新装備の実戦投入③
何事も、初心に帰る事は大事だと思う。
「『大斬撃』、と。
やれやれ。これはキツいな」
生身。
いつもの機械の補助も無く剣を振るえば、思った以上に刃が通らない。
魔力の出力を高めに設定してトントン。
何をするにも魔力の消費が大きい。
他人からはラスダンでやる事じゃないと言われそうだが、これも必要な事だ。
リスク込みで、生身の俺は空飛ぶドラゴンの背に乗り、戦う。
「『ドリルストライク』!」
貫通力の足りない剣に、螺旋状の魔力を纏わせる。
あとは纏わせた魔力を高速回転させて剣を突き立てれば、堅いドラゴンの鱗を弾き飛ばし、分厚い皮と脂肪、その先にある血管や筋肉を貫く。
骨には届かなかったが、俺は確かに大ダメージを与えた。
ただ、明らかに普段よりも与えるダメージが小さい。
ペースも遅く、手間取っている状態だ。
再生能力に負荷をかける俺がモタつこうが、一緒に戦う晴海がドラゴンの延髄を破壊すれば、空でやるべき事は終わり。
延髄の近くが翼を動かす骨の起点となるので、これでやるべき事は無事に完遂。残りは地上戦で片を付けるだけ。
俺と晴海は仲間の待つ地上へと降りるため、ドラゴンの背中を蹴るのだった。
新装備の慣し。
その最後の仕上げは、「バトルクロス無しでの戦闘」となる。
それの何が慣らしなのだと言われそうだが、俺はこれも必要な工程だと思っている。
「本当に大切な物は失って初めて分かる」「タバコの味と人の有り難みは煙になって分かるもの」などという言葉がある。
便利な道具も慣れてしまえば有る事が当たり前としか感じられない、人の愚かさを揶揄した言葉である。
「何かを測る物差しは、それの有り無しを比較するのが一番分かりやすい」と言い換えると分かりやすいか。
もしくは、どれだけ凄い物だろうが例えの一つも無ければ所詮他人事、その凄さを実感できないという話でも良い。
これは道具を十全に扱うのに必要な「欲求」の再確認だ。
バトルクロス無しでやってみて、「こんな時、バトルクロスがあれば」と感じた後だと、装備して使った時に「有って助かった」とより強く思うようになる。
その上で、「もっとこうだったら良いのに」と考えられれば、バトルクロスはもっと洗練されていくだろうよ。
それに、作った物の便利さに悪い意味で慣れてしまうと、物を大切に扱わなくなる。
大切な物なのに、大切と思わず簡単に切り捨てるような真似をする。
全面的に金銭的な支援を受けているのに、それは当然の義務だと意に介さず、親を疎むだけの子供。
なくてはならない縁の下の力持ちだというのに、簡単に仲間を追放するラノベの悪徳勇者パーティ。婚約破棄をする馬鹿王子。首を切るブラック企業のクソ上司。
そんな馬鹿と同列にならないためにも、バトルクロスの有用性の再確認を時々行う。
「いつも手元にあって当たり前と思うなら、手ぶらになってみれば良い」という至極単純な発想で。
「遅い! 弱い! 情けない! なんという未熟! そんな事では、この悪党一人、倒せはせんぞ!!」
「なかなかの戦いぶりだが、私には響かない。やっぱり戦いの本領はバトルクロスだろ」
「今は、これが精一杯~」
なお、これは俺だけでなく、他の仲間にもやらせている。
戦闘中にバトルクロスが壊される可能性もあるからな。
人間の俺と違い、三人娘らがバトルクロスの有り難みを忘れる事は無いと思う。
だけど、「有用性の再確認」ではなく「使えなくなった場合の戦術構築」をメインに考え、全員がやっておいた方が良いという結論に達したのだ。
道路を走る日本車は故障しないかも知れないが、戦闘用のロボやパワードスーツがダンジョンで故障しないなんて保証はどこにも無いのだ。やる価値はありますぜ、だ。
もちろん戦力低下は最小限に抑えておきたいので、いきなり全員同時にやるわけじゃない。
持ち回りで、順番にバトルクロス無しの状態を経験させている。
制限を受けたその状態ならばと、三人娘も楽しそうに“不便”な中を戦っている。
強い装備で無双するのも楽しいが、制限ありでギリギリの戦いをするのも、また違った充足感を得られるからな。これはこれで、良いらしい。
どんな時でも楽しんでいられる精神性は、あの子たちの強みだろう。
俺たちはしばらく、足場を固めるために地道な戦闘を繰り返すのだった。




