第156話 偽りの器
素材研究所で木材チップを原料にした紙の製造を研究していたフォイユさんと出会った俺は、ホクホク顔でロビーに戻る。
ベルさん達も目的の薄くて丈夫な材料のお強請りを終わらせて満足そう、蓑虫と戯れ満足したサーヤさん達が合流。
アヤノさん達は健康ドリンクで健康被害にあったそうだが、今は体調に影響が無いようだ。
他の材料の研究内容にも興味はあるが、アヤノさん達をように見るとアレコレ首を出すのは危険だと思うので自制しよう。
「クレースちゃんも成果を得たみたいだし、僕達も樹脂の研究員にお強請り出来たし、アヤノ君達は…無事に戻って来たし、サーヤ君達も楽しそうだし、良かった良かった」
とベルさんがニコニコ。
「研究を見に行って無事に戻って来るのは当たり前だと思うけどね。
で、樹脂の研究か…樹脂か…樹脂?
えーと、何か必要な樹脂があったような、無かったような?」
ライエルさんに丸投げした絆創膏も本体は何かの樹脂で作ることになるだろう。
ブラバ樹脂はゴムとプラスチックを足して二で割ったような性質で、伸びはゴムに劣るし強度はプラスチックに劣るが、ブロックが大好きで語尾が『ッス』の職人さんにより成形技術が確立されたことで、今では色々な商品に利用されている。
そのブラバ樹脂ではラテックスのような伸びは出せないから、ベルさんが欲しがってる物は作れない。
でも俺が思っていた『あったら良いな』的な樹脂はベルさん達が欲している物とは違う。
確か食べ物関係に使う物だった筈。
「それで、クレたんは紙の研究員と話をして、どんな成果があったの?
ルケやんも浮草で紙を作ってるし、紙がダブっても意味ないんじゃない?」
「浮草の紙と木の紙じゃ、色々と質が変わってくる筈なんだよ。
紙って言っても、用途に合わせて違う物を使い分けられるようになった方が便利も良いしさ。
すぐ思い付くのは丈夫さ、耐水・耐油性かな。
とても安く作れるなら、料理を提供するときのお皿にして洗わずに燃やすって使い方とかもありだよ」
コンビニのレジ横にあるチキンやフライドポテトの紙容器みたいな物があると便利だよね。
この世界の人にその現物を見せずに理解させるのは困難だと思うけど。
「なるほどね。
勿体ない気もするけど、屋台だとお皿を返す手間が省けて便利かも。お店の回転が早くなりそう」
「それに洗わずに済むメリットもあるから、お水を節約出来るよね」
意外にもカーラさんとサーヤさんは使い捨ての紙皿のメリットを理解したみたいだ。
他の人もそれを聞いて紙は便利だと認識してくれたようだ。
ちなみに俺が屋台で大量に買い溜め出来るのは、焼き立てをダイレクトにマジックバッグやアイテムボックスに収納していたからで、普通の人はそんなことはしない。
だから串焼き以外のお惣菜は屋台の前で食べるのだ。
その串焼きの串は残念ながら、通りを歩くと大量にポイ捨てされているのを見掛ける。
もう少しマシな人は、道路脇にある排水溝のグレーチングの間に落として流す。
その為に下水道のゴミを定期的に回収する必要があるのだが、不衛生過ぎて俺も今のところはパスしてるけどね。
もし使い捨ての紙皿や紙コップが出来たら間違いなく下水道直行コースを辿るだろう。
でも今のところ町の中で下水道から悪臭が漂って来てないってことを考えると、下水道内部ってスライムの溜まり場になってる可能性が高いんじゃないかな?
ポイ捨て文化を持ち込むことには少し罪悪感を感じるけど、スライムのオヤツに有効利用されるならギリギリ許容範囲かも?
「お昼ごはんには少し早いか。
帰り道で何か屋台で軽く買ってく?」
もう一度お腹が減ったのか、ベルさんが壁の時計を見ると時間はまだ十五時だ。
「それなら昨日のクレープの食べてないのを食べたいな」
「そうね。リミエンでは売ってないもんね」
アヤノさんがリクエストを出し、カーラさんが視線で俺にリミエンでも売れと催促してきた。
「残念。生クリームの確保が難しいから、クレープは作るつもりはないんだ。
そもそも生クリームが使えるなら、パンケーキやワッフルにもトッピングしてるし。
今のリミエンだと生クリームを乗せたパンケーキは銀貨三枚ぐらいになるかもね」
その値段に根拠は無いけど、貴族の食べ物に成り下がるのは確実だ。
乳業の飼育頭数不足、輸送と保管の問題が解決しないと乳製品の価格は下げられないのだ。
逆に言えば、牧場に行けば生クリームが食べられるかも…ふむふむ、これは観光牧場ってやつだな。
「クレースちゃん、悪い顔してるわね?」
「何か悪だくみを思い付いたみたいだよ」
フレイアさんとベルさんが俺の顔を見てそんな勝手を言いだした。
悪だくみなんて失礼な。これは立派な経営戦略と呼んで欲しいものだょ。
「生クリームが安く食べられる方法を思い付いたのかも」
「さすがにそれは無理でしょ?
