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夏の白煙

作者: 朝凪 青

「ねえリア、今日合コン行かない?」

「んー、待って。予定確認する。」

退屈な講義と東京の熱い夏のせいで、シャットダウンした私の脳はまだ再起動していない。

こいつは誰だっけ。ああ、同じ学部のカリンか。

私は無感情に答える。

「いいよ。この後何も予定ないし。相手は?」

「なんかー、高身長で高学歴で大企業勤務の2人だって。全部ティンダーのプロフ情報だけど。あたしがやり取りしてる方は顔も悪くないよ。もう1人は知らないけど。」

そう言ってカリンは私に画面を向ける。

タイプではないが、無加工でこれはまあ悪くない。スペックは元々どうでもいい。そもそもマッチングアプリの情報なんて信じられたものではない。マックでバイトしていても超大手飲食チェーン勤務というのは嘘ではないし、アップルストアの販売員でも超大手IT企業勤務というのは嘘ではないからだ。


私はカリンにまた連絡してと伝え、大学構内のいつもの喫煙所に向かう。

私が喫煙所に行くようになって一年が経つ。広い構内も大学2回生にもなればさすがに道は覚えた。


構内にはたくさんの人がいる。

すれ違って挨拶をするだけの人も、カリンのような合コン仲間も、全く知らない人も、一晩寝ただけの男も、たくさんだ。


喫煙所に着いてケントエススパークの5ミリにラブホから持ち帰ったライターで火をつける。

左手の細い指の第二関節に細い煙草を挟み、口から白煙を吐く。

こんな姿を両親が見たらどう思うだろうか。


「今日はなんだか気持ちがスッキリしないみたいだね。」


ここで煙草を吸い始めるといつもこの男に話しかけられる。

特に特徴のない顔に特に特徴のない髪型。身長も高いわけでも低いわけでもない。女の子のように細い色白の体。そしていつも西欧の良家のお嬢が着るような真っ白のワンピースを着ている。


私は仙台で生まれた。一人っ子だったこともあり、両親からはプリンセスのように大切に育てられた。優しい彼らは今でも一人暮らしの私を心配して10日に一度ほど様子を見に来る。

そして幸運なことに、彼らは私をとても綺麗な顔に産んでくれた。それに運動神経もよかった。

昔から勉強も得意だった。中学高校と進学校に進み、予備校にも入れてもらい、東京でトップクラスの私立大学に合格した。

足りないものは何もない順風満帆な人生のはずだった。

でも私には穴が空いているようだった。なんでも手に入るからこそ手に入らないものもある。大学生になってからそのことに漠然と気が付いた。


「よくわかるね。さすがストーカー。」

軽口をたたく。彼は笑いもせずに言う。

「いつもより最初の吸いがキツいからね。」

「ストレスフルだね。男問題だろ。」

「まあそんなところよ。それよりあなたはどうなのよ。彼女はできたの。」

「どうしていない体で話が進んでいるんだよ。」

「あなたが自分のことを話さないからよ。彼女がいるかどうか明言しないやつは大抵いないのよ。クズ男は真逆だけど。」

彼は無表情に言う。

「今日も男漁りかい。」

「言い方悪いね。合コンよ。」

「君の定義と世間の定義は違ってそうだね。」

「いや、あながち間違ってもないんじゃない?」


私はこの男と話すのが嫌いじゃない。

何度話しても私とどこかで会いたがらないし家にも来たがらない。大抵の柔らかい男はその後のことを計算し尽くした腰振りロボだが、この男は違う匂いがする。


「まあほどほどにしなよ。君が2人の男と同時に寝た次の日の吸いっぷりは尋常じゃなかったからね。」

私はそのことを誰かに言ったことはない。

こいつはなぜこんなことまで知っているのか。こいつを雇って探偵事務所を開けば儲かるかもしれない。


そんなことを考えながら煙草を吸い終わると、同時に彼はどこかに行ってしまった。もう少し話したいとも思ったがまあ追いかけるほどではない。


私が初めて煙草を吸った時、彼とも初めて顔を合わせた。もう1年ほど喫煙所で話すだけの不思議な関係性が続いている。飽き性で忘れっぽい私からすればこんなにも関係が続くのは歴史的快挙だ。

