えることは難しいので、元に戻すのです」
お腹いっぱいで満足そうなアルジェンがキラキラと光る粒子になって俺の中に入ってくる。
『では、元のパパに戻すのです!
ママ↔パパ変換オペの開始なのです!
コホン…ゲノムゲノム、誤報の売り切れ、以下中略!
逮捕解雇介護の集金ガーン
駐禁ガーンのプーリン体!
クーロン大のティンポコポンのオッパッピーの!
リバース! ゲノム・リコンポジショナー!』
「だから、その意味不明な寿限無改変の呪文に意味あるのか!?」
『勿論無いのですっ!』
そして、その言葉を最後に俺は意識を失っ…ていなかったのだ。
「あれ?」
『…おかしいのです…戻らない……のです!
そんな筈ないのですっ!』
アルジェンが何故だか分からないとパニックを起こし、何度も寿限無改悪を唱えるが寧ろ今こそ意味の無い呪文はやめるべきだろ。
五分ぐらいしてドアがガチャリと開いてベルさんが顔を覘かせる。
「あれ? 戻れてないのかい…あ、失礼」
ゆっくりドアを閉じたのは俺が裸だったからだ。まさかこんなところでベルさんがラッキースケベとは…。
それから暫くして、落ち着いたアルジェンがこう告げる。
『…理由が分かったのです…ラルムとピエルの進化が影響してるのです』
合体を解除し、俺の中から出て来たアルジェンにその意味を聞く。
「どう言うこと?」
「昨日、ラルムとピエルが進化したときに、進化に必要な魔力を私から吸収したのです」
「魔力的にアルジェンと繋がってたんだね」
「そうなのです。
本来ならパパと繋がってる筈のリンクなのですが、パパの魔力回路の不具合の為に応急処置的に私とリンクさせてあるのです」
「それでアルジェンから魔力を吸収し過ぎたの?」
「一時的に大量の魔力流出が発生した際、実行中のゲノム・リコンポジショナー監視プログラムに影響が出ていたようなのです」
それってつまり、エマさんに変身している状態で魔力的にトラブルが起きてるってこと?
まさか俺、一生この姿で過ごす訳?
それはちょっとどころの騒ぎじゃないよ。
「その影響って、具体的には?」
「プログラム本体には影響はないのですが、タイマーがリセットされていて…今から一日のクーリングタイムが必要なのです…」
「じゃあ、ずっとエマさんの姿ってことじゃないんだね?」
「そうなのです」
「それなら…一日我慢すれば…?」
と言うことは…明日の午前中にお城に行く予定なのにエマさんのまま…ってことだ。
取り敢えず元の姿には戻れるようだが、献上式を一日延ばして貰えるか?
取り急ぎ服を着てベルさんを呼び、事情を説明する。
「はぁ…あと一日もその姿な訳か。
仕方ない、一応今から王城に行って予定変更を申し入れてみるけど…明日は妖精保護条例も発布するから変更は難しいと思うよ。
うん、中身はクレスト君だからと言うことで納得してもらうしかないかも」
「女装して謁見とかおかしいでしょ!
幾ら俺でもそれは無理無理無理!」
何処の世界に男性が女性の姿で国王に謁見するような猛者が居るんだよ。
「無理無理と言われても、公務を変更するのは大変なんだからね」
「はぁ…俺が急病になったってことでもダメ?」
「病気と聞けば宮廷魔法士が大挙して押し寄せて治癒魔法を掛けてくれるだろうね。
君の有り金ぜーんぶ持ってくぐらいの金額を請求されるよ」
それは困る!
皆の給与が払えなくなるじゃないか。
「じゃあ急病は無しにして…偽装誘拐とか」
「陰の部隊と宮廷魔法士を舐めちゃイケないよ」
ダメなのか…じゃあどうしよう…
「クレスト君も一緒に王城に行って、偉い人に相談してみようか。
事情を話せば分かって貰える可能性も数パーぐらいなら…」
「数パー…無いに等しいってことね」
仕方ない、ちょっと王城に行ってくるしかないか。
ベルさんが居てくれてるから何とかなるだろ。
ホテルを出て急ぎ足で王城前まで一気にやって来る。
内堀に囲まれた巨大な城は高い石垣の上に建設されていて、どれだけ建設費を使ったのかといらぬ心配をしてしまう。
「こんにちわ、青嵐のベルです」
「ようこそお出でくださいました!」
ベルさんがご近所さんに挨拶するような軽い感じで、少し位の高そうな衛兵さんにギルドカードを見せる。
「はい、確認完了です。
それで後ろの女性は?」
「こちらは明日登城予定の者だが、訳があって偉い人に事前に面会させる必要が出来てね」
「明日ですか?
