落とし穴 【勇騎視点】
「……ふふ、勇蘭もお義父さんも、もうぐっすり夢の中だったよ?」
部屋で眠る二人の様子を見て来たパジャマ姿の蘭子が、テレビも付けずに静まり返った居間で黙って座っている俺の隣にやって来る。
だけど俺は返事を返す事もせず、ただただずっと考え続けていた。
……何か、何かとても重大な事を忘れている……それは何となく分かっている。けど、それが何なのかが全く思い出せない。
そんな、ずっと黙ったまま難しい顔をしている俺を心配してか、蘭子が今朝と同じような表情で話しかけてくる。
「……ねぇ勇君、ほんとにどうしたの? 今日は朝からずっとなんか変な感じだけど……何か心配事? もしも困ってる事があるんだったら私にもちゃんと話して欲しいな? じゃないと勇君の事心配し過ぎて……私も眠れないよ?」
「……蘭子」
向けられたその悲しそうな眼差しに俺はようやく観念する。
「……はぁ、やっぱり君には勝てないな。……うん、まぁなんて言うか、そんな大したことじゃないのかも知れないんだけどさ? ……俺、なにか重大な事を忘れているような気がして……」
「ん? なにか忘れ物?」
「いや、物って言うよりも……何かとても重大な出来事があったような気がするんだけど、それが全然思い出せなくて……」
「うーん、重大な出来事かぁ。……勇君、何か心当たりとかは無いの?」
「心当たりなぁ……」
……無いこともない。
そう、さっき父さんが勇蘭の為に買ってきていたあの美少女フィギュア。
あのフィギュアを見た瞬間……俺は確かに何か既視感を覚えた。ただ、美少女フィギュアが心当たりだなんて、何か勘繰られそうで物凄く言いづらいんだよなぁ。
(ピンポーン)
蘭子になんて説明するべきかと唸りながら悩んでいたそんな時……なぜか突如、本日二度目のインターホンが鳴り響いた。
「「…………」」
時間を確認すると午後十一時を回った所で、どうやら蘭子も不審に思ったようだった。
「……こんな時間に、誰かな?」
「……俺が行ってくるよ」
俺は恐る恐る玄関に赴き、音を立てる事なく静かにゆっくりとドアスコープを覗き込む。
ごくりんこと喉が鳴り、全身に妙な汗をかきながらも自分の目に神経を全集中させ……ドアの向こう側にいるであろうその相手を確認すると……
…………え?
そこで俺は、信じられないものを見た。
「……え? な、なんで……ゆ、勇蘭……っ?」
ドアの向こうにいたのは、中学生くらいの学生服を着た少年。
だけどその表情はとても蘭子の面影を残していて、まるで……まるで今の勇蘭が大きく成長したかのような……そんな姿だった。
自分が今見ているものが全く信じられなくて、俺は激しく動揺する。額からは大量に汗が吹き出し、あの美少女フィギュアを見た時の頭痛が再び襲いかかってくる。
「……っ……くっ……」
必死に頭を押さえ痛みに耐えながら……だけど、どうしても今自分に起こっているこの状況が知りたくて、どうしてもその答えが欲しくて……
右手が自然と動き出し、ゆっくりと目の前のドアを開いた。
ドア越しでは気が付かなかったが、扉の向こうにはその勇蘭に似た少年の他にもう一人……金髪の美少女が後ろ隣にいた。
そして少年の方は俺の姿を確認するや否や、まるでずっと探してた探し物が見つかった時のような安堵した表情で、親しげに接してくる。
「あ、勇騎さんっ! だ、大丈夫ですかっ? どこか痛い所とかありませんかっ?」
「……え、いや、まあ……大丈夫だけど……」
「そ、そうですか……はぁ、いやでも本当に良かったです、こうして無事に見つかって。でもまさか本当にミハルちゃんの勘がこうもドンピシャで当たるなんて、本当びっくりだよっ!」
「ふふ、どうですかお父様? 私の言った通りだったでしょう? だから約束通り、私を沢山褒めて下さいっ」
期待に目を輝かせながら、まるで子供のようにミハルと呼ばれた少女は少年におねだりする。
少年は俺の目を気にしつつも、すぐに諦めたようで恥ずかしそうに少女の頭を撫でてあげた。
「す、すごいすごーい、さすがミハルちゃん。本当、僕の自慢の娘だよー」
「……ふふ、えへへ」
子供が親に褒めてもらっているかのような、そんなとても微笑ましい光景のようだが……俺はこの二人にどう接していいか分からずただただ戸惑う事しか出来ない。
……ど、どういう事だ?
