空調服の男、結婚披露宴でスピーチをする。
梅雨。雨が多い季節だが、この時期に結婚式を挙げる日本人は多い。ジューンブライドなんて六月が雨季の日本には関係がないのだが、関係がないとは分かっていても、抗えぬ力があるらしい。
六月には珍しく、朝から太陽の光が降り注ぐ爽やかな日曜日。大阪駅から環状線で十分ほど揺られたところにある昔ながらの古い駅。その駅からシャトルバスでさらに十五分ほど行ったところにある、小洒落た結婚式場では、今日もまた一組の男女が夫婦の契りを結び披露宴を行なっている。
「幸太郎さん、晴美さん、ご結婚おめでとうございます。また、ご両家のご両親さまにおかれましても心よりお喜び申し上げます」
NHKのニュースキャスターばりに聞き取りやすい声で、男が手紙を読み始める。男の服装は非常にシンプルで、白い半袖シャツに黒いベスト、下は細身の黒いデニムで靴は黒いスニーカー。ベストの腰のあたりには、左右一つずつファンがついていて、ブォーっという音ともに内側に風を送り続けている。静まり返った披露宴会場にファンの回る音がBGMのように響いているが、男は気にする様子もなく手紙を読み続ける。
「ただいまご紹介いただきました新婦、晴美さんの友人の中山梨花と申します。晴美さんから友人としてスピーチをお願いしたいとのお話をいただきました。でも、当日は感動して上手く話せないと思い、手紙を書いてまいりましたので、読ませていただきたいと思います。さん付けは照れるので、晴美と……いや、やっぱりいつも通り、ハルちゃんと呼ばせてください」
時折、男は手紙から視線を上げて新郎新婦たちが座る高砂席に笑顔を向ける。短く刈り上げた髪に無精髭、日に焼けた中年男性のまぶしい笑顔に新郎新婦は少し顔を引きつらせるが、男に気にする様子はない。
下からLED照明を照らしているような明るい笑顔を貼り付けたまま、男は手紙を読み続ける。
「ハルちゃんへ。結婚、おめでとう。初めてハルちゃんと出会ってから、十年が経っていました。私にとってこの十年はあっという間で、この手紙を書くにあたり数えてみてびっくりしました。初めて出会ったときのブレザー姿がとっても懐かしいです」
ブレザー姿という言葉を聞き、新婦の両親は顔を見合わせる。我が子の制服姿を思い出し、二人とも笑顔になり感傷に浸ろうとするが、空調服の奏でる音がそれを阻害する。なんとも言えない気持ちになり、両親は視線を手元に落とす。
「ハルちゃんと出会ったのは、高校の吹奏楽部だったね。高校で吹奏楽部に入り、初めてサックスを手にした私に、中学の頃からサックスを演奏していたハルちゃんが色々と教えてくれて、そこから仲良くなり始めたのを今でもよく覚えています。仲良くなってからは、毎日授業のあと一緒に部活に行って、部活が無い日もいつも一緒に遊びに行ってたね。カラオケに行ったり、駅前のサイゼリヤで日が暮れるまでお話したり、お互いの家でパジャマパーティーをしたり、ハルちゃんといるのが居心地が良くって、私たち本当にずっと一緒に過ごしていたよね」
パジャマパーティーという単語を聞いて、披露宴会場に集まった百人ほど参加者のうち、約二割が男のパジャマ姿を想像した。そして想像した者たちのうち、二人が笑いを堪えきれず口から飲みかけの赤ワインを吹き出した。
空調服のブォーンというBGM以外の音で少し会場がざわつくが、男がそれを気にする気配はない。
「今でも思い出すのは、高校3年生のときの県のコンクールのこと。私がコンクール前日にリードを割ってしまい、予備も準備してなくてパニックになったときに『落ち着いて! 今からできることを一緒に考えよう』と、声をかけてくれたよね。その言葉を聞いて私はすぐに近くの楽器屋さんに電話して、なんとか運良く新しいリードを買うことができました。本番で私はいつもよりはうまく演奏できなかったけれど、私たちの学校は金賞をとることができたよね。今でもあのときパニックになった私に真っ先にハルちゃんが声をかけてくれたことを私はよく覚えています」