でもリミエンではって言ったから、リミエンじゃない場所なら?」
「…あっ! 牧場よっ!」
「そうか、牧場に行けば生クリーム食べ放題かも」
アヤノさんとセリカさんが正解に辿り着いたが、生クリーム食べ放題は胸焼けするのでノーウェルカムだよ。
あと、砂糖かそれに変わる物の大量生産も低価格化の為には必要だからね。
さすがに麦芽糖は生クリームには使えないだろうし。
「生クリーム期待してます!
あっ、そう言えば、クレたんがルケやんに教えたって言う新しいスイーツの販売はいつ頃?
王都のアンテナショップ?でも売り出すの?
なんか穀物から作る甘味料もルケやんに押し付けてるらしいし、あの子にブーブー言われてない?」
新しいスイーツって、πゼリーのことか。
まだゼラチンの大量生産の目途が立ってない筈。
材料自体は捨てる程あるかも知れないけど、精製するのにかなり手間暇が掛かるだろうからね。
それに容器の方もペンディングだし。
「あっ! そう、ゼリーのカップと蓋だよ!」
カーラさん、ナイスアシストっ!
プラスチックみたいに透明な容器が欲しかったの忘れてた。樹木から採れる樹脂って色々利用出来そうだし、食品容器に使えないか聞いてこよう。
「俺、樹脂の研究員に会ってくる!
皆は先に帰ってて良いよ」
「クレースちゃんを一人で残す訳にはいかないよ。僕も付いてくから」
「それなら私らは帰るとするかい?
アヤノ達は王都を散策したいだろ?」
フレイアさんにそう話を振られ、一応護衛として派遣されてるのに傍に居なくて良いのかなと心配になるアヤノ達だが、
「ベルが責任持って監視するから大丈夫だよ。
やるときはやる子だから」
とフレイアさんがベルさんより年下なのに姉貴ぶる。
「それならお願いしようかな」
「任された。晩ご飯の時に合流しよう。後でホテルに迎えに来てくれるかな?」
「そうするわ」
そう予定を決めると、八人の女性達がワイワイと賑やかに研究所を去って行った。
恐らく買い物に行くのだろうが、王都価格なので戦果は無いかもね。
「じゃあ樹脂の研究員にもう一回会いに行くか」
ベルさんの先導で三階に上がり、十号室の扉を開ける。
「失礼しまーす」
独特な臭いがプンプンしているのは、溶けた樹脂を加熱しているからか。
「だから勝手に入って来るなって!」
「ゴメーン、また来たよ」
「ベルさん! まだコンドーさん用のは出来てませんよっ!」
そらそうだ。一時間も経って無いのに新しい素材が出来る訳がない。
「今度は用があるのはコッチの子だよ」
「初めまして。リミエンの冒険者のクレストと言います」
「俺はレンジだ。趣味は物を温めることだが、今は樹脂の用途を探る研究をやっている」
レンジで温めって…電子じゃないけどそのままだな。
「趣味は聞いてませんけど、透明で丈夫な樹脂ってあります?
食品容器に使うんです。その容器を密封出来る蓋も併せて必要なんだけど」
「透明で丈夫な食品容器用?
おいおいおい、随分と難しい注文ぶっ込むお嬢ちゃんだな」
お嬢ちゃんって、俺は男だけど…ここは女の子で通すべき?
「ダメですか?」
思い切って小首を傾げて可愛くお強請りっ!
「ぶっ! 慣れないこと無理してすんな!
キモイ」
ガーン…まさかの逆効果…
「クレースちゃん…キモイ」
「ベルさんまで酷っ! 可愛くお強請りしただけでしょ!」
「取って付けた感って言うやつ?」
ぐぬぬ! 精神的ダメージ覚悟の捨て身の技だったのにそこまで酷評されるとは何たる屈辱!
「頼むから、クレストなのかクレースちゃんなのかはっきりしてくれよ」
とレンジさん。
「あー、この姿の時はクレースちゃん、正体はクレストでヨロシク」
「…あぁ、分からんが分かった。
そう言う趣味のヤツも居るからな…以前、偽乳を作らされたことがある」
偽乳だと? まさかシリコンで? サンプルがあったら是非触らせて!…おっと失礼。
「それ、特殊戦隊の人達じゃないよね?」
「特殊戦隊? そんなんじゃない、ただの趣味らしい」
「そうか、残念…偽乳特戦隊だと思ったのに」
「…何を想像したのか知らんが…オカマで都合の良いときは女を演じていると思えば良いんだな?」
「オカマちゃうわい。訳あって変装中だよ」
「それにしちゃ…完成度シンサクだな」
「よく言われるよ」
シンサクってのは初めて聞いたけど、どうせ勇者ネタだからスルーしよう。
「で、食品容器に使える樹脂ってあるの?」
「少し茶色か黄色が混じった透明で良けりゃあるが、臭いがあっちゃダメだよな?」
「当然だろ。それにクチに入れても害が無いこと、ついでに安価なこと」
「おいおい、要求が多いな。
一応、ここは国の研究施設だぞ。アンタの個人的要望を聞いてやるのは隣にベルさんが付いてるからだ。
そこまで我が儘を言われると、さすがにな…」
ベルさんのお力添えは素直に感謝!
