6 始まりの街ラッカ
ユウリたちが明け方に到着したのはラッカという街だ。後方にヨウギ山を讃えた風向明媚なところで、山の豊富なミネラルを含んだ伏流水のおかげで食べ物もおいしい。二人が夜通し歩いてきた街道も、昼間はこの街を目指してくる旅人や荷馬車などが行き交う賑やかな通りだ。だから峠を越える寂しい道であるのに、きちんと馬車がすれ違えるだけの道幅が確保された立派な街道が整備されているのだ。
開門の時間まではまだ間があったので、二人は門外に建てられた待合所で少し休むことにした。ここはその名の通り開門を待つ人や、街を渡り歩く行商などが休憩するための木造の建物で、中は座って休めるようになっているほか、馬を繋留しておくためのスペースがあり、人も飲むことができる飲み水が用意されている。特にこのラッカは湧水が湧いているので、こんなところの水でもおいしいのだ、とはリュウの言だ。ユウリは促されるままその水を一口含む。
「……本当だ。身体に染み渡るようだ」
「だろ?」
その様子を見てリュウは満足そうにうなずく。一時喉を潤したあとは、二人して備え付けの長椅子にどっかりと座った。そうしてしまうと急に身体の重さを自覚し、しばらく立ち上がれそうにない。瞼も重く、天井近くに切られた風通しから外光が入ってくるにも関わらず、今にも寝こけてしまいそうだ。
「今のうちにちっと仮眠しな。開門近くに起こしてやるから」
どこまでも甘えてしまって申し訳ないと思いつつも、もう睡魔に打ち勝つことは不可能だった。ユウリはまるで意識を失うように眠りへ落ちていった。
短い眠りのなかで、ユウリは夢を見た。その夢のなかでユウリは走っていた。昨夜リュウによって倒されたはずのヒュウゴウに追い回され、背中に深手を負っていた。形勢は明らかに不利で、ユウリはどうにか撒いてやり過ごすしかないと思った。藪に分け入り、岩陰を探す。途中で足がもつれた。息が上がる。
背後から迫ってくるヒュウゴウは、実際に聞いた鳴き声とはまた違う、不気味に低い唸り声を上げていた。そこに言葉らしきものは含まれていないにも関わらず、ユウリの脳裡に直接響くように、同じ言葉が繰り返し刻みつけられていた。
――お前の望み叶うこと能わず。我の魂をしてそれを証す。
どんなに振り払おうとしても、その言葉か頭から離れることはなかった。むしろよりはっきりしてくるようだった。
「やめろ……」
息が苦しくて、うまく声が出ない。その間にも背後に迫る影。振り払うことのできない言葉。
――お前の望み……
「やめろ!」
「えっ、おいどうしたっ?」
「!?」
気がつくと、目の前にはリュウの顔があった。心配そうにこちらを覗きこんでいる。どうやら現実でも声が出ていたようだ。
「すまない。ちょっと夢を見てたようだ」
「……そうか。まぁそろそろ起こそうと思ってたところだから、問題ないならちょうどいいや」
リュウはユウリを促して待合所を出た。もう完全に日は昇っていて、門の前には他の馬車も着いていた。ややすると役人らしき人物が街の入り口の門を開けた。開門だ。
馬車に続いて街へ一歩足を踏み入れると、ユウリは目の前に広がる光景に密かに息を呑んだ。街の中だというのに広い目抜き通りがまっすぐに通され、その脇にはびっしりと様々な商店が立ち並んでいる。中にはもうすでに開いている店もあり、呼び込みが威勢のいい声を上げている。
「びっくりしたかい?ラッカは栄えた街だからね」
案の定、驚きを気取られてしまったが、それを恥じる余裕さえユウリにはなかった。街へ出てきたのも初めてのことだから、目に飛びこんでくるもの全てが新鮮だった。
ユウリが生まれ育ったアヌカは、なだらかな丘陵地の中ほどにぽつりとある集落で、とても街と呼べるような体裁は整っていない。街道からも離れているし、ここのように入り口が門で守られているわけでもない。集落の全員が顔見知りというような、本当に小さな集落だった。
目抜き通りから小路に入ると、リュウが言った。
「本当は腹ごしらえに行こうかと思ったんだけど、先にアタシの馴染みんとこに入っちまおう。旅装もちょっとは緩められる」
「?わかりました」
ユウリの外套を指して言われたが、その意味するところはわからなかった。
先導してリュウが進む道は、次第に細い裏路地のようなものになっていった。表の賑やかな雰囲気とは随分趣が変わり、脇には側溝が掘られて細く水が流れていく。建物の軒が折り重なっているせいか、なんとなく薄暗い。人通りもなく、二人だけが粛々と進む。
「着いたよ」
いよいよ怪しい場所に迷いこんでしまったかと恐ろしく思えてきた頃、リュウがその一角で立ち止まった。
周りも隙間なく建物がある中、そこはひときわ年季の入った木造のもので、リュウが指す扉はどう見ても裏口というようなこぢんまりとしていた。ここから入るのか、とちょっと気が引けているユウリをよそに、リュウは慣れた様子でその扉を勢いよく開けた。