明日の登城予定は一名だけの予定ですが」
「ならその一名に間違いない。
妖精事件は聞いてるだろ?
その張本人だから」
「はぁ…クレスト殿ですか?
ではギルドカードを」
さすが城門を守る衛兵だけあって、明日の予定までちゃんと把握しているようだ。
金貨級のギルドカードを見せ、本人確認を終わらせて跳ね橋を渡らせてもらう。
綺麗に整えられた庭園の中を進み、城の玄関前へ。
ここでもさっきと同じような遣り取りをして衛兵さんにギルドカードを見せる。
俺の姿をマジマジと見るのは男だと連絡が入っていたのに、何処をどう見ても女性にしか見えないからであって他の意味は無い筈。
可愛い子が来たなぁ、とデレてる訳じゃないと思う。
「ガースト宰相に会えると一番嬉しいんだけど。あの人は忙しいよね?」
「念の為に伺って参ります。
忙しいようなら、祭祀担当の上官をお連れしますのでここで暫くお待ちください」
受付窓口に座る文官らしき人がいそいそと奥へと歩いて行く。
宰相なんて偉い人にいきなり会えるとは思わないけど、中途半端な役職の人が来てもどうしようも無いだろう。
心配しながら文官の帰りを待つ。
商業ギルドでも同じだが、内線電話が無いから呼び出しでいちいち歩いて行って連絡しなければならないのは不便極まりない。
数分程で先ほどの文官が四十代半ばに見える男性を連れてきた。
「ガースト宰相殿! 時間は大丈夫?」
とベルさんが気楽に声を掛けるが、宰相と言えば国を動かすと実質的なトップじゃない?
「大丈夫ではないが、緊急事態では仕方あるまい…で、そちらの女性?が例のクレスト殿と言うことであるな?」
「そうそう。うっかり変身しちゃったけど、本物のクレスト君だ」
もう一度金色のギルドカードの文字の色を変えてクレスト本人であることを証明する。
「確かにクレスト殿である…事情は奥で聞くとして、儂は宰相を務めるガルボル・ガーストだ」
「宰相殿、こんなことになって申し訳ありません」
「取り敢えず儂の部屋に来てくれ。ここでは落ち着いて話しも出来んだろ」
豪華なカーペットの敷かれた廊下をどう歩いたのか分からないが、暫く進んで執務室に通された。
応接テーブルを挟んでガースト宰相がドスンと座って俺達にもソファを勧める。
リミエン伯爵の執務室より豪華に見える一室に、地方領主より良い暮らしをしてるなんて中央集権万歳だなと心の中で皮肉を言う。
「それで緊急事態とは?
女装したことは報告を受けていたが…まさかそれと関係が?」
「はい…残念なことに、明日の午後五時ぐらいまでこの姿で過ごすことになったんです」
「明日の午後だと?
それは一体?」
「説明はアルジェンから…」
鞄に入っていたアルジェンをテーブルに立たせると、ガースト宰相の目がクワッと見開いた。
「これが噂の妖精か。うむ、実に美しい…」
そりゃ、俺の妄想マックスでキャラメイクしたアバターのデータが元になってるんだから美人に決まってる。
「初めましてなのです!
クレストパパの娘のアルジェン、ゼロ歳なのです!」
と余計な情報を入れつつ横ピース。
ホテルを出てからここに来る前に偉い人に会うからご機嫌を損なわないようにと説得しておいたのだが、理解出来ているのか不安になってきた。
「初めまして、妖精のアルジェン殿。
この国の宰相…国王の代理みたいな役をしておるガーストと申す。
クレスト殿が女装しておるのは、アルジェン殿の魔法と言うことで宜しいのか?」
「その通りなのです!