リードとはサックスを演奏する時に重要なパーツなのだが、当然ながら演奏したことのない者にとってはそれが何かわからない。リードが何かわからず首を傾げる者、手元のスマートフォンで調べる者が会場の至る所に見受けられた。しかし、手紙を読む男は手紙と新婦しか見ていないので、そんな光景は視界に入らない。
「きっとハルちゃんのことだから、結婚生活もハルちゃんが幸太郎さんを引っ張っていくことになるんだと思ってます。既にこの式のことでもがんがんハルちゃんがリーダーシップを発揮したってこないだ会った時に言ってたもんね」
男は手紙から視線を上げて新婦ににこりと微笑みかける。何の悪意のない温かな笑顔を見て、新婦はなんだか照れ臭くなり赤面する。
「初めて新郎の幸太郎さんを紹介してくれたとき、『ハルちゃんの隣に立つのはこの人だ!』と直感的に思いました。穏やかで、優しそうで、ずっとハルちゃんのことを大切そうに見つめている幸太郎さんを見て、なんだかすごく嬉しかったよ。それに、いつもとは違うハルちゃんの嬉し恥ずかしそうな笑顔が眩しくって、私まで恥ずかしくなりそうだったよ。これからは幸太郎さんとハルちゃんの新しい生活が始まって、今までみたいに気軽には会えなくなるかもしれないけど、私はずっとハルちゃんの親友でいたいです。今まで通り、月に一回は美味しいものを、年に一回は一緒に旅行に行けたらなと思っています。これからもよろしくね。最後になりますが、ハルちゃん、幸太郎さん、この度は本当におめでとうございます。二人で幸せな家庭を築いてください」
男は最後まで読み上げると、原稿を丁寧に折りたたんで空調服の右の胸ポケットにしまい、深々と頭を下げた。会場にいた人々はそんな男に少し戸惑いながらもまばらな拍手を送った。
拍手が収まると、それを待っていたかのように、男の後ろからネイビーのシックなドレスを着た女が出てきた。女は色鮮やかな花束を持ち、満面の笑みで新婦の元へと駆け寄った。
「ハルちゃん、結婚おめでとう!」
喜びの涙でいっぱいの顔で、女は新婦に花束を差し出した。そんな彼女を見て新婦は立ち上がると「梨花、ありがとう!」と言いながら目に涙を浮かべ、満面の笑みで花束を受け取った。
披露宴の進行係である司会の男は、新婦が花束を受け取ったのを確認すると、小さく咳払いをしてからマイクのスイッチを入れた。
「中山様が緊張でお手紙がうまく読めないとのことでしたので、本日は結婚スピーチ代読派遣会社 株式会社ダイドク代表取締役社長、畑山様にお手紙の原稿を代読していただきました。また、中山様のご希望により、スピーチの内容が頭に入ってこないような服装で読んで欲しいとのことでしたので、畑山様には本日空調服でお越しいただきました。皆さま畑山様に大きな拍手をお送りください。畑山様、誠にありがとうございました」
司会の説明を聞いて、会場内に「なんだ、そうだったのか」という声があちらこちらで上がる。ぱちぱちとまばらに鳴り出した拍手は、会場にいた人たちの不安に反比例してどんどん大きくなり、ついには割れんばかりの大きな大きな拍手となり会場全体を包み込んだ。会場内に立ち込めていた不安めいた空気は、もう一切残っていない。
「ハルちゃん、私の書いたお手紙どうだった?」
花束を渡し、記念写真を撮り終えたドレスの女、友だち代表の中山梨花が新婦に尋ねると新婦は少し曇り、目線を床に落とした。
「ごめんなさい、代読の方のインパクトが強くって……その……実はあんまり覚えてないの……」
「本当!? いいのいいの、気にしないで! たくさんの人に聞かれるのが恥ずかしかったから代読の人に無理なお願いしちゃった。これ、私が書いたお手紙。ハルちゃん受け取ってくれる?」
「え、いいの!? よかったー! 梨花、本当にありがとう!」
安堵の表情を浮かべた新婦と、照れ臭そうに手紙を渡す友だち代表の中山梨花。そんな二人のやり取りを見て空調服の男、畑山は満足そうに頷くとそっと披露宴会場を後にした。そしてすぐに更衣室に向かうと、次の依頼現場に向かうために、畑山はゆるキャラとして国内屈指の知名度を誇る、黒いクマの着ぐるみに着替え始めた。
畑山の一日はまだ始まったばかりである。