でもそこから先は自力でレンジさんを解凍してやる!
じゃなくて説き伏せてやる!
「実はその食品サンプルがあるんだけど…これ一つで今のところ大銀貨一枚なんだよ…」
とお皿に乗せたゼリーをマジックバッグから取り出し、プルンと揺らしながらテーブルに置いてレンジさんの前にスススとずらす。
銀の匙もセットだ。
子供用ティーカップを型に使った高さ一センチのゼリーの中に、賽の目に切った洋ナシ擬きが申し訳程度に入っている。
「リミエンで試作中のゼリーと言う新しいスイーツです。
まだ試食分しかないので貴重ですよ。食べてみて」
レンジさんが言われるままにスプーンを手に取り、まずは皿をごと持ち上げ匂いを嗅ぐ。
「仄かな甘い香りは果物のものか?」
そしてテーブルに皿を戻して弾力のある透明なゼリーにプスリ。
「透明で適度なこの弾力、まるで魚の汁が冷えて固まったような…」
「いらないよ、そんなまずそうな食レポ擬きは。いいから早く食え」
ムッとしたような顔を見せたレンジさんだが、ゼリーに興味を引かれていたのは間違いないようで、スプーンに乗った塊をパクリ。
不機嫌そうな顔が一気にパァッと明るくなると、残りのゼリーも凄い早さでクチに運んだ。
その様子を見て、
「そんな物を隠し持ってるなんてズルイだろ」
とベルさんが俺の頬を抓った。
「痛いです!
これは研究員の為に用意したもので、ベルさんの分は無いですよ。
食べたいならリミエンの商業ギルドに直談判してください」
「ヨシ、今からリミエンに戻ろか」
ベルさんの言動が極端過ぎるだろ。
「自己都合による任務放棄は違約金が発生しますからね。
しかも国王に招聘された人物の護衛の放棄となると…カード剥奪ですかね」
そんな処分は多分無いと思うけどね。
「仕方ない、王都での滞在中は我慢してやる。戻ったら商業ギルドに連れて行ってくれ」
「分かりましたょ。
お世話になってる御礼に作って貰いますから、ご自分でね」
ゼラチンさえ手に入れば、水との割合は把握出来てる筈だからゼリー作りに失敗はないだろう。
入れる果物によってゼラチンが充分に固まらない可能性があるが、それはそれでドリンクぽくすれば良い。
それにベルさんならゼラチンの材料も片手間に狩ってくるだろ。
「僕に作れと?」
「はい、これからは家で女性だけが料理をする時代ではありませんからね。
それに料理上手な男性はモテますよ」
「なるほど、それなら僕も料理を習うか」
ベルさんって十分もててるのに、まだモテたいの?
それとも知名度とモテ度って違うものなのかな?
「そっちの都合はともかく、このゼリーの容器だな?
それなら…試しに偽乳のヤツを使ってみるか」
そう言ってレンジさんがロッカーから取り出したのは、まさに人口乳房だった…。
サイズはコンラッド女性の平均サイズであるCカップ、適度な張りと弾力はよくぞここまでと思わせる完成度。
自分の胸と揉み比べても多分遜色ないだろうが、さすがにソレハ…。
「この人口乳房を作るのに試行錯誤した時のデータがある。
硬度や伸び率なども配合で調整可能だ。
ゼリーを入れて蓋をする実験をしたいのだが…もうゼリーは残ってないのか?」
イヤイヤ、蓋をする実験ならゼリーを使わなくても出来るだろ。
「ゼリーはさすがに無理。
でも腐敗の試験は必要だから、中に食べ物を詰めてから蓋をする実験が必要なのは間違いないね」
「どうせなら同じゼリーを使いたいのだが」
余分にお前に食わせるゼリーはねぇ!と怒鳴りたいが、ここはググッと我慢。
ゼリーの代わりになるもの…コンニャクでも詰めさせるか。
コンニャクも芋のでん粉が原料だから、似たような物は作れるかもな。
凝固剤として貝殻を焼いた灰が使えるから、食用に適さない芋でもあればコンニャク作りを試して貰おうか。
まぁ、別にゼリーに似たものじゃなくて、最初はパンでも肉でも食べ物なら何でも良いんじゃない?
「取り敢えず、依頼費用として大銀貨百枚を後でここの口座に振り込んでおくから、それで適当な食べ物を買って詰めてよ」
「それなら俺の口座に直接!」
「ダーメッ! 俺も後で商業ギルドからその分を貰うからキチンとしないとダメなの」
こう言う時には、やたらと異世界感丸潰れに進歩したカードシステムが役に立つ。
キッチリと履歴を残しておけば、必要経費と認められれば返金してもらえるのもありがたい。
「それなら、この偽乳ワンセットと取引しないか?
サイズはCカップからGカップまで揃っているぞ!」
そんなの貰ってどうしろと?
「よし、それで手を打とう!」
何故かベルさんに研究費を出して貰うことに…後で商業ギルドに何て言い訳したら良い?