この子達はどうやら俺と面識があるようだけど……俺にはその記憶が全くない。
相変わらず頭痛も続いてるし、頭の中のモヤも未だもって晴れそうにない。
…………ん、記憶?
……っ! あ、そうかっ、そうだよっ!
俺の記憶がないのは単に俺が忘れているだけであって、この子達にはちゃんと俺との記憶があるんじゃないかっ!
だからこうして探しに来てくれてる訳なんだし……っ。
だったら、だったらこの子達なら……俺が忘れてしまっているものを知っているかも知れない。
俺が忘れてしまっている、重大な何かを……っ。
何故か、とても胸騒ぎがする。
本当に知ってしまっていいのだろうか、そんな考えが一瞬頭をよぎる。でも、この少年にこのまま帰ってもらうなんていう選択肢は、俺には選べそうにない。
……この頭の中のモヤを吹き飛ばさなければ、俺はこれから先の……蘭子や勇蘭との幸せな未来に進めない気がしたから。
「…………っ」
俺は、覚悟を決め表情を引き締める。
「……な、なぁ、俺、君達にちょっと聞きたい事があるんだけどさ? ここじゃなんだから……ちょっと近くの公園まで行かないか?」
*
等間隔に立ち並ぶ街灯に照らされた公園の、満開に咲き誇るとても綺麗な夜桜を背に俺と少年はベンチに腰掛ける。
金髪美少女の方はブランコに座り、控えめにだが楽しそうに漕ぎ始めていた。
……そんな姿を眺めていると、今朝ここで勇蘭と遊んでいた事が何故かずっと昔の事のように思えてきて……酷く心が締め付けられる。
「……さてと、とりあえずまず最初になんだけどさ……君達は俺の事を知っているみたいなんだけど、実は俺には君達との記憶が全く無くてさ? だから……」
するとすかさず少年は俺の言葉を遮り、さらりとその答え合わせを始めてくれる。
「あ、大丈夫ですよ勇騎さん。僕も最初はそうだったんですけど、途中でなんか違和感を感じて……でもふとしたキッカケですぐに全部思い出しましたから。だから勇騎さんもきっとすぐに思い出しますよっ」
優しく諭すように少年は微笑む。
その表情がとても懐かしいような、でもごく最近見たような、そんな気がして……。まるでこの子と喋っているだけで、少しずつ頭の中でモヤが晴れていくような……そんな気さえした。
「勇騎さん。とりあえずあの後、僕達に起こった事を順を追って説明しますから、少し聞いて貰ってもいいですか?」
「……ん、あの後?」
「はい。僕達が船に乗って……世界樹島に着いてからの事です」
…………んん? 世界樹島?
「ちょ、ちょっと待ってくれっ。まずその世界樹島っていう専門用語からしてよく分からないんだけど……?」
「え? あ、あぁ、すみません。そう言えば勇騎さんはこっちの世界の人じゃなかったんでしたよね? うーん、ならまずはその辺りからかなぁ……」
「……こっちの、世界?」
「あ、はい、そうです。えぇっと確か……勇騎さんは自殺を図ろうとしていて、その時に偶然魔法陣に吸い込まれて、それで僕達の世界に来たって……」
…………
……
「…………え?」
「え?」
「……ごめん、俺の聞き間違いじゃないのなら今、俺が自殺を図ってたって言った?」
「え、あ、はい。勇騎さんが確かそう言って……」
「……俺が? 俺がそう言ってたのか?」
「は、はい」
…………
「……は、はは、ははははは……い、いやいや、あり得ないだろそんなの? な、なんで俺が自殺なんて……。いやだってさ? 家に帰れば大好きな蘭子がいて、大好きな勇蘭がいて……それに今まで散々迷惑かけてきた父さんにも、あんなに喜んで貰えて……やっと親孝行らしい事も出来てさ……」
「……勇騎さん」
「こんなにも……こんなにも満たされている俺が、こんなにも幸せな毎日を過ごしている俺が、そんな自殺を図ろうとする理由なんてどこにも……」
…………
あれ?