私のことを全て知っている彼は冷静に考えるととても気持ち悪いが、なぜかただのストーカーだとは思えなかった。私はなんどもストーカーにあって来たし、ネットストーカーをされたこともあるからわかる。彼はやつら特有の自己顕示欲も無く、私に大学の喫煙所以外で関わろうとして来たことは一切ないのだ。

私はなぜか彼には心を開いていた。彼が聞き上手だからかもしれないし、私がガツガツした男に疲れたからかも知れない。


夏の日差しは18時を越えても衰えることを知らない。

駅のロータリーの陰で汗を拭っていると、向こうからカリンがやって来た。尻の下半身が見えそうなショートデニムに胸元がざっくり空いた黒のノースリーブを着ている。もちろんヘソ出し。どうやら今日は本気モードらしい。メイクもいつもより心なしか濃い気がする。


この女は馬鹿だ。

身長だの年収だの目に見える数字ばかり気にしている。どうせ合コンで知り合った男など結婚はおろか付き合うことすらできはしない。でもこの女はなまじ顔が可愛いからか、本気で彼女が言うところのイイ男を捕まえられると思っている。自分は人として魅力的だと思っている。自分が穴モテだとはつゆ知らずに死んでいくのだろう。


でも、かくいう私も人のことは言えないか。すぐに体の関係を求めてこない浮気をしない顔も悪くない男など存在するとは思えないし存在していたとしても私のような女と恋仲になってくれるはずもない。むしろリアルなところを見ている分カリンの方が現実的かもしれない。


鬱屈としたままカリンに付いて歩いていると、向こうが指定した店に着いた。アルデバランと書いてある。

薄暗い落ち着いた雰囲気のバーだった。


中を見渡すと、カウンターの後ろのテーブル席で手を挙げている男が見えた。暗くて顔はよく見えない。


席に着きモスコミュールを四つ注文する。

ごめんなさい待った?ううん俺たちも今来たとこだよ、などと世界一無駄な会話をしているとグラスが届いた。


乾杯をして会話を始めると、私はすぐに帰りたくなった。


私はひけらかす男が好きではない。

2人ともいい大学を卒業して就活生ではない私ですら知っている大企業で働いているらしい。彼らの身につけるものや立ち居振る舞いから察するにおそらく嘘ではないだろう。そういった金と経歴に自信がある男特有のやけに自信満々な感じからもそれはうかがえる。

だが自分のことをすごそうに話す男は実際にどれだけすごくても浅く見えてしまう。

金と地位という強力な武器を装備しているだけで、本人自体のレベルは1しかない。


酒が進み1時間半ほど経ったあと私たちはレストルームに行った。

洗面鏡を見てメイクを直しながらカリンは言った。

「2人ともカッコいいね。」


私は返事をしなかった。


席に戻ってから私はほとんど喋らず相槌も打たずラムバックばかり飲んでいた。


そしてかなり酒も進み、私以外の3人ともイイ感じに出来上がっていた。

「2人はなんで俺たちと会いたかったの?」「最近セックスしたのはいつ?」「K大学の女子学生なんて勉強はできるけど頭は悪いビッチばっかりだよね」

ニヤニヤしながら上から目線で言うコイツらもとろんとした目を輝かせているカリンも心底気持ち悪かった。


会計をし店を出ると当然のようにティンダー男が私の腰に手を回し耳元で「この後どうしたい?」と言った。

カリンたちはすでにいなかった。

私はしつこく誘ってくるコイツを振り切りタクシーに乗った。無理矢理乗り込んで来ようとしたので「乗ったら警察に通報する。タクシーのドラレコにも証拠は残ってる」と言うと、舌打ちと共に「ビッチのクセに」という捨てゼリフが聞こえた。

