感情論(史郎)
「なんで今更九朗の手なんか借りるんだよ!!」
新年早々。父親から大事な話があると言われた遠野史郎は、聞かされた話に激高した。
「あいつは、一度春菜を見捨てたんだぞ! それなのに!!」
史郎の叫び声が響き渡る。
史郎の父はあとでご近所さんに謝りに行かないといけないなと考えてから、息子の説得に取り掛かった。
最初、史郎は父親が銀行からお金を借りて霊薬の素材を買った話を聞き、複雑な心境にさせられた。
ただし、その時は複雑ではあっても、怒りを覚える事は無かった。
史郎自身、このままでは妹である春菜を助けられないかもしれない事を薄々分かっていたからだ。
自分の力だけではどうにもならない。
だから少しでも早く妹を助けるために借金を決断した親の判断を受け入れた。
借金返済のために頑張らねばならないと、気持ちを切り替えることができた。
しかし、霊薬の素材を集め終わったのだから専門家に霊薬を作ってもらうとして、その霊薬を金持ちに横流しされないようにするため、九朗の力を借りると聞いた時は頭が沸騰しそうなほどの怒りが湧いたのだ。
今の史郎は、九朗の名前に過剰反応するようになっていた。
「聞き分けなさい。一部の金持ちが霊薬を狙っている事は知っているだろう。だから横やりを防ぐために、誰かの手を借りねばならないんだぞ。
私達は運良く九朗君という頼れる相手がいたんだ。頼らなければ春菜を助けられない。だから、九朗君の事にムキになるのは止めなさい」
父親としては、史郎が九朗にここまで怒る理由が今一つ分かっていなかった。
史郎と九朗の確執により、史郎の父親も「子供にどういう教育をしてきたんだ!」と多くの人から責められはしたものの、そこで簡単に歪むほど幼くはなかった。
社会の荒波に何度も揉まれた経験のある彼は、こういった行為によるストレスに耐性があったのだ。
大切に育ててきた若い息子にそこまでの経験はなく、徐々に心が病んでいくのは仕方がないといっても、あれからすでに1年以上が経っているのだ。
それに怒りを持続させるのは大変なのだ。嫌うようになるのなら分かるが、一度も会わずに怒りが持続するというのも理解しがたかった。
「今はまだいい。春菜の体力も持つだろうから、手術もできる。
だけど春菜の体力は刻一刻と削られていく。もしかしたら次の手術は失敗するかもしれない。そうなった時に「あの時九朗君の手を借りておけばよかった」と後悔したいのか?
私は絶対に嫌だぞ。できる事があるなら、頭を下げて娘が助かるなら、誰が相手だって喜んで頭を下げる」
だから息子に正論をぶつける。
娘の、春菜のことを考えれば、九朗の手を借りるのが正解だと。ここは絶対に退けない所だと、史郎が何を言おうが譲らない考えを示した。
「でも……!」
史郎が九朗を毛嫌いするのは、感情論だ。理屈ではない。
たとえ頭で親の言葉が正しいと理解できても、心がついてこない。
結果、自分は反対だと主張するに留まり、父を説得できない事が分かっているから、もどかしさで悔しそうな顔をした。
何か言って、父親の意見をどうにかしてやりたいのだが、良い考えが思い浮かばない。残念ながら、史郎の伝手に金持ちに対抗できる人間は居なかった。
これまで金持ちや大企業が出したクエストを多くこなしてきた史郎だが、冒険者ギルドという仲介業者を挟んでいるため、個人のコネクションは大した事がないのである。
史郎が持っている伝手など、同レベルの同業者の他には、精々が武器や防具の販売に関わる者たちぐらいでしかなかった。
その程度では親を説得できないのである。
「だいたいだな。九朗君が、なぜそこまでして春菜を助けてくれると思う? 普通なら、ただ近所に住んでいただけの女の子を助けるために骨を折ってはくれないだろうが。
これだけの事をしてくれるんだ。むしろ、感謝しないとおかしいんだぞ」
聞き分けの無い息子を、悲しそうな目で見る父親。
残念ながら、彼は息子に自分の言葉が届いていないのが分かってしまった。いや、言葉では届かないと、理解させられた。
言葉を尽くして説得できなければ体罰などでいう事を聞かせるという選択肢も世の中にはあるが、彼にそんな考えは無い。
そもそも、冒険者である史郎の方が相当強いので、体罰などできはしないのだが。
ただ、息子に言葉が届かない、耳を塞がれたような状態をどうすればいいのかと途方に暮れた。
「もしも九朗君の邪魔をすれば、それだけ春菜の治療が遅れて助からなくなるかもしれない。だから絶対に邪魔はするんじゃないぞ」
今の彼にできる事は、史郎が暴走しないように釘を刺す事だ。
春菜を引き合いに出せば、史郎の感情をコントロールが出来るだろうと考えていた。
世の中には、分かっていてもどうにもならない事というのが多くある。
例えば厳罰化されても飲酒運転はなくならない。やるなと言われて止まる人間だけなら、犯罪者は存在しないのだ。
結局、感情が理性を上回る時、法とかモラルとかは仕事をしない。どれだけ厳しく教育を受けようと、そんなものは枷にならない。
そこには、ただ感情に突き動かされた、馬鹿野郎がいるだけである。
史郎の両親の願いもむなしく、史郎は持て余した感情に突き動かされ、九朗の元へと走っていったのであった。