家に帰れば……大好きな蘭子がいて……?
…… なんで、なんで蘭子がいるんだ?
その瞬間ーー
俺は完全に気付いた。
気付いてしまった。
……あぁ、そうか。
そうだよ……今日の朝、目覚めてすぐに感じた違和感は……まさにこれだったじゃないか。
本当はもういない筈の存在が目の前にいるという矛盾。
それが今いるこの世界が、まさに嘘の世界であると言う証明。
その事実を理解した瞬間、頭の中のモヤが一瞬で晴れ渡り、今までの出来事がまるで早送りでもしているかのように物凄い速度で脳内を駆け巡って行く。
蘭子との出会いから
幸せな時を過ごし
絶望を経て
それでも何とか希望を見出して、ここまで進んできたその道のりが……。
「……きさん……ゆ……さん…………勇騎さんっ!」
「……っ!」
気が付くと俺はいつのまにか頭を抱えてベンチから倒れるようにうずくまっていて……そんな俺を二人は凄く心配そうに覗き込んでいた。
「勇騎さん、大丈夫ですか? 顔色が真っ青ですけど……」
「お父様、私何か飲み物でも探して来ましょうか?」
俺はそんな二人をひとまず安心させるべく、ゆっくりと顔を上げる。
「……だ、大丈夫。もう、大丈夫……だから」
でも、きっと俺の表情はとても大丈夫そうなものではなかったのだろう。二人は未だ心配そうな表情のまま、だけど俺のこの状況から全てを察していた。
「……勇騎さん、もしかして……」
あぁ、その通りだよ……勇蘭。
「……あぁ。全部、全部思い出した」
楽しかった事も
嬉しかった事も
幸せだった事も
だけど、最後には全てを失って
そしてーー自分の人生を諦めた事も。
★
そうだ。
全部、全部思い出した。
勇蘭を無事助け出し、船で旅立ったあの後。
別段トラブルや敵からの妨害などもなく、順調に船は進み俺達はすんなりと世界樹島へ辿り着いた。
そして島に降り立った瞬間、俺はユグドラシルと呼ばれる世界樹のその圧倒的なスケールの大きさに驚愕する事となった。
遠目に見てもデカいとは思っていたが実際こうして降り立って見ると、樹の端の方なんて霞んで見えるレベルの距離である。
また足下に広がる地面はと言うと、まるで樹の根っこ部分に降り立っているだけのような……ここを陸地と呼ぶには少し無理があるようなまさにそんな場所だった。
そんな全てにおいて規格外の大きさを目の当たりにし、ようやく俺の中でこの樹の中を通って魔界に行くという話が現実味を帯びて来る。
「……す、凄いなこれは。もはや島と言うよりも、海から直接この樹が生えてるみたいだな……」
物珍しさにキョロキョロと周囲を見渡す俺を見て、勇蘭が軽く微笑みながら同意してくれる。
「……ふふ、まぁ実際勇騎さんの言う通りなんですよ? こうやって降り立てる場所があるから一応世界樹島なんて呼ばれてますけど、実際は海のど真ん中に大きすぎる樹がただ立ってるってだけですからね」
「へぇ、やっぱりそうなんだな。……それで、今から俺達はあの樹の入り口……って呼んでいいのかわからないけどあの無数に空いた穴から入って魔界へ行こうって訳か……」
今俺達がいる場所が巨大な樹の根元付近という事もあってか眼前には根っこの枝分かれのようなものが多く広がっており、その隙間にとても大きな空洞がいくつも出来ている。
「……あれ? お父様、あそこに誰かいますよ?」
突如、ミハルちゃんがいち早く何かに気が付いたのかその巨大な隙間の一つを指差して俺達を促す。
だがミハルちゃんの指差す方向、その先にいた人物に俺は普通に見覚えがあり瞬時に警戒する。
「……あっ、あいつは確か……っ!」
かたや筋肉んも、まるで世界で一番出会いたくない奴と出会ってしまったかのように酷く不機嫌そうな表情をしていた。
