旅は道連れ 【勇蘭視点】
一定のリズムで振動を響かせながら、列車は進んでいく。
僕はその車内から、晴れ渡る青い空と颯爽と通り過ぎていく色鮮やかな街並みをただぼんやりと眺めていた。
チラッと隣を盗み見ると、大量の弁当箱を空にした後すぐさま可愛らしい寝顔とボテ腹で寝息をたて始めたミハルちゃんが座っている。
前の座席には……白いタオルを頭に巻いた筋肉さんが、こちらもミハルちゃん程ではないけど大量の弁当箱を空にして、一人で二席分使って豪快に眠っていた。
……それにしても、まさかこんなにも上手く行くとは正直思ってもみなかった。
これはそう、今朝の事ーー
*
「……ミハルちゃん、ミハルちゃん。ほら、早く起きて」
僕は客間で布団にくるまって安らかに眠るミハルちゃんを小声で呼びかけながら静かに揺さぶる。
時刻はまだ朝の四時。
城内の誰もがまだ寝静まっている時間帯であり、そんな時間にもかかわらず僕は制服に着替えて刀を腰に差し、黒のロングコートまで羽織って既に旅立つ準備を整えた状態だった。
「……う、うーん、まだ食べれますぅ……むにゃむにゃ、ん……ふぇ、お父様? うぅ、どうしたんですか? まだ真っ暗ですけど……」
「そうだね。でもだからこそ今がチャンスなんだよ。今ならまだ誰にもバレずに外に出られるし、今から行けばちょうど始発列車が動き始める時間帯なんだ」
ミハルちゃんはまだ眠たいのか可愛らしく目をこすりながらも、むくりと起き上がってくれる。
「……ん、お父様、何処かへお出掛けですか? でしたら私も一緒に……」
「うん、そうだね。ミハルちゃんならきっとそう言ってくれると思ってたよ。だから四十秒で支度を整えてくれるかい?」
「ふぁ〜、っんん〜……っふぅ、分かりました」
「ありがとう……って、わわっ!?」
何のためらいもなくおもむろに客人用の浴衣を脱ぎ始めるミハルちゃん。
一度見てるとは言え彼女の豊満なおっぱいが突如その姿を現し、チラっと見えてしまった後に僕は慌てて後ろを振り返る。
……うん、今のは不可抗力だから。ぼ、僕は悪くない。
布が擦れる音だけが響き渡る月明かりの部屋に、自分の心臓の音がとても激しく鳴り響く。
よくよく考えると可愛い女の子が自分の真後ろで着替えているというこの光景に、童貞の僕がドキドキしない筈がないのである。
「……お父様」
「ひ、ひゃいっ!?」
いきなり耳元で囁くように呼びかけられて思わず声が上ずってしまったそんな僕に……
「いつでもいけますよ、お父様」
彼女はとても可愛いらしい笑顔を向けてくれた。
……っ。
……ごめん、ミハルちゃん。
僕は心の中で、このとても純粋に僕を慕ってくれる女の子に対して謝罪する。
何故なら僕は今から、とても自分勝手な都合に……なんの関係もないこの子を付き合わせようとしてるのだから。
でも、それでも僕は、どうしても行かなきゃいけなかった。
だって僕は、ミハルという特別に出会ってしまったから。
そしてあの人が……父さんにそっくりなあの人が、僕の目の前に現れたのだから。
この運命的な展開こそが、僕が普通から特別に変わる為のターニングポイントだと、そう感じたからだ。
……だけど僕だって馬鹿じゃない。
母さんの言う通り仮に僕一人で挑んだとして、それで死んでしまっては全くもって意味がない。
だからこそ、その為のミハルちゃんだ。
僕は昨日の晩……城門前でのあの戦いの事は母さん達には話していない。
僕にミハルちゃんという保険がある事がバレれてしまえば、きっと僕が勝手に行動を起こす事も推測されてしまって、そうなればきっと僕もミハルちゃんも亀甲縛りにされていただろうから。
そう、僕が特別な力を得るまでは、どうしてもミハルちゃんという特別に頼るしか……他に方法が無いんだ。
……それから、僕とミハルちゃんはもう一つの客間の方へと静かに向かう。
そのままゆっくりと襖を開けてその中を慎重に伺うと、そこには豪快に上布団を弾き飛ばした状態の筋肉さんがいびきを立てながら眠っている。
「……ミハルちゃん、手伝ってくれる?」
「はい、お父様っ!」
〜〜
「……ふぅ、よし。完成だ」
僕達の目の前には再び亀甲縛りになった筋肉さんの姿が出来上がっていた。
「……ん、んぁ、……ん……んん? うぉっ!?」
まさに絶妙なタイミングでその目蓋を開いた筋肉さん。しかしすぐに自分の置かれている状況に気づいたのか驚きの表情で僕達を見上げてくる。
「……え? え、なんなんだ? なんでオレはまた亀甲縛りされてんだよっ!? ここの連中は亀甲縛りしか知らねぇのかっ!?」
当然の疑問にぶち当たり酷く動揺を隠せない筋肉さんは、必死に体を揺らし縄を解こうと試みる。
そんな慌てふためく筋肉さんに僕は早速本題をぶつける事にした。
「おはようございます筋肉さん。起きて早々で悪いんですけど、僕達と一緒に魔王城まで付いてきて欲しいんです」
キョトンと呆ける筋肉さん。
「…………はぁ? え、いやちょっ、待てよ。確かオレは先生に魔王城までを案内するって話だったよな? んでもって僕ちゃんは確か昨日ママさんに止められて話は終わったじゃねぇかよ。なのになんでその僕ちゃんが張り切って向かおうとしてんだよ?」