私は運転手に家の住所を伝えシートにもたれた。


窓の外を見ていると仲睦まじく手を繋いでいるカップルがたくさんいる。

彼らは初めて2人で会った日はカフェでデートをし、2回目のデートで一緒に夕食を食べ、夜の公園で告白をし、3回目のデートでお酒を飲み、4回目のデートでは彼氏の家で唇を重ね、5回目のデートで体を許し合ったのだろうか。


少し酒を飲みすぎたのかもしれない。

私はワンピースの彼と話がしたいと思った。

だが、そこで私は重要なことに気がついた。


彼の名前を知らない。


それどころか連絡先も学部も出身地も友好関係も何もかも知らなかった。


いつも男の方から頼んでもないのに名乗ってくるし連絡先を聞いてくる。だから私からは聞かないようにしていた。そのツケが回って来たというのか。別に会いたくもないヤツとはいつでも会えるのに会いたい人には会いたい時に会えない。


彼と会えないのは知っている。それでも私は運転手にK大学に行き先を変更するよう伝えていた。


この時間になると流石に日差しも痛くない。誰もいない真夜中の大学を歩いているとなんだかとても悪いことをしているみたいだ。

昼間ははあんなにも煩いのに、真夜中になるとこんなにも静かだ。東京は昼と夜でそれぞれ別の世界にあり、私たちは知らない間に世界を選択しているのかもしれない。


喫煙所に着いて当たりを見回す。

喫煙所も、真夜中の大学の法則に則り、人は誰もいない。

当然彼と会えないことなど分かっていたが、少し期待していた自分もいて、そんな自分にがっかりした。


酔いを覚ますために喫煙所横の自販機で缶コーヒーを買い、一息に飲み干す。

そして煙草に火をつけ虚空に向かって夏なのに白い息を吐いた。

彼が牡牛に化けて私をクレタ島に連れて行ってくれたらどんなに幸せだろうか。


「男に振られたの。」


耳馴染みのある優しい声に泣かされそうになる。

私はできるだけ無表情を装って言った。

「私が振ったのよ。」

「煙草の一吸いがもの凄いよ。強がってるのバレバレだね。相当傷つけられたんだろう。」

私は泣きそうになった。

「それよりあなたはいつから私の会いたい時に会えない人になったのよ」

「俺も出世したなあ。嬉しいよ。」

私は煙草を吸うのも忘れ、彼の声全てを耳に染み込ませ、彼の言葉一つ一つを胸に刻みつけようとした。会いたい人こそ会いたい時に会えないかもしれないから。

「随分痛い目に遭ったみたいだね。これを期に控えなよ。」

「本当にもうこういうのはもう辞めるかもしれない。ねえ。そういえばあなたの名前聞いてなかった。教えてよ。私はリアって言うの。」

そう言いながら私は、灰皿に落としてしまった煙草に一瞬目をやった。


ジュッという音ともに目線を上げると、そこには誰もいなかった。


私は特に悲しくなかった。なぜなら今目の前で起こった事態を理解できていなかったからだ。彼は私が一瞬目をそらした隙にどこかに去ったというより、この世界から忽然と消えた感じなのだ。


まさかと思った。

ずっと不思議だった。

思えば彼とは喫煙所でしか会ったことがなかった。


まさかとは思ったが試してみない理由もなかった。


私は寒くもないのに震える手でケントに火をつけた。

煙が宙を舞う。


「やっと俺を見つけてくれたね。」

私は涙が止まらなかった。

「俺に会えて泣くほど嬉しい?」

「煙が目に染みただけよ。」


私はなんて幸せなんだろう。

彼に触れることはできない。でも、会いたい人に会いたい時に会えるのだ。


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