『ゲノム・リコンポジショナー』でパパの万能細胞をママに変化させたのです!」
「万能細胞…? 何じゃそれは?」
この世界の人に細胞と言っても理解出来ないだろう。
それにしても、どう考えても万能細胞が活躍し過ぎだろ。
「芋虫が蝶になるような現象だと思えば、人間も他の人間に変わることは不可能では無いのです!」
信じたくないけど、一度俺の体内の物が全部ドロドロになって再形成された感じなのか?
「そのゲノム何とかを使えば、誰でも誰にでも変身出来るのか?」
まずはそこ、とても気になるよね。
「パパとママの遺伝子情報を完全に把握している私にしか出来ないのです。
遺伝子情報のデータ量はとても多くて、人間の脳みそでは処理出来ないのです。
私でもパパをママに変身させることしか出来ないのです!
同じことをベルにも聞かれたので、後でFAQを用意しておくのです」
頻繁に聞かれる質問ねぇ…確かに便利だから聞きたくなるけど、異世界感台無しだよな。
「遺伝子?とエフエー…と言う物が儂には分からんが、クレスト殿とエマ殿の体の情報を完全に把握しておるから変身させられたと言う訳じゃな?
それでもう別の者には姿を変えられない、クレスト殿をエマ殿に変える専門魔法と言う理解で良いのだな?」
「それで合っているのです!
理解が早くて素晴らしいと褒めてあげるのです!」
俺もガースト宰相を褒めてもあげよう、お利口さん。
「それで今はエマ殿の姿をしておるのが、まさか明日になっても元に戻せないと?」
「そうなのです…まさかこのタイミングでスライム達が進化するとは思っていなかったのです」
「スライム達? 進化? さすがにそれは話が跳びすぎて理解が追い付かんぞ」
「元々『ゲノム・リコンポジショナー』で変身したパパをママに戻すには、一日のクーリングタイムが必要だったのです。
だけど途中でラルムとピエルが…」
説明の為に進化した二匹をポケットから取り出し、テーブルの上に乗せてやる。
「これがスライムだと?!
まるで宝石のようではないか」
驚く宰相を無視してテーブルの上で二匹が遊び始めた。
お弾きのようにぶつかり合う遊びが彼らのマイブームらしく、アルジェンのレディ……ゴーッの掛け声でバチンと勢い良くぶつかって相手をテーブルから押し出そうとするのだ。
ぶつかり合う前にはお互いが獲物に飛び掛かる前の猫みたいに前方が低くなる。ひょっとしたら狩猟本能に目覚めたのかも。
進化前にはこんなことはしていなかったので、進化によって遊ぶ知性が芽生えたか、それとも瞬発力が身に付いたのか。
次の進化ではゴールゲート型に変形して相手を素通りさせて自爆させたり、ピョンと跳んで回避するようになるかも。
おっと、スライム達の能力は今は関係無かったな。
ガースト宰相にこのスライム達が進化したことで俺の変身のタイマーがリセットされたことを伝える。
ベルさんもスライム達の進化を目撃しているのだから、アルジェンの説明を嘘だと断定するには材料不足だろう。
「薔薇の魔物に妖精にスライム二匹…何処の勇者か魔王の生まれ変わりかと聞きたくなるが…謁見を延期するのは献上品を心待ちにしておられる王子達がうんと言わぬ。
国王の孫へのプレゼントになるのでな」
宰相、まさか初代勇者とセラドンを言い当てたりしないよね?
ちょっと心配になってきたよ。
「明日の謁見までにエマ殿の姿から戻れぬ以上、その姿で…謁見するしか?…いや、男装と言う手もあるな。
顔は知られておらぬが、濃紺の髪の男性だと報告が届いておる以上、女性の姿での謁見はないな」
「女装の上から男装が出来るのなんてクレスト君ぐらいなもんだ。
うん、それが良い」
「今度は男装て…でもそれしかないのか」
謁見は延期出来ないのなら、男の格好をしてカツラを被るか。
「すぐに明日の衣装を用意せねばなるまい。
それにその髪の毛をカットして黒っぽい色のカツラもな。
よし、すぐに取り掛かろう」
そう言うが早いか、ガースト宰相がベルを鳴らしてメイドを呼び、慌ただしく俺の変装の変装の支度が始まるのだった。




