3話 アリス
「はぁ…はぁ…はぁ…。」
シレーヌさんによって逃された楓は、全速力で走っていた。
ここがどこかもわからない。どこに向かえばいいのかすらわからない。
しかし、立ち止まっていては…殺されてしまう。
そんな気がしたのだ。
だからこそ、楓は少しでも長く走り続けようと、懸命に足を動かし続けた。
こんなにも長く走り続けることなんて、この先一生ないのではないか、と思うほど、ただひたすらに前へ前へ足を動かす。
すると…
「うぇ?!なんでこんな所に人が…?!」
「っ…!」
突然、楓の目の前に人が現れた。
声からして、多分少女であろう人は、心底驚いたような声を出す。
さっきまでのように、急に自分に矢を放って来たり、鎌を向けて来たりはしなかったが…楓には、そんな事を考える暇すらなかった。
そりゃあそうだろう。先ほどまでに2回も命の危機にさらされたのだ。相手が誰であろうと、警戒するに決まっている。
『隙を見せたらおしまいだ。』
そう思い、楓は相手から目を離さず、少しずつ、目の前の相手から距離を取るようにして後ずさる。
だが、そんな楓に少女は声をかけて来た。
「待って!ええっと…ああもう!とにかくついて来て!」
「い、いや…!そう言って、あなたも私を殺す気なんでしょう?!」
「こ、殺さないよ!…は、早くなんとかしなきゃ…とりあえずシレーヌさんに‥。」
楓の警戒心を解こうと、必死に語りかけてくる少女の声を全てシャットアウトし、楓は叫び声にも似た声で、少女からかけられた声を全て否定する。
信じたいけど…信じられない。
とにかく死にたくない。
(どうして自分がこんな目に合うの…?お願い…これが悪い夢なら覚めてよ…!!)
逃げなくちゃ…そうは思っているのに、今から殺されるかもしれない。そんな恐怖からか、足は石のように硬くなり、言う事を聞いてくれなくなっていた。
(なんで?!早く動いて…!早く早く!)
動かそうと思えば思うほど、足は頑なに動かず、地面に貼り付けられてしまったかのように、少しも動いてはくれなかった。
「助けて…助けてよ‥。」
「こ、このままじゃやばいかも…ご、ごめん!」
目の前の少女の言葉なんて、一ミリも聞こえちゃいなかった。
突然、首筋に鈍い痛みを感じて、それから…楓は意識を落とした。
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飛んでいた意識が、楓の元に戻ってくる感覚と共に、楓は真っ暗な部屋の中で意識を取り戻した。
「ここは…?」
見覚えのない…と言うより、暗すぎてここが何処だかもわからなかった。
暗闇の中、2度も命を狙われた…そんな事があったにも関わらず、何故か、楓は恐怖を感じていなかった。
ただただ、シン…と静まりかえった場所で、楓は寂しさを感じていた。
(もしかして…今まで見ていたものは、全部夢…だったの?)
あの恐ろしい出来事の数々は全て、楓が見ていた夢…想像の中の産物でしかなくて、本当の楓は今も、暖かい布団の中にでもいるのではないか?
一瞬、そんな気がしたが…それにしてはおかしな事があった。
(でも…私はもう起きているのに、この真っ暗な部屋は何?確か…寝る前に小さな明かりを付けておいたと思うのだけど‥。)
楓は昔から、明かりのない場所では眠りにつく事ができなかった、だからこそ、寝る前には小さな明かりをつけて眠っていた。
勿論、睡眠の質に影響がない程度の微々たる光だが…それが無いと、どうしても眠れなかった。
両親も、それを分かっていたので、楓が眠りについた後でも、部屋の電気を消そうとはしなかった。
だから…
(真っ暗なのはおかしいわ‥。)
そう、心の中で独り言ちしていると…
「おや……今日は客人を迎え入れる予定はなかったはずなんだが‥。」
鈴の鳴るような、澄んだ綺麗な声が聞こえて来た。
その声の持ち主は、困惑したような困った声色で、独り言を言っている。
…どうして自分がこんな場所にいるのか知りたいと思った楓は、恐る恐る、声の持ち主に話しかけてみた。
「あ、あの…」
「うん?どうかしたのかい?」
「ここは…ここは、何処なの?」
相手に抱いている恐怖心は伝わっていやしないだろうか?声の持ち主は、私の質問に答えてくれるだろうか?
心臓が普段よりも早いペースで脈を打ち、臨機応変に体を動かせるよう、戦闘準備を始める。
しかし意外にも、声の持ち主は陽気に楓の質問に答えてくれた。
「…ああ!そうか、生身の人間たちは来れない場所だからね…知らないのも無理はない。此処は…まあ、狭間の世界…とでも言うべき場所かな?」
「は、狭間の世界…?」
「そうとも!狭間の世界…それ以上深く考えるべきではない場所。…まぁ、ボクにとってはナンセンスなものだからね。」
「は、はぁ‥。」
声の持ち主の言ってる事が、あまりよく理解できない。
ナンセンス…ばかばかしいとか、意味のない事…と言った意味合いで使われる言葉だったはずだ。
とりあえず、声の持ち主の言う事に従って、あまり深く考えない方がいいのだろうか?
少しの…いや、多くの疑問を抱きながらも、楓は声の持ち主の言葉に耳を傾ける。
「ふむ…そろそろ君の意識が現世に戻る頃のようだね。その前に一つ、質問をさせてもらってもいいかい?」
「は、はい。私に答えられる事ならなんでも‥。」
どうやら私は、後ちょっとでうつしよ?と言う所…多分、現実世界の事なのだろうか?とにかく、暗闇しか広がらないこのおかしな場所から目覚められるみたいだ。
よくわからない人だったけど…一応、自分の質問に答えてくれたのだ。
質問の一つや二つ、自分のために時間を割いてくれたお礼として答えるべきだろう。
「君は『アリス』かい?」