2 通りがかりの行商人
「あなたは……?」
ユウリはそう問うのが精一杯だった。女性はユウリの方というより倒れた巨鳥の方に向かって歩いてくる。離れていて、と言われたのに動くことができないユウリに対し、相手は余裕の態度にみえる。
「アタシはただのしがない行商さ。たまたま通りかかっただけの、ね」
「行商、ですか」
見たところ、そんな荷物を持っているようには見えない。不審が視線にあらわれていたのか、行商だというその人は苦笑した。
「別にアンタをどうこうしようなんて思っちゃいないさ。だったらコイツに襲わせた方が手っ取り早いしな」
そう言って巨鳥の前にしゃがみこむ。鳥の眉間に寸分違わず矢が刺さっているのを見ただけでも、彼女の弓の能力が相当のものだということは察することができる。やはりただの行商だとは思えない。
「ま、信じられない気持ちもわかるよ。こんな時間に峠越えなんてしてんだからな。でも、それはアンタだって同じじゃないか?一体なんで夜にこんなところを歩いてんだい?お嬢さん」
その人は今や鳥の方ではなく、ユウリをまっすぐ見据えている。ユウリは不審を通り越してある種の恐れを感じた。旅装であるユウリは一見して女とわかるような装いではない。ショートカットの髪は頭ごと、顔を覆っている布で隠しているし、外套として着ているものは生成りの布と革でできていて、身体のラインも隠れている。一人旅のため、見た目から女と気取られないように細心の注意を払って用意した旅道具たち。なのに彼女は迷いなくユウリを女と断じた。一体何でばれたのか。何にせよ、小手先のごまかしは目の前の人には通用しないだろうということは容易に想像がついた。
「私は、都に向かっています。今日中に峠の向こうまで着きたかったのですが、計画倒れでした」
「都?アンタ一体どこから来たんだい」
「アヌカという集落です」
「アヌカ……」
ユウリから聞いた地名がどこのものなのか考えこんでいるが、おそらく思いあたることはないだろうと思った。何を隠そうユウリが携帯している地図にも、郷里であるアヌカの名は元々載っていなかったのだ。聞いた話だが、祖父がこの地図を手に入れたときに、商店の店主と話す中でおそらくこの辺だろうというあたりを付けて、手書きでその名を書き足したということのようだ。そのことがユウリが街までの距離を見誤った原因のひとつでもある。つまりその位置は実際の位置よりも街道寄りだったのだ。
しかし、そんなユウリの予想に反して彼女は言った。
「確か、アユール平原の向こうにある集落だったよな。アタシはまだ行ったことはないけど。街道は通ってなくて畔のような細道で繋がってるんだよな」
「よくご存じだな」
「まぁ、アタシは行商だから、そういう情報なら素人には負けないつもりだよ。これで少しは信じる気になったかい?」
「別に最初から疑ってなんていません」
「嘘つけ。まぁいいけど。なぁ、いい加減面倒だから名前で呼び合わないかい?アタシはリュウという」
そう言って、たった今リュウと名乗った女性は握手を求めるように手を差し出してきた。それに応え、「ユウリです」と短く名乗り返した。リュウは満足そうな様子で、
「ユウリね。まぁここで会ったのも何かの縁だ。峠越えという目的は一緒だし、同道しようじゃないか。異論は?」
「ないです」
あっけらかんとしたリュウの態度に触れて、いつの間にか肩の力が抜けていた。一人旅ということもあって、ひどく気を張っていた。そんなユウリの凝り固まった心をリュウはほろほろに溶かしてしまった。これが油断というものなのかもしれないが、一度緩んでしまった気持ちを引き締め直すことは、今はできそうにない。
リュウは再び倒れた巨鳥に目を向けてニヤリと笑う。
「じゃあお近づきの印に飯にでもしようか。ちょうど食材も転がってることだし」
ユウリは一時、リュウが言ったことの意味を理解することができなかった。次に続いたリュウの発言を聞くまでは。
「さぁ、今からコイツ捌くから、今度こそちっと離れてな。ユウリが慣れてて手伝ってくれるってんなら別だけど」
「……これ、食べるのか!?」
「どうせ腹減ってんだろ?これから歩き通す気ならなおさら腹ごしらえが要るしな」
「ええと、いや……」
既に背負っていた鞄を下ろし、中からごつい刃物を取り出して作業を始めているリュウには、ユウリの戸惑いが伝わることはなかった。仕方なく、ユウリは再び立ち尽くすこととなった。