「……へっ、そう言えば先生は確か会ってるんだったな。あのクソ野郎によぉ……」
……そう、あの時。
筋肉んとの決着後、レヴィと対峙した俺達の前に突如現れたあのみかん色の外ハネホスト風イケメン。
そいつが今まさに丁度良い高さの出っ張りに腰を下ろしていて、まるで俺達を待っていたかのように接して来た。
「どもー、こないだぶりだね先生? そしてそこの少年達も直接こうやって言葉を交わすのは初めてかな? 初めまして、一応そこにいるバーコードおじさんの仲間でマモって言います。以後お見知り置きを」
爽やか陽キャのように気さくに話しかけてくるマモとは正反対に、筋肉んの方は眉をつりあげてより一層険しい表情へと変わる。
「……おいマモ。テメェ、誰がバーコードだコラ?」
「え? あぁ、ゴメンゴメン。でも今日は俺、バーコードリーダー持ってきてないからさ? だからお前の名前が調べられないんだよなぁ、なんだっけ? えーっと……あっ、確か……『落武者』くんだったっけ?」
『落武者』、その単語が出てきたまさにその瞬間。この場の空気が一瞬にして凍りついたのを俺は感じた。
勇蘭とミハルちゃんは事態がよく分かってないと言った感じに可愛らしくキョトンとしているが、その単語をつい最近聞いたばかりの俺だけは……冷や汗をかきながらも恐る恐る筋肉んの方へと視線を向ける。
どうやら俺の不安は的中してしまったらしく、視線の先では筋肉んの体が静かに武者震いを始め、手に持ったシャベルがカタカタと鳴り響いている。
「…………あん時の……あん時のSNSに上げた犯人は、テメェかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
そして次の瞬間にはもう怒り心頭の筋肉んがシャベルを強く握りしめ、本当に殺しそうな勢いでマモ目掛けて全速力で駆け出していた。
え、あれっ!? お前達仲間じゃないのっっ!?
「あはははは、いやぁあれさ、凄い『いいね』されちゃって俺もビックリしちゃったんだよね〜。まぁでも良かったじゃん? 一躍人気者になれてさ?」
更に筋肉んを煽るマモに、俺は心の中で懇願する。
もうやめてっ!
筋肉んのライフはとっくにゼロよっっ!!
「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ、死ねやクソホストォォォォォォォォォォォォっっ!!」
だが、筋肉んのシャベルがマモに届く事はなかった。
なぜならシャベルがマモに届く寸前で、筋肉んの姿がこの場から消えてしまったからだ。
「……っ!?」
な、何が起こった? 筋肉んのあの巨体が一瞬にして消えるなんて……
……いや、待てよ?
そう言えばあの時も……マモは突如空間から現れた黒い穴から出てきて、そしてドゥルとレヴィを連れて穴と共に消えた。
それに確か、ドゥルに付いていた護衛の天使兵達も突如消えたって星士郎さんが……
……っ! しまったっ!!
「勇蘭っ、ミハルちゃんっ、一旦ここから逃げ……っ!?」
俺が相手の能力を思い出した時にはすでに手遅れで、二人も忽然と姿を消してしまっていた。
完全に後手に回ってしまい苦虫を噛み潰したような表情で焦る俺を、まるであざ笑うかのようにマモは自身の能力を明かしてくれた。
「あはははは、無駄だよ先生? 俺の『穴』は俺が知っている場所や見えている範囲ならどこにでも瞬時に出せるんだからさ。まぁでもそんなにあの二人が心配なら先生も入れてあげるよ、俺の『穴』にさ……?」
次の瞬間にはもう、俺の足元にも黒い穴が広がっていて
そこで俺の意識は途切れた。