筋肉さんの当然の疑問に、だけど僕は昨日のあの人みたいに極めて冷静を装いながら淡々と答えて見せる。
「僕には僕の事情があるんです。だから何も聞かずにさっさと連れて行って欲しいんです」
そう言いながら僕はポケットからあるものを取り出して見せる。
それはまさに、筋肉さんのトラウマの……
「……はぁ、またカミソリかよ……」
「どうですか? 僕を案内してくれる気になりましたか?」
僕と筋肉さんは互いに鋭く視線をぶつけ合う。
まるで僕の覚悟を見定めるかのようなその鋭い視線に、何とか震えそうになる足に力を込めて必死に平静さを装う。
だけど少しすると筋肉さんは急に諦めたような表情に変わり、呆れたように答えてくれた。
「……はぁ、いいぜ別に。なら僕ちゃんの方に着いてってやるよ。ただしっ、もし後で先生に怒られたらちゃんとオレを庇えよな?」
「ありがとうございます。大丈夫ですよ、僕が全部きっちり解決してみせますから。逆にみんな褒めてくれますよ、きっと」
「……へっ、だといいがねぇ……」
こうして僕達は皆が寝静まる早朝に……城を抜け出し始発列車に乗り込んだのだった。
★
「ん〜〜、はぁ。やっと到着しましたね、お父様っ」
カモメが飛び交い、潮の香りに包まれながら元気よくミハルちゃんが列車から飛び降りる。
そんな彼女とは正反対に、僕は疲労感を感じながらテンション低めに降りて行く。
「……まぁミハルちゃんは食べた後、ずっと寝てただけだけどね」
しかも途中から僕の方にもたれかかってくるもんだから、その女の子特有の柔らかさやいい匂いによって、僕は駅に着くまでの間ずっと緊張感に苛まれていたのだった。
「あぁ〜、腰痛ってぇ……。おいおい、もう昼過ぎじゃねぇかよ、なぁ僕ちゃん、早く昼メシ食べに行こうぜ?」
僕達の前の席を独占して寝っ転がっていた筋肉さんが寝違えたのか腰をさすりながら最後に降りてくる。
「……いや、ミハルちゃんほどじゃないにしても筋肉さんも駅弁大量に食べてましたよね? まだ食べるんですか?」
「あ、お父様、すみません。私もそろそろお腹が空いて来てしまって……」
「…………」
〜〜
「はぁ〜、ごちそうさまでした。私、もう食べられません〜」
「あぁ〜、さすがにオレももう無理だわ〜」
「……まぁ、そうだろうね……」
満足そうな表情のミハルちゃんと筋肉さんの前には大量に重ねられた器によって山脈が出来上がっている。
逆に僕の前には海鮮丼のお椀が一つあるだけだ。
……いや、確かにお金はあるけれど、でもあまりにも食費がかさみ過ぎな気がしてならない。これでは魔王城に辿り着く前に僕のお小遣いが無くなってしまうんじゃないだろうか?
「……はぁ、さ、二人共。もうそろそろ今日の宿を探しに行くよ?」
「あれ、お父様? この町から船に乗るんじゃないんですか?」
「……まぁ、そうしたいのはやまやまなんだけどね……」
「へっ、オレが説明してやんよ、嬢ちゃん」
自信満々にドヤ顔の筋肉さんはお皿やコップを使いながらミハルちゃんに説明を始めてくれる。
「いいか? まずこの皿が日本だ。んでこっちが神聖ヴァルキュリア帝国。んでもってその丁度真ん中らへんにあるこのコップが……ユグドラシルがある世界樹島って訳だ。んで日本からヴァルキュリア帝国までが船で大体二週間ほどかかるとして、その真ん中って事は?」
「はいっ、一週間はかかります!」
「そうだ。海の中には人喰いザメやモンスターも普通にいるし、つまりその辺のショボい漁船で向かうにゃ中々ハードな船旅になる訳だ。だから世界樹島へ行くにはデカい客船に乗って途中で下ろしてもらうのが一般的な方法だが……出航当日のチケットなんてもんは既にヴァルキュリア帝国へ向かう観光客でほぼ予約が埋まっちまってる状態なんだよ」
「え、そんなにも人気なんですか?」
「そりゃあヴァルキュリア帝国は今一番デカい大国で観光名所も山ほどあるからな。つまりキャンセルでもねぇ限り当日に港に来てもほぼチケットが取れねぇって訳だ」
「……な、なるほどです」
頷きながら感心するミハルちゃんに、僕はこの後の予定を伝える。
「そ。だから今日は先に宿を取って、その後で僕がチケットの予約をしに行って来るって訳。まぁ、もし運が良ければ明日分のキャンセルチケットが取れるかもしれないからね」
「あ、でしたら私も一緒に……」
「いや、いいよいいよ。どうせチケット予約するだけだし、ミハルちゃん達は宿に着いたらそのまま部屋で休んでていいからさ」
「で、でも……」
「それにほら、今日は僕の勝手で早く起こしちゃった訳だしさ。だからそれくらいは僕一人に行かせてよ、ね?」
「うぅ、……分かりました」
少し寂しそうな表情のまま何とか納得してくれたミハルちゃん。
だけど実のところ今現在、ミハルちゃんも筋肉さんもまるで妊婦さんかのような見事なボテ腹を披露している状態であり、この二人を連れて歩きまわるというのがかなり恥ずかしいというのが……僕の本音だった。




